胡蝶園若菜

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胡蝶園 若菜(こちょうえん わかな、安政元年(1854年) - 大正7年(1918年5月25日)は明治時代から大正時代にかけての戯作者

略歴[編集]

安政元年(1854年)に、現在の千葉県長生郡長南町佐坪に生まれた。本名は若菜貞爾。夢想楼、蝶々子、幻夢居士と号した。上京して神田区役所の吏員を経て仮名垣魯文の弟子となり、新聞戯作などを執筆した。明治11年(1878年)、仮名読新聞記者となり、明治13年(1880年)に魁新聞に移り、明治16年(1883年)小説『月下良縁露糸萩』や花柳情話、演劇などを書いた。後に東京に戻って『自由燈』において「今浄洋海六波羅譚」まどを執筆した。また、東京朝日新聞に創刊から7年間、軟派主任として存社した後、明治28年(1895年)に退社した。その後、放浪生活を送り、晩年には精紳異常をきたして精神病院にて大正7年(1918年)5月25日、死去した。

参考文献[編集]