菅沼勇輔

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菅沼 勇輔
生誕 1802年????
享和2年)
死没 1881年(明治3年)
国籍 日本の旗 日本
別名 飛田勇輔
職業 柔術家
流派 気楽流
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菅沼勇輔は(1802-1870)は日本の柔術家である。気楽流12世師範。名は良金。

経歴[編集]

武蔵国榛沢郡菅沼村(現在の埼玉県深谷市)。飯塚臥龍斎徳三郎興義に師事して気楽流を学ぶ。同菅沼村邸内(飛田家屋敷百八番地)、神田お玉が池に道場を開き、門弟三千人に及ぶ。道場で門人の育成にあたりその門下生は3千人にものぼった。[1][2][3] 闕所所払いとなった師の飯塚臥龍斎を客分として迎え、邸内でみとる。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『埼玉県教育史 第1巻』埼玉県教育委員会、1969年、484,494,510頁。 
  2. ^ 『埼玉県苗字辞典』茂木和平、2004年。 
  3. ^ ふかやデジタルミュージアム”. 深谷市. 2022年2月22日閲覧。

参考文献[編集]

  • 綿谷雪・山田忠史 編 『増補大改訂 武芸流派大事典』 東京コピイ出版部、1978年
  • 山田實 著『Yawara-知られざる日本柔術の世界』BABジャパン出版局、1997年
  • 埼玉県教育委員会 編『埼玉県教育史 第一巻』埼玉県教育委員会、1968年