芹沢助次郎

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芹沢 助次郎(せりざわ すけじろう、芹澤助次郞、天保14年3月10日(1843年4月9日) - 慶応元年2月15日1865年3月12日))は、幕末期の水戸藩士、志士。介次郎とも。は豪幹(さともと)。位階は贈従五位(1907年)[1]。1889年(明治22年)、靖国神社に合祀された[2]。本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏

生涯[編集]

水戸藩馬廻組芹沢平蔵義幹の三男として生まれる。祖父は又衛門以幹、兄は又衛門孝幹、弟に亀三郎(明治以後は馨)。母は小沢清光(瑠伊とも)。

天狗党武田耕雲斎とともに越前国敦賀まで上り、同年12月11日、ここで加賀藩に降伏した。助次郎は天狗党一党とともに捕縛され、翌年の2月15日(新暦3月12日)に斬首された。なお、明治22年(1889年)5月、水戸天狗党一党は靖国神社に合祀された。

脚注[編集]

参考文献[編集]

『勤王殉国事蹟 五十九』東京大学史料編纂所 

関連項目[編集]