芬皇寺模塼石塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
慶州芬皇寺模塼石塔
大韓民国指定国宝第30号
(1962年12月20日指定)
各種表記
ハングル 경주 분황사 모전석탑
漢字 慶州 芬皇寺 模塼石塔
発音 キョンジュ プナンサ モジョンソクタプ
日本語読み: けいしゅう ふんこうじ もせんせきとう
英語表記: Stone Brick Pagoda of Bunhwangsa Temple, Gyeongju
テンプレートを表示
芬皇寺 분황사の位置(大韓民国内)
芬皇寺 분황사
芬皇寺
분황사
芬皇寺の位置(大韓民国の旗 韓国
慶尚北道 慶州市九黄洞313(芬皇路94-11)

芬皇寺模塼石塔(ふんこうじ もせんせきとう、ハングル분황사 모전석탑〈プナンサ モジョンソクタプ〉)は、韓国慶尚北道慶州市九黄洞の芬皇寺にある新羅時代(7世紀)の模塼石塔朝鮮語版である。1962年12月20日、大韓民国国宝第30号に[1]芬皇寺石塔(ハングル분황사 석탑)として指定され[2]、現在は慶州芬皇寺模塼石塔ハングル경주 분황사 모전석탑)と称される[1]。2000年11月、慶州歴史地域(慶州歴史遺跡地区、ハングル경주역사유적지구)として国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産文化遺産)に登録された皇龍寺朝鮮語版地区の遺跡の1つである[3]

歴史[編集]

石塔が建立された年代は、芬皇寺の創建当初の善徳女王3年(634年)と考えられる。今日に残存する新羅の石塔のなかでも最も古いもので[4]、中国の塼(せん〈煉瓦〉)の仏塔を模して[5]安山岩を煉瓦状に整えて積み上げた模塼石塔(模塼塔)であり[6]、慶州に現存する唯一のものである[7]。現在の塔は3層となるが、元来の規模は明らかではない。史料によれば9層の塔であったとも伝わるが、皇龍寺九層塔(木塔)[8]との混同が考えられる。また、7層もしくは5層とも唱えられるものの本来の形は未詳である[9]

古新羅の塔(1906年)

13世紀のモンゴルの高麗侵攻[10]、それに壬辰倭乱文禄の役、1592年)において半ば破壊された後、史料によると、知識のない(愚僧)が改築を試みた結果さらに損壊したとされる[11]。その後、1915年に朝鮮総督府が修理した際、2層と3層の間より見つかった舎利函(しゃりかん、ハングル사리함〈サリハム〉、石函[12])が取り出され、函内より玉・銅製・銀製針筒・金製針・金製鈴・金属製糸巻・香木[12]・貝(イモガイ)などのほか、銀製盒(ごう)とともに高麗(918-1392年)以降の古銭(銅銭)が発見されたことから、後の高麗時代に再び納められたと考えられ[13]、塔の改築が示唆される[14]。現在の塔は、1915年に日本人の手で修築されたもので3層の形で残存する[12]

構成[編集]

現在の模塼石塔は、高さ9.3メートル。基壇は一辺約13メートル(東西13m、南北13.2m[15])、高さ約1.06メートルで、割石を積み上げて築かれ、塔身の底部まで約0.36メートル高く傾斜する[6]。基壇の四隅にはそれぞれ花崗岩の獅子像が配置されている。基壇中央に備えた花崗岩の台石上に、一辺約6.6メートル (6.5m[15]) 、高さ約4メートルとなる第1層塔身が[16]、灰黒色の安山岩を塼(煉瓦)状にした長径30-45センチメートル、厚さ4.5-9センチメートルの石材で構築され[15]、上方に第2・3層が幅を狭めながら積み重なる[1]

第1層塔身の四面に龕室(がんしつ)があり、入口に備えられた石扉の両側に、花崗岩による金剛力士(仁王)像が配置される[16][17]。彫像は8体すべてが残存し、建立された7世紀前半の古新羅(三国時代新羅)時代の様式を呈している[6][18]。龕室には今日石仏があるが、本来はなく、後年に安置されたものである[17]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 경주 분황사 모전석탑(慶州 芬皇寺 模塼石塔)”. 국가문화유산포털. 문화재청 (2000年). 2023年2月27日閲覧。
  2. ^ 韓国文化財保護協会 (1991)、98・249頁
  3. ^ 慶州歴史遺跡地区[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](경주역사유적지구[유네스코 세계문화유산])”. Visit Korea. 地域ガイド. 韓国観光公社 (2021年7月30日). 2023年3月5日閲覧。
  4. ^ 秦 (1973)、92-93頁
  5. ^ 塼塔”. コトバンク. 2023年3月8日閲覧。
  6. ^ a b c 국보 제 30호 분황사석탑(芬皇寺石塔)”. 신라문화유산연구원 (2021年). 2023年3月8日閲覧。
  7. ^ 秦 (1973)、93-94頁
  8. ^ 皇竜寺九層塔”. コトバンク. 2023年3月8日閲覧。
  9. ^ 東、田中 (1988)、151-152頁
  10. ^ 「歴史探訪 韓国の文化遺産」編集委員会 編『歴史探訪 韓国の文化遺産 下 慶州・釜山』山川出版社、2016年、121頁。ISBN 978-4-634-15088-1 
  11. ^ 東、田中 (1988)、152頁
  12. ^ a b c 秦 (1973)、93頁
  13. ^ 芬皇寺石塔舎利具”. 国立慶州博物館. 展示. 国立慶州博物館 (2017年). 2023年3月8日閲覧。
  14. ^ 東、田中 (1988)、152-153頁
  15. ^ a b c 韓国文化財保護協会 (1991)、249頁
  16. ^ a b 秦 (1973)、94頁
  17. ^ a b 東、田中 (1988)、153頁
  18. ^ 山本 (1961)、34-35頁

参考文献[編集]

関連項目[編集]

座標: 北緯35度50分26秒 東経129度14分01秒 / 北緯35.84056度 東経129.23361度 / 35.84056; 129.23361