荒滝山城

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荒滝山城
山口県
荒滝山城跡の遠景
荒滝山城跡の遠景
別名 荒滝城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 内藤氏
築城年 不明(天文年間?)
主な城主 内藤氏、益田氏
廃城年 江戸時代前期
遺構 石垣、堀跡、土塁
指定文化財 山口県指定史跡(荒滝城跡)
位置 北緯34度8分58.5秒
東経131度17分57.5秒

荒滝山城(あらたきやまじょう)は山口県宇部市荒滝山にあった戦国時代日本の城連郭式山城)。荒滝城ともいう。城跡は山口県の史跡に指定されている。

概要[編集]

標高459mの荒滝山で、遺構は東西約700m、南北約200mの範囲に広がる。山頂の主郭を中心として、東側尾根に築かれた出丸(千畳敷)と西側尾根の西郭の3つの曲輪群で構成される。尾根伝いの敵の侵入を防ぐための堀切が郭の周囲を固め、北側斜面には、畝状空堀群があるなど、戦国時代末期の山城の特徴を残す。山口県内の山城としては最大級のもの。山頂からは、南の瀬戸内海から内陸方面の吉部盆地・美東・秋芳地域など広範囲を展望できる要衝に位置している。

大内氏の重臣で長門国守護代に任じられていた内藤氏居城と伝えられる(『萩藩閥閲録』・『防長風土注進案』)。同城は戦時に篭る詰め城だったと思われ、平時の生活は山麓の今小野(荒滝山の北東部)に居館があったと考えられている。発掘調査で、大内氏とかかわる遺跡で特徴的に出土する京都系の土師器に加え、中国・朝鮮から輸入された陶磁器なども出土しており、大内氏と内藤氏の関わりの深さを示している。

山口県の史跡指定にあたって、山口県教育委員会は、保存状態の良さに加え、発掘調査で時期の推定ができる点から地域の歴史を考える上で極めて貴重な史跡であるとした。

歴史[編集]

築城の時期は不明だが、戦国時代に大内氏・毛利氏の重臣内藤隆春が居城としていた記録が『注進案』に残る(出土品も16世紀半ば〜後半のもの)。一説には天文年間(1532年1555年)に築いたとされる。

弘治4年6月28日1558年7月23日)の『岩武十左衛門家文書』の記録では、内藤家臣の岩武実秀城番となる。さらに1600年慶長5年)頃までには益田元祥が城主となった。

江戸時代に入って廃城となるが、『注進案』によると跡地の山頂が狼煙場として使われたとされる。

1994年楠町指定文化財(2004年市町村合併以後は宇部市指定文化財)となる。2005年までに行われた発掘調査により、虎口・石積み・石段などが確認された。2008年には山口県の史跡となった。

所在地[編集]

山口県宇部市東吉部荒滝

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館
  • 現地説明板「荒滝山城跡 山口県指定文化財(史跡)」宇部市教育委員会

外部リンク[編集]