興福院

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興福院(こんぶいん)
Konbuin.jpg
所在地 奈良県奈良市法蓮町881
位置 北緯34度41分40.8秒
東経135度49分20秒
座標: 北緯34度41分40.8秒 東経135度49分20秒
山号 法蓮山
宗旨 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
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秋の興福院

興福院(こんぶいん)は、奈良県奈良市法蓮町にある浄土宗尼寺。山号を法蓮山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は和気清麻呂ともいい、藤原百川ともいう。

歴史[編集]

興福院の創建については複数の説があり、中世以前の沿革はあまり明らかでない。

寺はもと添上郡興福院村(平城京の右京四条二坊、現在の近鉄尼ヶ辻駅近く)にあり、現在地に移ったのは近世のことである。創建について、寺伝では天平勝宝年間(749 - 757年)、和気清麻呂聖武天皇の学問所を移して創建し、弘文院と称したという。『七大寺日記』(嘉承元年(1106年))には藤原百川が創建した興福尼院が前身とされている。また、護国寺本『諸寺縁起集』には、宝亀元年(770年)、藤原広嗣の妻・輪立氏の発願で創建されたとある。

古くは興福院、弘文院の2つの寺号が用いられ、本尊は薬師如来であった。前述の和気清麻呂を開基とする説は、和気氏が設立した学問所を弘文院と称したことから出たものと推測されている。

寺はその後衰退していたが、安土桃山時代に大和大納言豊臣秀長から寺領200の寄進を受け、復興した。寛永13年(1636年)には徳川家光から再び寺領200石を寄進されている。現在残る本堂、客殿、大門はこの頃の建立である。徳川家綱代の(寛文5年(1665年))に現在地の法蓮町に移転した。上記の建物も移築されている[1]

第2世の尼僧は、元大和郡山城豊臣秀長の未亡人である。3代徳川家光から14代徳川家茂までの将軍の位牌をまつっている。

伽藍[編集]

大門から抜けた庭の先、中門の奥に本堂があり、本堂と渡り廊下で結ばれた客殿がある。旧地の尼ヶ辻での建物や庭園には小堀遠州が関与しているが、現在地の庭園は移転後につくられたものである[2]

  • 客殿 - 重要文化財。江戸時代、寛永年間頃に建てられた、入母屋造り桟瓦葺の建物。檜皮葺きの玄関が付属する。左右3室を前後2列に配し、計6室とする禅宗方丈系の平面になる。
  • 大門 - 奈良県指定有形文化財。寛永年間建立の四脚門。
  • 本堂 - 奈良県指定有形文化財。寄棟造、本瓦葺きで、屋根は中程に段差を設けて瓦を葺く錣葺(しころぶき)とする。内部は内陣の両脇に脇陣を設ける、浄土宗本堂特有の平面構成になる。寺の記録から寛永19年(1642年)の上棟と判明する。
  • 霊屋 - 奈良県指定有形文化財。代々の徳川将軍の位牌をまつる入母屋造、本瓦葺の建物。奈良県下では珍しい徳川家ゆかりの霊廟建築である。内部には渡辺始興(わたなべしこう)による華やかな障壁画(奈良国立博物館寄託)がある。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

  • 客殿(附 玄関)
  • 木心乾漆阿弥陀如来及び両脇侍像 - 当寺の本尊。奈良時代の作。ただし、表面の漆箔は新しいものである。中尊の印相は奈良時代の阿弥陀像に多くみられる説法印であり、脇侍の観音菩薩像・勢至菩薩像はそれぞれ片脚(本尊から見て外側の脚)を踏み下げるが、これも奈良時代の三尊像に多くみられる形式である。この三尊像は、近世の復興時に当院の本尊として迎えられたものと推定され、当初どこの寺院にあったものかは明らかでない[3]
  • 刺繍袱紗(ししゅうふくさ)31枚 -徳川綱吉の側室・瑞春院の寄進。縦横とも50cmほどの大きさがあり、盆などに掛ける掛袱紗である。
  • 絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図
  • 古葉略類聚鈔 4冊 うち3冊に建長二年(1250年)書写奥書

その他の文化財[編集]

  • 銅造菩薩立像 - 飛鳥時代。像高12.7センチ。両手を腹前に構え、宝珠を持つ。奈良国立博物館に寄託。同博物館では本像を「観音菩薩」としている[4]
  • 木造釈迦如来坐像 - 江戸期(元禄3年(1690年))
  • 絹本著色都鄙図巻 - 江戸期
  • 金銅宝塔形舎利容器(奈良市指定文化財)
  • 鷹山家文書 107通 (奈良県指定文化財) 2巻 - 大和国の国人に関する数少ない家分け文書として貴重なもの。

所在地[編集]

〒630-8113 奈良県奈良市法蓮町881

交通アクセス[編集]

近鉄奈良線近鉄奈良駅から奈良交通バス「自衛隊前」「西大寺」行き(法華寺経由)で9分、「佐保小学校前バス停下車、徒歩5分。

なお、拝観には事前の許可が必要である。7月 - 8月、12月 - 2月の拝観は不可で、その他の期間も午前9時から11時の間に限られる。

脚注[編集]

  1. ^ 歴史の節の記述は『法華寺と佐保佐紀の寺』(日本の古寺美術17)、pp.148 - 153による。
  2. ^ 建造物の説明は『法華寺と佐保佐紀の寺』(日本の古寺美術17)、pp.153 - 160による。
  3. ^ 『法華寺と佐保佐紀の寺』(日本の古寺美術17)、pp.160 - 163
  4. ^ 『法華寺と佐保佐紀の寺』(日本の古寺美術17)、pp.163 - 164; 『なら仏像館名品図録』、奈良国立博物館、2012、p.86

参考文献[編集]

  • 橋本聖圓、山岸常人『法華寺と佐保佐紀の寺』(日本の古寺美術17)、保育社、1987