馬車

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馬車(チェコ、2005年)
フランス、fr:Vaux-le-Vicomteの博物館に展示されている1840年ころの馬車。
ロシア、エルミタージュ美術館に展示されている豪奢な馬車
1905年、米国 ネヴァダ州にて。

馬車(ばしゃ)とは、人を乗せたり、荷物を運搬する、などに引かせるである。馬だけでなく、ロバ騾馬などに引かせることもある。

現在は世界的に自動車にとって代わられつつあるが、インドや北アフリカ、東欧の一部や、中国の奥地など、農業の機械化が進展していない国や地域の農村部では、現在でも荷馬車を日常的に見ることができる。

歴史[編集]

馬車がいつ何処で発明されたか明らかではないが、インダス文明の遺跡であるハラッパーからは、轍(わだち)がある道路跡が発掘されている。

紀元前2800年から2700年の古代メソポタミア遺跡から、馬車の粘土模型が発掘されている。この模型は2頭立て2輪の戦車(チャリオット)であった。戦車は古代オリエント世界と古代中国の商(の墳墓から戦車と馬の骨が多数出土)から時代などで広く用いられた。

紀元前3000年頃の青銅器時代コロの原理から車輪が生まれ、それが紀元前2000年頃のの発明と結びついて、組み立て車輪の馬車が誕生した[1]

古代ローマでは戦闘用として戦車が用いられたほか、娯楽として戦車競走が盛んに行われた。現在のローマ市にあるナヴォーナ広場は当時の戦車競技場の跡地であり、広場全体の形が当時の競技場のまま残されている。映画ベン・ハー』で描かれた戦車競技が良く知られている。

また、古代ローマの帝政期には、帝国全土にはりめぐらされたローマ街道を用いた郵便馬車制度が整備された。この郵便馬車は4輪であった。ローマ帝国が衰退すると、都市間の道路網の整備が行き届かなくなり、馬車の発展を妨げた。

14世紀ハンガリーでは、で座席を吊り下げた懸架式の馬車が登場し、17世紀にはバネによるサスペンションを備えた馬車が登場した。

16世紀後半には、ヨーロッパ諸宮廷において馬車の使用が新しい流行として広まり、同世紀末までに馬車は貴族階級の主要な移動手段となり、宮廷儀礼においても馬車が重要な役割を果たすようになった[2]。こうした馬車の急速な普及により、馬車のための諸設備が必要となり、建築や都市計画にも影響を与えていった[2]

1625年ロンドンに辻馬車が登場。ほどなく、パリにも登場している。辻馬車は、走行時間によって料金が設定されていたが、19世紀にはメーターが導入されたことにより、走行距離によって料金が示されるようになる。このシステムはタクシーに引き継がれた。

1662年ブレーズ・パスカルはパリで乗合馬車5ソルの馬車」を創業する。これは現代のバスに相当するもので、世界初の都市における陸上公共交通機関とされる。安価で正確な運行により、好評を博した。

18世紀に入ると、ヨーロッパの主要都市間を結ぶ駅馬車が整備されてくる。例えばパリリヨン間の駅馬車であるdiligenceは、夏は5日、冬なら6日で、両都市間を結んだ。

19世紀に馬を動力として鉄道を走る馬車鉄道が発明された。しかし、蒸気機関車が発明されたことから、馬車鉄道は衰退した。蒸気機関車発明後もどこでも自由に移動できる馬車はヨーロッパの都市部で盛んに利用された。また、19世紀のパリでは、「昼は2人乗りの二輪馬車、夜は箱型四輪馬車」を所有することが富裕層のステータスでもあり、悪路の多いパリでは衣服を汚さない馬車の利用が上流階級の証だった[3]

イギリスでは辻馬車であるハックニーキャリッジのうち、エンジンで走行するものは車体が黒色に塗られており、一般にブラックキャブ(black cabs)と呼ばれていた。現在ではロンドンタクシーの通称ともなっている。

