芦屋浜シーサイドタウン
芦屋浜シーサイドタウン | |
---|---|
情報 | |
用途 | 集合住宅 |
設計者 | ASTM企業連合 |
施工 | ASTM共同企業体 |
建築主 |
兵庫県 兵庫県住宅供給公社 日本住宅公団 株式会社アステム |
構造形式 | 鉄骨造 |
敷地面積 | 202,851 m² |
建築面積 | 19,461 m² |
延床面積 | 308,701 m² |
階数 | 29階 |
戸数 | 3,381 |
着工 | 1976年1月 |
竣工 | 1979年7月 |
所在地 | 兵庫県芦屋市高浜町、若葉町 |
座標 | 北緯34度43分11秒 東経135度19分05秒 / 北緯34.71972度 東経135.31806度座標: 北緯34度43分11秒 東経135度19分05秒 / 北緯34.71972度 東経135.31806度 |
芦屋浜シーサイドタウン(あしやはまシーサイドタウン)とは、1972年3月に策定された「芦屋浜埋立地構想・計画」に基づき建造された兵庫県芦屋市の集合住宅群である。新日本製鐵、竹中工務店、高砂熱学工業、松下電工、松下興産といった大企業がチームとして建設に参加した[1][2]。特に敷地中央に位置する高層住宅はその独特なデザインと工法から画期的な建築として知られている[1][2][3]。総戸数3,381戸、総床面積34万平方メートル、総延人員70万人、総費用480億円の大事業であった[4]。1979年7月に竣工。芦屋浜団地[1]、芦屋浜高層住宅[5]とも呼ばれる。1981年第22回日本建設業連合会BCS賞受賞[4][6]。
経緯
[編集]芦屋浜の埋め立て
[編集]1960年代は、戦後復興から都市開発への移行期であり、各地でニュータウンの開発が進められていた[7]。芦屋市でも海岸地区の埋め立てによる居住区拡充を計画した[2][8]。海を埋め立てて住宅都市を建設する構想は、当時は全国的にも稀な例であった[9]。開発面積が芦屋市の4分の1にあたる大事業のため兵庫県が事業主体となった[8]。兵庫県企業局(現・企業庁)は1969年から1975年にかけて、芦屋浜地区に総面積約125ヘクタール(約38万坪)の埋立事業を行った[2][10]。
芦屋市は1951年に国際文化住宅都市建設法を制定し[11]、街づくりの指針としていた。1971年、これをもとにして芦屋市総合計画を策定し[12]、芦屋浜埋立地の利用について良質な住宅と良好な住環境を整備した街づくりの基本方針が立てられた[2]。兵庫県企業局と芦屋市の間で協議が重ねられ、1972年3月、芦屋浜埋立地利用をより具体化するための「芦屋浜埋立地構想・計画」がまとめられた[2]。建設省の意向もあり、この埋立地中央部の高層住宅地区(約20ヘクタール)について設計競技(コンペティション)が行われることになった[2]。
コンペティション
[編集]建設省、兵庫県、芦屋市、日本住宅公団(現・都市再生機構)、兵庫県住宅供給公社、日本建築センターの6団体が主催者となり、昭和47年2月に募集が行なわれた[2][13]。このコンペティションでは、工業化工法の開発、建設費のコストダウン、総合的な街づくりに重点がおかれ、さらに建築後の継続的な管理も求められたため[8]、複数の企業がグループとなって応募する形となった。結果として127の企業、22グループからの応募があり[14]、新日本製鐵、竹中工務店、高砂熱学工業、松下電工、松下興産から構成されるASTM企業連合が当選した[2][13]。ASTMとは、芦屋市と上記各企業の頭文字から取った頭字語である[2][14]。実際の事業にあたって、上記5社はASTM共同企業体を設立した。また、完成後の管理事業を担当するための株式会社アステムも設立された。
1976年1月より建築が開始され、1979年3月より竣工に先駆けて入居開始となった。1979年7月に竣工した[2]。埋立地における高層建築につき、地下32–39メートル、計2,307本の杭が打ち込まれた[2]。
特徴
[編集]建築の際立った特徴として、階段室部分を柱、5階ごとの共用階部分を梁とした巨大な鉄骨ラーメン構造を採用したことが挙げられる[13]。この巨大な構造体に、工場で作ったプレキャストコンクリート製住居ユニットをはめ込む[15]。この工法により住居内には梁がなく、間取りが自由で広く使用できるメリットが生まれた[5]。
上記構造につき、エレベーターは共用階にのみ停止し、住居へ至るためには停止階から上方または下方に階段で移動することとなる。共用階は水平方向の吹き抜け構造となっている。
高層住宅地区全体を対象に、地域暖房給湯システムが導入された[16]。防災については地区管理センターで住戸内各室および共用部分の監視制御を行い、火災信号は消防署へ、エレベーター故障信号はエレベーターメーカーのサービス部門に通報される。芦屋浜全域で真空ごみ収集システムを整備しており[16]、高層住宅地区では日々のごみは、各棟の共用階と1階に設置されたごみ投入口からボトムバルブ室に蓄えられた後に、1日4回真空ごみ搬送パイプによって埋立地南東の焼却場に自動搬送される。
緑地率は42.5%であり[8]、地区内に広場・緑道・公園を備え、自然との触れ合いが可能な設計とされた。歩道と車道が分離していることも特徴である[8]。
アンケート
[編集]1982年に住民に対して行われたアンケートによれば[8]、長所として、緑が多い、日当たりがよい、景色が良い、車道と歩道の分離、また保育所、学校、スーパーなどが近いこと、大阪や神戸に近く、その割に住宅価格が安いことが挙げられた。短所として、階段の上り下りがきつい、窓の構造が掃除に不便、給湯の問題、自転車置き場不足、集会所不足が挙げられた。
竣工直前のトラブル
