荒尾興功

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荒尾 興功
生誕 1902年3月18日
日本の旗 日本 高知県
死没 1974年8月22日(満72歳没)
所属組織 日本陸軍
軍歴 1923 - 1945
最終階級 陸軍大佐
除隊後 官僚(第一復員省総務課長、復員庁第一復員局総務部長、連絡部長)
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荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年3月18日 - 1974年8月22日)は、日本陸軍軍人官僚。最終階級は陸軍大佐

生涯[編集]

高知県出身。荒尾大吉海軍大尉の長男として生まれる。横須賀中学仙台陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1923年(大正12年)7月、陸軍士官学校(第35期)を卒業。同年10月、陸軍少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を優等で卒業した。

1931年(昭和6年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員(徴募課)を経て、1934年(昭和9年)11月からソ連駐在。1936年(昭和11年)3月から1937年(昭和12年)5月までポーランド公使館付武官補佐官に在任。1937年5月、人事局課員に発令され、同年7月に帰国し、翌月、陸軍少佐に昇進。

1938年(昭和13年)4月、参謀本部員(作戦班)に就任し、1939年(昭和14年)8月、陸軍中佐に進級。1940年(昭和15年)9月、陸軍歩兵学校教官となり、大本営付(関東軍参謀第5課)を経て、1941年(昭和16年)11月、南方軍参謀に発令され太平洋戦争を迎えた。

1942年(昭和17年)5月、参謀本部船舶課長に転じ、同年8月、陸軍大佐に昇進。参謀本部運輸課長を経て、1945年(昭和20年)4月、軍務局軍事課長に就任。終戦間際のクーデター計画に加わった(宮城事件)。同年12月に復員し、第一復員省総務課長に就任。

1946年(昭和21年)6月、復員庁第一復員局総務部長に就任し、復員業務部長に異動。1948年(昭和23年)7月から1949年(昭和24年)3月まで戦犯容疑により巣鴨拘置所に拘留されたが不起訴となった。1950年(昭和25年)8月から1952年(昭和27年)5月まで連絡部長を務めた。

伝記[編集]

  • 高山信武編『荒尾興功さんをしのぶ』1978年。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

外部リンク[編集]