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芝草宇宙

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芝草宇宙
帝京長岡高等学校硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県所沢市
生年月日 (1969-08-18) 1969年8月18日(56歳)
身長
体重
180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト6位
初出場 NPB / 1991年4月24日
CPBL / 2007年3月23日
最終出場 NPB / 2004年9月23日
CPBL / 2007年5月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

芝草 宇宙(しばくさ ひろし、1969年8月18日 - )は、埼玉県所沢市[1]出身の元プロ野球選手投手)。野球解説者、野球指導者。現在は帝京長岡高等学校の野球部監督。

来歴・人物

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プロ入り前

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帝京高校高校野球大会に通算3回[2]出場。3年時の1987年は、春夏の甲子園に共にエースとして出場。春の59回大会は、前年の秋の成績が芳しくなかったこともあってそれほど注目されていなかったが、2回戦で優勝候補の一角で、近畿大会王者の京都西を完封。準々決勝で野村弘橋本清立浪和義片岡篤史らを擁するPL学園高校に延長11回、2-3でサヨナラ負け、2試合連続で好投したことで、一躍注目を浴びることとなった。夏の第69回選手権大会では2回戦・対東北高校戦でノーヒットノーランを達成(選手権大会史上20人目)するなど、3試合連続完封して準決勝に進出したが春夏連覇したPL学園に打ち込まれ、5-12で再び敗れた[1]。高校の2学年上に河田雄祐小林昭則、1学年上に奈良原浩がいた。

同年秋のプロ野球ドラフト会議日本ハムファイターズに6位指名され入団[1]。同期入団の島田直也とともにSSコンビと呼ばれた。ドラフト指名の時、当時パ・リーグ広報部長だった伊東一雄が「日本ハム、芝草宇宙」と彼の名を会場に呼び上げた際、「“ひろし”は宇宙、大宇宙、コスモ(と漢字を説明する)」と発表し話題になった。なお、『宇宙』の名前の由来は、生まれた年に行われたアポロ計画アポロ11号の月面着陸)から来ており、それに感銘を受けた父親が名付けたものである[3]

日本ハム時代

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1991年に入団4年目にして初めて一軍に昇格し、初登板初先発で完封勝利を達成した[1]。しかしその後は谷間の先発と中継ぎを兼任する。

1996年1998年に年間通してほぼ先発ローテーションを守り自己最多の7勝を挙げ規定投球回もクリアしたが、その二度共負け越しており入団から一軍の成績でも勝ち越しが1度しかなかった。

1999年は4月7日の東京ドームでの西武ライオンズ戦において、プロ入り初登板初先発の松坂大輔と投げ合ったが、敗戦投手となった。この年はシーズン途中から中継ぎで投げ、24試合で3勝4敗の成績で終わった。以降は投球フォームをオーバースローからサイドスローに変え先発から中継ぎに本格転向した。

2000年は20試合で1勝に留まったが、防御率は2.93だった。

2001年は56試合に登板し、6勝4敗2セーブ、防御率3.57の成績を残した(中継ぎ投手に本格転向後年間成績で負け越しが一度も無く転向は成功した)。

2002年は抑えも任されたこともあり、11セーブを挙げたが、防御率は前年とそれほど変わらなかった。

2003年9月28日、この前年に球団本拠地の北海道移転が決定していた日本ハムの「東京ドーム本拠地最終戦」で最終回のマウンドを踏んだ。しかし結果は四球による押し出しが決勝点となり、東京時代最後の敗戦投手となる。2004年から2006年まで北海道の緑をイメージした緑色のグラブを愛用しており、日本ハム時代に同僚の入来祐作から「バッタ」と呼ばれていた。自身の公式ブログのバナーにもグラブの写真を載せている。この年は自己最多の58試合に登板し3勝2敗を記録したが、防御率4.02と安定感に欠けた。

2004年も50試合に登板したが、2勝2敗、防御率5.43と前年より防御率が悪化した。プレーオフでの登板機会はなかった。

2005年は一軍登板なしに終わり、オフに投手コーチ就任を要請されるもこれを固辞、戦力外通告を受け、自由契約となった。

ソフトバンク時代

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2005年オフに12球団合同トライアウトに参加し[4]福岡ソフトバンクホークスにテスト入団した。背番号は12

