荒戸源次郎
あらと げんじろう 荒戸 源次郎 | |||||||||||
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本名 | 吉村 敏夫 | ||||||||||
生年月日 | 1946年10月10日 | ||||||||||
没年月日 | 2016年11月7日(70歳没) | ||||||||||
出生地 | 日本 長崎県 | ||||||||||
職業 | 映画プロデューサー、映画監督、俳優 | ||||||||||
ジャンル | 映画、オリジナルビデオ、テレビドラマ、舞台 | ||||||||||
所属劇団 | 天象儀館 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
監督 『赤目四十八瀧心中未遂』 製作・製作総指揮 『ツィゴイネルワイゼン』 『どついたるねん』 『ゲルマニウムの夜』 | |||||||||||
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荒戸 源次郎(あらと げんじろう、1946年10月10日 - 2016年11月7日)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、俳優である。劇団天象儀館主宰。本名は吉村 敏夫(よしむら としお)[1]。
来歴
[編集]1946年10月10日、長崎県に生まれる[2]。船乗りだった父方の祖父は隠れキリシタンで、ポルトガル系ともいわれる外国人の血を引いていた[3]。生後間もなく福岡市に転居し、九州大学入学時まで福岡に住む[2]。高校時代はラグビー部に所属し、熊本のヤクザの家に寝泊りし、パチンコ屋で用心棒まがいの仕事をしていたこともある[3]。
学生運動に身を投じ、九州大学建築科を数か月で中退して上京[3]。唐十郎主宰の劇団状況劇場と出合い、演劇の道に進む[2]。状況劇場では若頭的な存在だったが、公演中、劇団仲間3人に暴力をふるったため10か月でクビになった(このとき、荒戸の後釜として入ったのが根津甚八だった)[3]。
1972年、上杉清文らと劇団天象儀館を旗揚げする。他の団員に、杉田一夫(作曲家)、秋山道男、櫻木徹郎(さぶ (雑誌)編集長)、熊倉正雄、田中陽造、大和屋竺、河内紀、平岡正明がいた。劇団員は全員で一軒家を借りて共同生活をしていた[4]。1973年、大和屋竺監督、田中陽造脚本による映画『愛欲の罠』を製作、自ら主演した。
1980年、鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』を製作する。同作の映画公開のために専用の小屋を建てるという、製作・興行を一体で行う方式(シネマ・プラセット)を成功させる。1981年には、やはり鈴木清順監督の『陽炎座』を製作。
1989年、監督阪本順治と俳優赤井英和のデビュー作品『どついたるねん』を手がける。その後、鈴木清順監督の『夢二』、阪本順治監督の『鉄拳』『王手』『トカレフ』、そして坂東玉三郎監督の『外科室』などを製作した。
1995年、内田春菊原作の『ファザーファッカー』で映画監督デビューを果たす[5]。2003年、車谷長吉原作の『赤目四十八瀧心中未遂』を監督し、主演の大西滝次郎と寺島しのぶの映画デビューを手がける。同作は、毎日映画コンクール日本映画大賞、ブルーリボン賞作品賞などを受賞し、キネマ旬報ベストテンでは第2位に選出された。
2005年、大森立嗣監督の『ゲルマニウムの夜』の上映を目的として、映画館の一角座が上野公園の東京国立博物館の敷地内に建てられ、その製作総指揮を執る。2007年、小説家の夏石鈴子と結婚する。2010年、生田斗真主演の『人間失格』を監督する[6]。
2013年、劇作家の松枝佳紀の出演要請を受け入れ、劇団アロッタファジャイナの公演『国家〜偽伝、桓武と最澄とその時代〜』に最澄の師行表役として出演した。同年、夏石鈴子との離婚が成立した。2014年、状況劇場の後輩となる佐野史郎を主演に迎えた舞台『安部公房の冒険』を演出し、新国立劇場小劇場にて上演した[7]。
2016年11月7日、虚血性心疾患のため死去[8][9]。70歳没。
自身のベスト作品
[編集]『キネマ旬報オールタイムベスト映画遺産200 外国映画篇(2009)』20pで、ジャン・コクトー『オルフェ』、フェデリコ・フェリーニ『道』、ビリー・ワイルダー『お熱いのがお好き』、リチャード・レスター『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』、ロジェ・ヴァディム『血とバラ』、クリント・イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』、ギャヴィン・ミラー『ドリーム・チャイルド』、ノーマン・ジュイソン『シンシナティ・キッド』、ハワード・ホークス『リオ・ブラボー』、サム・ペキンパー『ワイルドバンチ』を挙げている。
フィルモグラフィー
[編集]特記のないものは製作のみ担当。
映画
[編集]- 戦国ロック 疾風の女たち(1972年) - 出演
- 愛欲の罠(1973年) - 製作・出演
- ツィゴイネルワイゼン(1980年)
- 時の娘(1980年) - 出演
- 陽炎座(1981年)
- ヘリウッド(1982年)
- どついたるねん(1989年)
- 鉄拳(1990年)
- 王手(1991年)
- 夢二(1991年)
- 外科室(1992年)
- エロティックな関係(1992年) - 出演
- RAMPO(1994年) - 出演
- トカレフ(1994年)
- ファザーファッカー(1995年) - 監督
- 水の中の八月(1995年) - 出演
- 人間の屑(2001年) - 出演
- 赤目四十八瀧心中未遂(2003年) - 監督
- ラブドガン(2004年) - 出演
- ゲルマニウムの夜(2005年)
- 人間失格(2010年) - 監督
- 捨てがたき人々(2013年) - 出演
オリジナルビデオ
[編集]- 春桜 ジャパネスク(1983年)
テレビドラマ
[編集]- 硝子の葦(2015年、WOWOW) - 出演
舞台
[編集]- 国家〜偽伝、桓武と最澄とその時代〜(2013年、アロッタファジャイナ) - 出演
- 安部公房の冒険(2014年、アロッタファジャイナ) - 演出
脚注
[編集]- ^ 荒戸源次郎氏が死去 映画プロデューサー 日本経済新聞 2016年11月8日
- ^ a b c “荒戸源次郎 - 毒気と熱気吐くシネマの一匹狼”. ZAKZAK. 産経新聞社 (2006年11月27日). 2015年8月19日閲覧。
- ^ a b c d 佐野眞一『人を覗にいく』阪急コミュニケーションズ、1995年。[要ページ番号]
- ^ 『SPECTATOR』Vol.46 秋山道男 編集の発明家、2020年、p131
- ^ “淀川長治の銀幕旅行 ファザーファッカー”. ENAK. 産経新聞社 (1995年5月30日). 2015年8月19日閲覧。
- ^ “「ジャニーズへの評価が変わった」荒戸源次郎「人間失格」生田斗真を絶賛”. 映画.com (2010年2月25日). 2015年8月19日閲覧。
- ^ “佐野史郎が安部公房役に挑戦”. 読売新聞. 読売新聞社 (2014年8月22日). 2015年8月19日閲覧。
- ^ “訃報:荒戸源次郎さん70歳=映画製作「どついたるねん」”. 毎日新聞 (2016年11月7日). 2020年11月27日閲覧。
- ^ “映画プロデューサー・荒戸源次郎さん死去”. 朝日新聞. (2016年11月7日) 2016年11月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- 荒戸源次郎 - allcinema
- 荒戸源次郎 - KINENOTE
- 荒戸源次郎 - 日本映画データベース
- Genjiro Arato - IMDb