苅安賀城

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苅安賀城(かりやすかじょう)は、現在の愛知県一宮市苅安賀にかつて存在した、戦国安土桃山時代日本の城平城)である。東西42、南北32間の規模で内外二重堀の構えであった。

歴史[編集]

永禄4年(1561年)に、近江の浅井氏庶族の浅井政貞(新八郎)により築城されたといわれている。 新八郎の死後、その子田宮丸(浅井長時)が後を嗣ぎ、本能寺の変織田信忠が討死すると、信忠次弟の信雄に仕え、家老の一人となった。 羽柴秀吉に内通したと疑われ、信雄と不和となる。天正12年(1584年)、信雄から和解の為、同じく信雄と不和になった岡田重孝津川義冬と共に長島城に呼び出され、ここにおいて三家老共に討たれた。信雄は、長時を討った森久三郎(森勘解由、毛利伊勢守)を城主とした。 小牧・長久手の戦いでは、信雄・家康軍の城として、尾張西部において重要な役割を負ったといわれる。

現在[編集]

現在苅安賀自動車学校の南西に石碑があるのみ。城の形跡は全くない。

アクセス[編集]

名鉄苅安賀駅北へ徒歩3分。

関連項目[編集]