2006年は故障により一軍登板の機会がなく、10月3日に再び戦力外通告を受けた[5]

ソフトバンク退団後

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2年連続で12球団合同トライアウトを受け、オランダホーフトクラッセから誘いが来るも断り、2007年台湾興農ブルズのテストを受け合格した。

2007年5月20日、興農から戦力外通告を受け、現役を引退した。

引退後

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2007年10月13日、パ・リーグ・クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦の中継(テレビ埼玉制作)で野球解説者としてデビューした。2008年GAORA日刊スポーツにて本格的な解説業を開始した。

2009年1月30日、社会人野球かずさマジックのコーチに就任することが発表された。同年11月2日、かずさマジックからの退団がブログで発表された。

2010年北海道文化放送GAORAの野球解説者に就任。

2012年に東日本大震災復興支援ベースボールマッチで投手コーチを務めた。

2011年から2012年まで日本ハムの一軍投手コーチを務め、2013年からは同球団のチーム統轄本部アマスカウトを担当している[6]

2017年12月27日、日本ハムから今シーズン限りでの退団が発表された[7]

2018年4月より、母校である帝京高校の投手陣の指導を行う事が報道された[8]

2019年からはGAORA(ファームの試合中継のみ)として野球解説者に復帰する(同年6月2日放送から)。駿河台大学野球部コーチも務める。

2020年4月から帝京長岡高校の野球部監督に就任。

2025年の第153回北信越地区高等学校野球大会で初優勝。

2026年第98回選抜高等学校野球大会への出場が決まり、同校を甲子園初出場に導いた。奇しくも初戦の対戦相手は芝草が39年前にノーヒットノーランを決めた東北高校だった[9]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1991 日本ハム 84110110--.50013730.12812800171016144.151.85
1992 100000010--.00013432.03021212162012123.381.31
1993 272000412--.80019143.04022511216019183.771.51
1994 341000451--.44437689.294142413504041353.511.32
1995 175000141--.20020447.05062601301025254.791.62
1996 2622300790--.438560130.0134174913677062553.811.41
1997 2015410390--.25038487.193163308304053515.261.44
1998 25216107110--.389620145.114418420114410071633.901.28
1999 247000340--.42927557.08692113274047467.261.88
2000 200000100--1.0007115.11916031100552.931.63
2001 560000642--.60035485.273123257521036343.571.23
2002 5500004311--.57125260.162101315501126243.581.24
2003 580000320--.60027765.07171724391031294.021.35
2004 500000220--.50023153.05981204401034325.431.34
2007 興農 1610002213.50011724.2363616120018165.841.70
NPB:14年 430771430465617--.4514066941.098312334013554944314784434.241.41
CPBL:1年 1610002213.50011724.2363616120018165.841.70

記録

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NPB
CPBL

背番号

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  • 29 (1988年 - 2005年)
  • 12 (2006年)
  • 20 (2007年)
  • 77 (2011年 - 2012年)

関連情報

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出演

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脚注

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  1. 1 2 3 4 プロ野球人名事典 2003 (2003年日外アソシエーツ)、267ページ
  2. 1986年第58回選抜大会1987年第59回選抜大会第69回選手権大会
  3. スポーツどーむ(HBC北海道放送)2003年5月7日放送分より
  4. 「トライアウト 芝草、若田部ら68選手が参加」『東京新聞』(中日新聞東京本社)2005年11月8日、朝刊 朝刊運動2面 18頁。
  5. 「ソフトバンクが3選手に戦力外通告/プロ野球」『読売新聞』(読売新聞社)2006年10月4日、東京朝刊 スポA 23頁。
  6. 週刊ベースボール2014年3月24日号 P19
  7. 退団のお知らせ - 北海道日本ハムファイターズ・オフィシャルサイト 2017年12月27日
  8. “元日本ハムの芝草宇宙氏が帝京投手陣を指導へ”. スポーツ報知. (2018年2月13日) 2018年2月13日閲覧。
  9. 【センバツ】帝京長岡が聖地初勝利へ東北と対戦 元日本ハム・芝草宇宙監督にとっては“因縁の相手””. スポーツ報知 (2026年3月23日). 2026年3月23日閲覧。
  10. 2000年7月2日の小林雅英千葉ロッテマリーンズ)と2014年5月3日の久古健太郎東京ヤクルトスワローズ

関連項目

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外部リンク

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