荒瀬豊

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荒瀬 豊(あらせ ゆたか、1930年昭和5年)2月15日 - )は、日本社会学者である[1]

経歴・人物[編集]

東京府(現在の東京都)の生まれ[1]東京大学卒業後[1]1952年(昭和27年)に朝日新聞社に入社する[1]。翌1953年(昭和28年)に退社後は[1]、母校の東京大学内の新聞研究所職員として活動した[1]

1972年(昭和47年)には同大学の教授となり[1]、同大学退職後は日本女子大学にて社会学の教鞭を執った[1]。同大学勤務中は日高六郎らと共に天皇制イデオロギー言論統制[1]マスメディア等の大衆文化の研究に携わった[1]

著書[編集]

  • 『自由・歴史・メディア-マスコミュニケーション研究の課題』

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 荒瀬豊”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月19日閲覧。