菅原勲

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菅原勲
Isao Sugawara DSCN5935 20081207.JPG
菅原勲(第22回WSJS・ゴールデンブーツトロフィー2008優勝時)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岩手県江刺市
(現・奥州市
生年月日 (1963-07-25) 1963年7月25日(53歳)
騎手情報
所属団体 岩手県競馬組合
所属厩舎 佐藤晴記(水沢)
勝負服 胴青、袖青、白一文字
初免許年 1981年10月17日
免許区分 平地
騎手引退日 2012年3月31日
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菅原 勲(すがわら いさお、1963年7月25日 - )は、地方競馬岩手県競馬組合水沢競馬場所属の元騎手、現調教師

勝負服の服色は胴青・白一文字。岩手県江刺市(現・奥州市)出身。

概要[編集]

2010年11月29日水沢競馬場で行われたレースで通算4,000勝を達成、地方競馬の現役騎手で4番目となる快挙であり、2005年小林俊彦に破られるまでは年間204勝という記録を持っていた。ここ数年は小林と村上忍の両騎手とリーディング争いをしている。

菅原の代表的な騎乗馬にトウケイニセイメイセイオペラ、あるいはトーホウエンペラーが挙げられる。メイセイオペラとのコンビでは、統一GIのマイルチャンピオンシップ南部杯をレコード勝ちし、岩手競馬所属騎手初の統一GIジョッキーとなり、さらにはJRAのGIであるフェブラリーステークスを制し、地方競馬の騎手で初めてのJRAGIジョッキーとなった(地方馬に騎乗してのJRAのGI勝利は未だに勲のみ)。また同馬も成し遂げられなかった東京大賞典制覇を今度はトーホウエンペラーで達成。2002年2008年ワールドスーパージョッキーズシリーズへの出場を果たしており、名実ともに地方競馬を代表する騎手のひとりである。

経歴[編集]

Isao-Sugawara.jpg

主な勝ち鞍[編集]

騎手時代[編集]

GI級競走
GIII級競走

調教師時代[編集]

  • 2012年
  • 2013年
    • スプリングカップ(ロックハンドパワー)
    • ビギナーズカップ、寒菊賞(ラブバレット)
  • 2014年
    • 金杯(ラブバレット)
  • 2015年
  • 2016年

主な受賞歴[編集]

  • 1982年度 岩手競馬新人騎手表彰
  • 1990年度 NARグランプリ優秀騎手賞
  • 1991年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 1992年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 1993年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 1994年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 1995年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリベストフェアプレイ賞・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 1997年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 1998年度 NARグランプリ優秀騎手賞
  • 1999年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 2000年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 2001年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 2002年度 NARグランプリ優秀騎手賞
  • 2003年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリベストフェアプレイ賞・NARグランプリ優秀騎手賞
  • 2004年度 日本プロスポーツ大賞功労賞
  • 2007年度 岩手競馬騎手リーディング1位・NARグランプリベストフェアプレイ賞
  • 2010年度 岩手競馬騎手リーディング1位

人物・エピソード[編集]

  • 地元では「イサオ」と呼ばれる。それは岩手競馬に菅原姓の関係者が多く(騎手では他に菅原俊吏騎手と菅原辰徳騎手がいる。一時期は4名の菅原姓の騎手が所属していた)、混乱を避けるために自然と下の名前で呼ばれるようになった。
  • 日本一「ダービー」を勝っている騎手である。岩手の全国3歳交流ダービーグランプリ、岩手の3歳ナンバーワン決定戦不来方賞、東北地区3歳交流の東北優駿(東北ダービー)や東北アラブダービーなどと、エリア的にダービー格のレースが多いが、菅原勲は全国の他の騎手を寄せ付けないほど圧倒的な「ダービー」の勝利数を挙げており、地方競馬情報誌「ハロン」でもこの事が紹介されている[8]。縮小傾向の今の日本競馬界において、この記録が塗り替えられる可能性は極めて低いとされる。
  • 1997年12月、テレビ岩手の番組の企画で、小林騎手やテレビ岩手の藤村惠一アナと競馬ゲームの『ファイナルハロン』で対決したが、操作方法がイマイチが分からなかったのか最下位に終わった。 再戦を希望して再び対決したものの、またもや最下位に終わり(どちらとも1位は小林騎手)、「続きは、競馬場に来てもらえれば」とコメント。
  • JRAとの交流競走が盛んになる前、騎手としての可能性に限界を感じた勲は、毎年シーズンが終わるころに親しい関係者に引退(して厩舎を開業)すべきかの相談を持ちかけていたという。
  • デビューして以来、長期休養とは無縁だった勲だが、2004年8月にレース中落馬事故を起こし負傷。残りのシーズンを棒に振った。長期間療養するという事は初体験で、それに我慢ができなかった。のちのち、休養期間を振り返って「私には引きこもりは無理ですね」と発言した。
  • 今まで騎乗してきた馬ではトウケイニセイに一番思い入れがある様で、2009年1月に水沢競馬場でトウケイニセイの凱旋セレモニーを行った際、勲は「この馬に出会わなかったら、今の自分が無かったかもしれなかった」「トウケイニセイとメイセイオペラ、どちらが走るかよく聞かれるが、トウケイニセイは自分にとって一番思い出の馬ですし、自分の中では一番走る馬だと思っています」と話している。
  • 2010年2月21日、東京競馬の第12レース(東京ウインタープレミアム)が「メイセイオペラメモリアル」というサブタイトルで行われ(過去のフェブラリーステークスの勝ち馬から投票により選定)、レース前の誘導馬騎乗、表彰式でのプレゼンターを務めた。
  • 2011年7月15日、日本製紙クリネックススタジアム宮城において「岩手競馬ナイター」が行われ、始球式登板を務めた。この日は、岩手競馬と楽天競馬による被災地の児童・家族の招待やポニーと騎手との撮影会などが行われた。「(始球式は)最近、野球をやっていなかったので、ホームまで届くかどうか心配でしたが、上手くいきましたね。被災地の子どもたちを元気づけてあげられるイベントが行えて良かったです」とコメントしている。

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]