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菊池氏 (伯耆国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菊池氏
本姓 出自不詳[1]
種別 武家
出身地 出雲国
主な根拠地 伯耆国会見郡
凡例 / Category:日本の氏族

菊池氏(きくちし)は、日本氏族のひとつで伯耆国国人領主。

経歴

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菊池氏は伯耆国会見郡に本拠を置く、出雲国出身の国人領主である。菊池氏は同じく会見郡の尾高城を拠点とする有力国人の行松氏被官であり、行松氏の重臣として仕えていた。明応元年(1492年)には菊池肥前守が被官として見える。永正年間に入り、尼子氏が伯耆へ進出し、山名澄之守護に就いた際に菊池氏は主君の行松氏と対立、行松氏より離れた菊池氏は尼子氏陣営に入った。[注釈 1]その後、永禄初期に毛利方杉原盛重に降伏、永禄6年(1563年3月8日前には再び行松氏の下へ復帰した。[2]天正年間に行松氏が毛利氏より離れ、南条氏を頼って尾高城の回復に奔走した際にも菊池玄蕃頭の名が見えている。

脚注

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注釈

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  1. ^ この時、行松氏からは末次氏も離反している。 重臣の離反により行松氏は急速に衰退していった

出典

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  1. ^ 苗字より肥後菊池氏の一族か
  2. ^ 『横山文書』永禄6年3月8日付・杉原盛重書状

参考文献

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  • 高橋正弘『因伯の戦国城郭』 通史編、高橋正弘、鳥取、1986年11月。 NCID BN00775095