脇屋友詞

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脇屋 友詞(わきや ゆうじ、 1958年3月20日 - )は中国料理上海料理)のシェフ北海道芦別市出身[1]

略歴[編集]

父親は易学者[1]。子供の頃、病気がちだった母親の代わりに台所に立ったのが、料理の道に入るきっかけとなった[1]東京赤坂の『山王飯店』を振り出しに[1]東京ヒルトンホテルキャピトル東急ホテルなどで修行を積む。東京都立川市のリーセントパークホテル総料理長などを経て、石鍋裕の指名を受けて1996年に『トゥーランドット游仙境』の代表取締役総料理長に就任。1997年パンパシフィックホテル横浜中国料理総料理長も兼務し、2001年には東京・赤坂に『Wakiya一笑美茶樓』(わきや いちえみちゃろう)をオープン、オーナーシェフを務める。

中国料理(主に上海料理)にフランス料理の要素を取り入れた「ヌーベルシノワ」(Nouvelle chinois) の先駆者として知られる[1]NHKきょうの料理』をはじめ、テレビ出演も多くこなす、知名度の高い料理人のひとりである。

既婚であり、小学一年生の双子の父である。(きょうの料理2012年4月17日放送分から)

2012年10月からはテレビ番組『アイアンシェフ』(フジテレビ)で中華のアイアンシェフとしてレギュラー出演。前身番組の『料理の鉄人』(フジテレビ)では1994年に挑戦者として出演し鉄人坂井宏行とのウニをテーマにした対決で惜敗するも、1997年に再び挑戦者として出演し鉄人の陳建一パパイヤ対決で破った。その後レギュラー放送が終了した1999年の特番で新鉄人候補として紹介されるも、その後番組が作られることは無く、13年越しの鉄人就任を果たすことになった。もともと知名度の高さや腕の確かさもあり、番組開始前からアイアンシェフ就任が有力視されていた。

人物・エピソード[編集]

  • 「突出過ぎず、こりすぎない」というのが料理のモットー。また、母親がこれを食べたらどう思うか、と考えることもあるという。
  • 料理の鉄人』に初挑戦する際、本人はあまり乗り気でなかったが、中華の鉄人で友人でもあった陳建一から、「色々と勉強になるから、出た方がいい」と背中を押されて出演することになった。しかし、推薦人が山本益博であったことから、彼と料理観で対立している鉄人坂井宏行の怒りを図らずも買ってしまい、敗北する。しかし、陳建一とのパパイヤ対決では、パパイヤの種も使って動揺を誘うなどして、勝利する。
  • アイアンシェフ』では、主に中国茶を使って香りも生かした料理を作ることから「香りの魔術師」と呼ばれ、その勝率と採点でもノミニーに評価を奪われないことから「ミスターパーフェクト」とも呼ばれている。初戦でも、幼い頃から知る陳建太郎に食材を取って貰ったりするなど、貫禄を見せていた。
  • 驚くべき事に、本場の中国での修行経験がない。しかし、それ故に既成概念に囚われない発想で、独自の「ヌーベルシノワ」を確立し、「料理の歴史を10年早めた」と賛辞されている。脇屋自身は、「中国人の師匠は、自分に心を開いて味を教えてくれた。昆布帆立ナマコなど、中国と(郷里の)北海道は共通の食材も多い。中国の人に習い、日本人のフィルターを通すことによって、季節感が生まれ、新しい境地に至る」と語る[1]
  • 桑野信義とは友人で、互いに「君」付けで呼び合う仲。「きょうの料理」などで共演している。

テレビドラマ出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 北海道新聞』 2010年1月4日朝刊 「北海道ひと紀行・料理を極めて 三国清三(増毛出身)、脇屋友詞(芦別出身)」

外部リンク[編集]