[編集]竣工直前、教育問題に関して芦屋市と兵庫県の間で対立が生じた[2][10]。1979年1月、芦屋市は県への抵抗として、シーサイドタウンへの給水の停止、ごみ処理装置の利用停止を行ったほか、地区の学校を開校させないなどの措置を取った[10]。道路も未完成でショッピングセンターも開店していない状態であった[10]。同年3月、兵庫県と兵庫県住宅供給公社は神戸地方裁判所尼崎支部に仮処分申請を行った[2][10]。芦屋市の姿勢は軟化しないまま同年3月15日の入居開始となり[2]、新住民は「水なし、足なし、学校なし、食料品なし」という多大な迷惑をこうむる形となった[10]。入居者らが主体となって働きかけを行い[10]、裁判所の調停で和解が成立し、シーサイドタウンは徐々に正常に機能するようになった[2]。このトラブルは、地域住民組織の形成を促す大きな要因となり、1979年6月には早くも「芦屋浜住民連絡協議会」が発足した[10]。
関連項目
[編集]- 日本のニュータウン
- マンモス団地 - 当団地周辺の大阪市住之江区から神戸市中央区までの臨海部には南港ポートタウン、武庫川団地、西宮マリナパークシティ、六甲アイランドシティ、HAT神戸などのマンモス団地が多数存在する。
- 村上春樹 - 『辺境・近境 写真篇』の中で「モノリスの群れ」と評した[17][18]。
外部リンク
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “芦屋浜団地”. 団地R不動産. 2022年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “芦屋浜シーサイドタウン高層住宅地区とは”. www.ceres.dti.ne.jp. 2022年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月26日閲覧。
- ^ “ほぼ日刊イトイ新聞 - 21世紀の「仕事!」論。”. www.1101.com. 2022年6月26日閲覧。
- ^ a b “特別賞 芦屋浜高層住宅街”. www.nikkenren.com. 2022年6月26日閲覧。
- ^ a b “芦屋浜高層住宅”. www2.panasonic.biz. 2022年6月26日閲覧。
- ^ “第22回受賞作品(1981年)”. www.nikkenren.com. 日本建設業連合会. 2022年6月26日閲覧。
- ^ 国土交通省. “住宅団地開発の歴史”. www.mlit.go.jp. 2022年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 海野道郎 (1983年3月). “高層住宅の理想像を求めて 芦屋浜シーサイドタウンにおける事例研究(1)”. www.kwansei.ac.jp. 2022年6月26日閲覧。
- ^ “日本のニュータウン開発と (株)市浦ハウジング&プランニングの取り組み”. www.ichiura.co.jp. 2022年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 倉田和四生 (1982年12月). “芦屋浜シーサイドタウンのコミュニティ活動”. www.kwansei.ac.jp. 2022年7月9日閲覧。
- ^ “国際文化住宅都市・芦屋市の歩み”. www.city.ashiya.lg.jp. 2022年6月26日閲覧。
- ^ “芦屋市/芦屋市のあゆみ-昭和30年~”. www.city.ashiya.lg.jp. 2022年6月26日閲覧。
- ^ a b c 角野幸博 (2003年9月). “高層住宅から戸建住宅まで揃えた実験都市芦屋浜シーサイドタウン”. www.machinami.or.jp. 2022年6月26日閲覧。
- ^ a b Sasaki, Yoshikazu (1982). “STUDY ON THE CONSTRUCTION OF THE ASHIYAHAMA HOUSING COMPLEX WITH THE PLANNING AND CONSTRUCTION COMPETITION : Characteristics of technical development in the point of the proposals and the execution process” (英語). Transactions of the Architectural Institute of Japan 313 (0): 155–164. doi:10.3130/aijsaxx.313.0_155. ISSN 0387-1185 .
- ^ 自転車協会, 一般社団法人. “ENJOY SPORTS BICYCLE | 兵庫・西宮~芦屋の邸宅文化とリゾートの景色を巡る ウォーターフロントサイクリング”. ENJOY SPORTS BICYCLE. 2022年6月26日閲覧。
- ^ a b 兵庫県. “芦屋浜開発計画”. www.city.ashiya.lg.jp. 2022年7月9日閲覧。
- ^ 大越裕 (2016年11月5日). “写真・図版(4枚目)| 村上春樹が学生時代にデートで利用した料理店で行われているある会とは?〈AERA〉”. AERA dot. (アエラドット). 2022年7月9日閲覧。
- ^ “村上春樹作品に登場する阪神間|レンタサイクルの達人、ゆかりが行く!(阪急レンタサイクル公式ブログ)|阪急沿線口コミ情報サイト「ブログdeバーチャル駅長」”. ブログdeバーチャル駅長|阪急沿線情報ブログ・口コミ情報|阪急電鉄. 2022年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月9日閲覧。