自由革命
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自由革命(スペイン語: Revolución Libertadora)は、1955年9月にアルゼンチンで発生した軍事クーデターであり、フアン・ドミンゴ・ペロン大統領の政権を打倒した出来事である。この革命によって、ペロンは亡命を余儀なくされ、アルゼンチンの政治に大きな転換点をもたらした。
背景
[編集]第二次世界大戦後、ペロンは労働者層や庶民に支持されるポピュリズム的政策を進め、強力なカリスマ的指導者となった。しかし、長期政権の中で以下の要因から反発が高まっていった。
特に1954年から1955年にかけて、ペロン政権とカトリック教会の対立が決定的となり、社会不安が拡大した。
革命の経過
[編集]- 1955年6月:反ペロン派の空軍将校が首都ブエノスアイレスを空爆する事件が発生。失敗に終わったものの、多くの市民が犠牲となった。
- 同年9月16日:海軍と陸軍の一部部隊が中心となり、コルドバ州などで反乱が開始。
- 同年9月19日:ペロンは国内の混乱を避けるため辞任を表明。
- 同年9月23日:ペロンはパラグアイへ亡命し、その後スペインに移る。
結果と影響
[編集]- ペロン政権は崩壊し、軍事政権が樹立。指導者にはエドゥアルド・ロナルディ将軍やペドロ・ウジェニオ・アランブル将軍が就任。
- ペロン党(正義党)は非合法化され、ペロニズムに関連する政治活動や象徴が禁止された。
- その後のアルゼンチン政治は軍事政権と民政の間を揺れ動き、社会分裂が深刻化。
- ペロンは1973年に帰国し、再び大統領に就任するが、亡命期の影響は長く続いた。
歴史的評価
[編集]自由革命は、ペロン体制の独裁的側面を終わらせたとする評価と、軍事介入によって民主主義を損なったという批判がある。アルゼンチン史においては、ペロニズムと反ペロニズムの対立を決定的にした事件とされる。