自省録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
1792年出版の英語訳「自省録」
マルクス・アウレリウス胸像(メトロポリタン美術館所蔵)
西暦117年当時のローマ帝国の最大版図

自省録』(じせいろく、古代ギリシア語: Τὰ εἰς ἑαυτόν、ラテン文字転記:Ta eis heauton)は、第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(在位 161年3月8日 - 180年3月17日)が政治家としての日々の悩みや自らの行動を省みる言葉などを書き留めた12巻から成る備忘録である[1]。公文書ではなく、あくまでも個人的に日々書き留めたメモ書き、覚書であり、後世に12巻に分け出版されることを前提としていないため、書物として見た場合、論理の飛躍や前提条件を省略するなどの特徴が見られ、内容も一貫性や連続性はない[1]

最後の五賢帝でもあるマルクス・アウレリウスの時代は、ローマ帝国の繁栄にかげりが見え始めた時代で、洪水など各地の天災や飢饉そしてペスト、またローマ軍最高司令官として敵の侵入や各地の反乱そして部下の離反など、日々苦悩の連続であり、なんとか解決策を見出そうと自問自答する毎日であった[1]。後期ストア派哲学者としても知られるマルクス・アウレリウスのこの覚書きは、彼の思想を直接知ることができるものである。

なお、マルクス・アウレリウスはローマ人であるが、全編、ラテン語ではなくギリシア語で書かれている。これは、当時ギリシア語は地中海世界で知識人が使用していた言語であり、マルクス・アウレリウスがギリシャから広まったストア派哲学の研究者でもあったためである[2]

名称[編集]

原題は『タ・エイス・ヘアウトンΤὰ εἰς ἑαυτόν』で、意味は「彼自身へのもの」だが、この題名を付けたのがマルクス自身だったかは定かではない。

構成[編集]

日々、個人的に書き留めた短い散文の集積であり、一貫性は持っておらず、また同じ主題が繰り返し登場することも多い。内容は彼自身の哲学的思索に限定され、ローマ帝国の当時の状況や職務上の記録ではなく、政治家としての強い主義主張もない。しかし、そのことが、後世に思想の異なる政治家や他国等によりこの自省録が抹消されることもなく、2千年近くに渡り残った要因ともされる[2]

構成としては12巻に一応分かれているが、その巻を区分したのもマルクス自身だったかも定かではなく、また一つの書物として整理された構成でもない。これは本書が著者の内省のために書かれ、本人以外の者が読むことを想定していないことに由来し、故に内容の要約は難しい。

第一巻のみは他巻とは明らかに異なり、自分への語りかけではなく神々や自分の周囲の人々への感謝を記したものとなっている。故にこの巻は最後に書かれ、本来は最終巻に配置される予定であったという説もある。

第二巻と第三巻の冒頭には書かれた場所・状況が記されており、ここからこの二つの巻については執筆年を推定することができる。ただし、これらは第二巻・三巻の冒頭ではなく第一巻・二巻の末尾に書かれたとする説もある。

第七巻と第十一巻で、それぞれ一部の章はプラトンエウリピデスなど他者からの引用となっている。

思想[編集]

後期ストア派の特徴とされる自然学と論理学よりも倫理学を重視する態度や他学派の信条をある程度受け入れる折衷的態度が見られる。例えば、たびたび表れる「死に対して精神を平静に保つべき」といった主題においては、ほぼ常にエピクロス派原子論の「死後の魂の離散」が死を恐れる必要のない理由として検討されている。

主な日本語訳[編集]

文語訳

  • 小林一郎訳 『マアカス・アウレリアス冥想録』 (参文社、1907年)
  • 高橋五郎訳 『アウレリアス皇帝瞑想録』(玄黄社、1912年)

二点とも近代デジタルライブラリーにて閲覧可能。

現代語訳

その他

  • ライアン・ホリデイ『ストア派哲学入門』(パンローリング、2017)──哲学入門者および一般読者向けに、『自省録』の抜粋を紹介。解説つき。
  • マーク・フォステイター編『『自省録』の教え 折れない心をつくるローマ皇帝の人生訓』 池田雅之訳(草思社文庫、2018年)

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c NHK100分で名著86 自省録2019年4月1日放送
  2. ^ a b NHK100分で名著86 自省録]2019年4月1日放送

関連項目[編集]