菅野沖彦

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すがの おきひこ
菅野 沖彦
生誕 1932年(82歳)
東京府
国籍 日本の旗 日本
肩書き オーディオ評論家

菅野沖彦(すがの おきひこ、1932年 - )はオーディオ評論家。弟は、ピアニスト・菅野邦彦

来歴[編集]

東京に生まれる。朝日ソノラマ編集長、フリーの録音制作家を経て、オーディオラボを創立。1971年、オーディオラボ・レコードを発売。以後オーディオ評論家として日本の高級オーディオ文化を半世紀以上育ててきている重鎮である。氏の録音技術は高く評価され、優秀録音盤が数多く、カリスマ性が高い。

オーディオに対するスタンスはレコード演奏家を参照のこと。

使用機器[編集]

スピーカー[編集]

3系統のスピーカーシステムを構築している。

  • JBLの375と537‐500ホーン中心のビーム状の放射波によるマルチアンプ・システム
    JBL2205A(ウーファー)、JBL375+537‐500(ミッドレンジ)、GEM・TS208 P.S.C.Ver.2(トゥイーター)、ミューオンTS001 P.S.C.Ver.2(スーパートゥイーター)、ヤマハYST‐SW1000L(サブウーファー
  • ベンディングウェイブ・ユニットによる無指向性の放射波によるシステム
    ジャーマンフィジックス トロバドール80(トゥイーター)、JBL2205A(ウーファー)、エラック4PI Plus.2(スーパートゥイーター)

レコードプレーヤー[編集]

トーレンス リファレンス

人物・エピソード[編集]

ピアノが大好きで子供のころは音楽家になりたかったが、ある日弟(菅野邦彦)が弾くピアノの音を聴き、才能の差に気付いてピアノを止め、楽理、作曲を学ぼうと決意した。[1]

イコライザーを使って、部屋との整合性を電気的にコントロールすることの重要性を提唱しており、部屋との整合性をとらずにケーブルに金をかけることは無意味と語っている。

長いオーディオ人生でメーカー製のスピーカーシステムを買ったのは数機種程度である。それは年齢とオーディオ暦が大きく影響しており、菅野がオーディオを始めた頃(1940年代終わり頃)はスピーカーユニットは売られていたが、エンクロージャー入りスピーカーシステムという商品はなく、そのためスピーカーシステムは自分で構築するという概念で固まり、その影響が残っているからだという。[2]

江川三郎と友人関係にあったが、江川がハイエンドオーディオ嫌いであったのに対して、菅野はローエンドオーディオ嫌いである。

ロイ・デュナンルディ・ヴァン・ゲルダーの録音を、日本で初めて彼らの名前を出して評論した。それまでジャズは誰が録音したか言及されることはなかったという。[1]

カーマニアとしても有名で、1968年から40年以上歴代ポルシェに乗り続けている。

著書・関連書籍[編集]

単行本[編集]

  • オーディオ羅針盤
  • 音の素描
  • 僕のオーディオ人生
  • 新レコード演奏家論

関連書籍[編集]

  • 菅野レコーディングバイブル(嶋護 編著)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 菅野沖彦 ピュアオーディオへの誘い(Phile-web )
  2. ^ 季刊ステレオサウンド(ステレオサウンド社)167号

外部リンク[編集]