またアメリカ合衆国では西部開拓が盛んになり、開拓民は幌馬車隊を組んで西部に向け移住していったが、その後、馬車の車体を改造し蒸気機関を搭載した蒸気自動車やガソリン等を燃料にしたエンジンを搭載した自動車が発明されたことにより、馬車は陸上交通機関の主役の座を奪われ、急速に衰退していった。

アメリカ合衆国アーミッシュはその教義・信念によって自動車を運転しないため、現在も馬車を実用的な交通機関として使っている。米国の道交法に違反しないよう、方向指示器などを取り付けている。

様々なタイプ[編集]

イギリスのカブリオレ

馬車の形状や用途ごとに次のような分類がされることがある。ただし、厳密な分類体系があるというわけではなく、一部は重なる。

バギーカブリオレクーペワゴンなど、自動車の分類に引き継がれた呼称もある。

ギャラリー[編集]

馬車犬[編集]

ヨーロッパでは、8世紀から19世紀に馬車の馬の護衛犬として、グレートデンダルメシアンが使用された。

日本と馬車[編集]

歌川芳虎画、明治時代の馬車
信任状捧呈式の馬車

日本にはウシを用いた牛車は近世期でも使われていた[4]ものの、馬の引く車は明治時代まで存在しなかった。1869年から東京-横浜間を乗客輸送用として乗合馬車の営業を開始させたのを機に馬車が普及し日本各地で広まり、農業や資材輸送・軍事など各分野で、重量物の輸送に広く使われた。明治13年12月には「馬車取締規則」が作られ、乗合馬車は1匹立て6人、2匹立て10人までと乗車制限が設けられた[5]。明治15年(1882年)にはレールの上を馬車が走る「馬車鉄道」が東京で始まり、電気による鉄道が普及する以前の交通機関として地方でも広く普及した[6]

旧日本陸軍では終戦まで機械化が進まず、補給や大砲の牽引に多くの馬を使用した。陸軍では明治36年(1903年)に軍用荷馬車の規格を統一し、三六式輜重車として制式化した。これは馬一頭で引くもので、荷物の積載量1.5トン、速度4.5kmと、人間の歩く速度なみであった。

現在では馬車は基本的に自動車にとってかわられたので、あえて使われる場面は限られていて、ひとつは儀礼的な行事である。現代でも、王皇族結婚式では馬車によるパレードで使われる。また、日本においては各国から来日した特命全権大使等は、信任状捧呈式のための参内に際して、明治生命館前から宮殿南車寄までの大通りを、宮内庁が差遣わす儀装馬車か自動車どちらかに乗って移動する。ほとんどの大使は騎馬皇宮護衛官警視庁警察官によって警護されて馬車に乗って移動することを希望している。→信任状捧呈式の際の馬車列(宮内庁HP) また、鳥取砂丘などの観光客向けの乗り物としても、ロバのパン屋で子供たちを魅了するためにも使われている。

日本の道路交通法での扱い

馬車は軽車両として扱われる。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 自動車前史 1.自動車の起源は馬車に始まる立行政法人環境再生保全機構
  2. ^ a b 馬車と宮殿-17世紀のピッティ宮諸計画案における馬車の影響金山弘昌、日本橋学館大学紀要 第2号、2003
  3. ^ 馬車の時代市川市文化振興財団音楽総合プロデューサー 小坂裕子、てこな・ミューズ・ジャーナル
  4. ^ 東海道五十三次「大津宿」
  5. ^ 交通法規制の変遷-明治時代期以後の交通法規岡田清、公益財団法人国際交通安全学会
  6. ^ 山中馬車鉄道株式会社と その客車の遺構について 山崎幹泰、北陸都市史学会誌15号、2009年7月
  7. ^ 「VANITY FAIR<虚栄の市>を馬車が行く : Thackerayが描くsnobberyの一側面」斎藤和夫

関連書籍[編集]

  • 『明治の郵便・鉄道馬車』東西交流叢書第3巻 篠原宏 雄松堂出版 ISBN 4-8419-0034-9