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菅原天満宮 (奈良市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菅原天満宮

拝殿
所在地 奈良県奈良市菅原東一丁目15番1号
位置 北緯34度41分8.76秒 東経135度46分42.13秒 / 北緯34.6857667度 東経135.7783694度 / 34.6857667; 135.7783694 (菅原天満宮 (奈良市))座標: 北緯34度41分8.76秒 東経135度46分42.13秒 / 北緯34.6857667度 東経135.7783694度 / 34.6857667; 135.7783694 (菅原天満宮 (奈良市))
主祭神 天穂日命
野見宿祢命
菅原道真
社格 式内社(小)
郷社
創建 不詳
本殿の様式 流造
例祭 10月体育の日前日
地図
菅原天満宮の位置(奈良市内)
菅原天満宮
菅原天満宮
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鳥居

菅原天満宮(すがわらてんまんぐう)は、奈良県奈良市菅原東(すがはらひがし)一丁目にある神社式内社で、旧社格郷社。「菅原神社(すがわらじんじゃ/すがはらじんじゃ)」とも。古代氏族の土師氏菅原氏に関係する神社として知られる。

祭神

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祭神は次の3柱[1]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳での祭神の記載は1座[2]。社伝では、元々の祭神は天穂日命1柱であったが、のち野見宿禰・菅原道真が配祀されて3柱となったという[2]

祭神について

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主祭神の天穂日命(アメノホヒ)は、『日本書紀』で「是出雲臣土師連等祖也」と見えるように、古代氏族の土師氏(はじうじ、土師連のち土師宿禰)の祖神になる。土師氏は埴輪土器の製作や葬礼・陵墓管理にあたる土師部の伴造氏族で[3]、土師氏遠祖になる野見宿禰も『日本書紀』において埴輪伝承が採録される人物になる[4][5]。この土師氏は、『続日本紀延暦9年(790年)12月30日条に「四腹」と見えるように4支族から成ることが知られるが、それらは和泉国百舌鳥、大和国菅原、大和国秋篠、河内国志紀郡丹比郡といういずれも巨大古墳群(百舌鳥古墳群佐紀古墳群古市古墳群)の営造地に対応する[3][5]。そして4支族のうち百舌鳥・菅原・秋篠の3支族は、8世紀末頃にそれぞれ大枝氏(のち大江氏)・菅原氏秋篠氏と改姓した[5][3]

当地の地名である「菅原」はスゲ(菅)の自生地・草原を意味し、元来は平城宮以西の広大な丘陵地域を指した名称とされる[2]。菅原一帯の土師氏支族については、『菅家御伝記』にも「爾来土部氏万葉居菅原伏見邑」として土師氏が居住する旨が記載されている[4]。実際に、一帯では土師氏の存在を裏付ける古墳時代後期の菅原東遺跡埴輪窯跡群(奈良市指定史跡)の存在が知られるほか[6]、菅原神社の信仰圏が土師氏の分布範囲とほぼ一致することも注目される[4][2]。史書には菅原神社以外にも菅原伏見東陵垂仁天皇陵)・菅原伏見西陵(安康天皇陵)・菅原寺(現在の喜光寺)の名称が当地の地名に由来するものとして知られるほか、菅原氏の氏名も当地の地名に由来するものとされる[7]。菅原神社の祭祀は、このような菅原の土師氏支族(のちの菅原氏)がその祖神を祀ったことに始まると見られているが、後世に菅原道真の誕生地とする説も生じ、現在は天神信仰の神社として信仰されている[2]

歴史

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創建は不詳。前述の通り、菅原の地を本貫(本拠地)とする土師氏支族(のちの菅原氏)が、その祖神を祀ったことに始まると推測される[2]。その後、南西に菅原寺(喜光寺)が創建されるとその鎮守社とされ、菅原神社とも喜光寺天満宮とも呼ばれるようになった。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では大和国添下郡に「菅原神社」と記載され、式内社に列している[2]

社伝では、文亀年間(1501年 - 1504年)に社殿が兵火にかかったほか、元禄年間(1688年 - 1704年)にも火災にあっている。寛保年間(1741年 - 1744年)に興福寺一乗院宮真敬法親王の命によって再建がなったという[4][2]

明治維新後、神仏分離によって喜光寺から独立している。近代社格制度では「菅原神社」として郷社に列した[2]2002年平成14年)には「菅原天満宮」に改称している。

境内

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本殿
  • 本殿
  • 祝詞殿
  • 拝殿
  • 社務所
  • 土蔵
  • 筆塚
  • 表門
  • 境外

摂末社

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祭事

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菅原天満宮で年間に行われる祭事は次の通り[1]

  • 月例祭 (毎月25日)
  • 祈年祭(おんだ祭) (2月25日)
  • 奈良筆まつり (3月春分日)
  • 御誕生祭、鷽替えの神事 (6月25日)
  • 例祭 (10月体育の日前日)
  • 新嘗祭 (11月25日)

文化財

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奈良市指定有形文化財

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絹本著色渡宋天神像
(奈良市指定文化財)

関係地

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菅原天満宮遺跡天神堀
菅原氏の旧館伝承地。後世に菅原道真の出生地とする説が生じ、池は道真の誕生池として信仰されている[1][9][2]

現地情報

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所在地

交通アクセス

周辺

脚注

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  1. ^ a b c 神社由緒書。
  2. ^ a b c d e f g h i j 菅原神社(式内社) 1982.
  3. ^ a b c 土師氏(古代氏族) 2010.
  4. ^ a b c d 菅原神社(平凡社) 1981.
  5. ^ a b c 土師(古代氏族事典) 2015.
  6. ^ 菅原東遺跡埴輪窯跡群(奈良市ホームページ)。
  7. ^ 菅原氏(古代氏族) 2010.
  8. ^ 絹本著色渡宋天神像(奈良市ホームページ)。
  9. ^ 菅原天満宮遺跡天神堀説明板。

参考文献

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  • 神社由緒書「菅原天満宮略記」
  • 境内説明板
  • 地方自治体発行
    • 『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年、282頁。 
    • 『奈良市史 社寺編』吉川弘文館、1985年、408-410頁。 
  • 百科事典
    • 「菅原神社」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301 
    • 『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588 
      • 「菅原氏」「土師氏」
    • 佐伯有清編 編『日本古代氏族事典 新装版』雄山閣、2015年。ISBN 978-4639023791 
      • 前川明久 「菅原氏」前川明久 「土師氏」
  • その他文献

外部リンク

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