菰田万一郎
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菰田 万一郎(こもだ まんいちろう、1882年(明治15年)11月9日 - 1939年(昭和14年)3月6日[1][注 1])は、日本の教育者。旧姓は早川。
経歴
[編集]長野県小県郡当郷(現青木村)生まれ。長野県尋常中学校上田支校(1899年(明治32年)には長野中学校上田支校に、翌1900年(明治33年)に上田中学校として独立、現・長野県上田高等学校)、同松本本校(現・長野県松本深志高等学校)を経て、旧制浦和高等学校、東京帝国大学哲学科卒業。尋常中学校の同級生に五島慶太がいた。千葉県夷隅郡中川村の菰田家の養子となる。
東京府立第二中学、旧制山口高等学校で教壇に立った後、1928年(昭和3年)文部省学務局事務官となり、翌年学生課長、調査課長を務めた。 その後は旧制松江高等学校、旧制第四高等学校で校長を務めた。
主著
[編集]- 『現今の実業道徳』岩波書店、1919年。
- 『最近倫理思潮』博文館、1926年。
- 『思想と自己創造』東洋図書、1929年。
- 『実業道徳精義』東洋図書、1930年。
- 『建国明治・大正・昭和勅語詔書精義』東洋図書、1930年。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『長野県歴史人物大事典』306頁では1940年。
出典
[編集]- ^ 『官報』第3655号、昭和14年3月14日。
参考文献
[編集]- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
公職 | ||
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先代 河合義文 |
松江高等学校長 1932年 - 1937年 |
次代 豊田臻 |