菅原勝矢

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菅原 勝矢
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 秋田県大館市
生年月日 (1945-04-04) 1945年4月4日(73歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1964年
初出場 1966年8月21日
最終出場 1973年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

菅原 勝矢(すがわら かつや、1945年4月4日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

秋田・鷹巣農林高では1963年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、能代簾内政雄投手に抑えられ敗退。卒業後は東京農大に進学。東都大学リーグでは1年生の二部春季リーグで3勝をあげるが、巨人のスカウトに素質を見出され、勧誘を受け中退。1964年シーズン途中で巨人入団。

2年間は1軍で登板がなかったが、1966年にプロ初登板初完封勝利。翌年は先発ローテーションの一角として11勝を記録した。1968年はリリーフが多くなるが4勝をあげる。その後は背筋の故障で2年間未勝利に終わるが、1971年に一軍に復帰。1972年には主にリリーフで13勝し、同年の阪急との日本シリーズでも1勝をあげ、巨人のV8に貢献した。なお1968年から72年までの5年間で「11連勝」、通算勝率が8割を超える“負けない投手”だった。しかし同年7月4日、阪神戦(札幌市円山球場)において安藤統夫の打球が顔面を直撃し、左目の周囲を24針縫う大怪我[1]。その後、「物が2つに見える」という後遺症で視力が低下したため、1974年には一軍登板がなく、この年限りで引退せざるを得なくなった。

変則的なフォームで、得意球はカーブ、スライダー、シュート。東北なまりで「カーブ」と言ったつもりが「ガービー」に聞こえたという理由で「ガービー君」のニックネームが付けられた。

引退後は、『ビートたけしのスポーツ大将』(テレビ朝日)の草野球コーナーで、富田勝ポップコーン正一・正二らと共にたけし軍団の助っ人としてもプレーしていた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1966 巨人 3 2 1 1 0 1 1 -- -- .500 57 13.0 11 0 7 0 0 6 1 0 4 4 2.77 1.38
1967 32 16 4 3 2 11 4 -- -- .733 557 144.0 101 10 36 3 3 107 0 1 48 44 2.75 0.95
1968 22 7 1 1 0 4 1 -- -- .800 312 72.0 67 11 36 0 2 49 3 1 36 34 4.25 1.43
1969 3 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 23 5.0 4 1 4 0 0 6 0 0 1 1 1.80 1.60
1970 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 38 8.2 6 1 5 0 0 4 1 0 5 3 3.00 1.27
1971 25 7 2 1 0 4 0 -- -- 1.000 334 78.2 66 4 35 1 6 57 4 1 30 22 2.51 1.28
1972 33 7 2 0 0 13 2 -- -- .867 439 103.2 79 7 44 0 4 81 2 0 33 28 2.42 1.19
1973 6 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 44 10.1 13 4 2 1 0 5 0 0 8 8 7.20 1.45
通算:8年 127 40 10 6 2 33 8 -- -- .805 1804 435.1 347 38 169 5 15 315 11 3 165 144 2.98 1.19

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 68 (1964年)
  • 65 (1965年 - 1969年)
  • 26 (1970年 - 1974年)

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 8回裏2死一塁の場面で登板し、藤田平を1球で抑え、その後巨人が逆転した。[2]

出典[編集]

  1. ^ ベースボール・マガジン社刊「ジャイアンツ80年史 PART3」88ページ
  2. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」844ページ

関連項目[編集]