聚楽園大仏

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聚楽園大仏

聚楽園大仏(しゅうらくえんだいぶつ)は、愛知県東海市にある大仏である。東海市指定名勝(「聚楽園大仏及び境内地」として)[1]

特徴[編集]

  • 阿弥陀如来の坐像。
  • 像高18.79mの鉄筋コンクリート製。
  • 1985年(昭和60年)に終えた補修の際に銅粉を吹き付けたため、見た目は銅製の大仏に見える[2]
  • 大仏の前には「阿行」「吽行」の一対のコンクリート製の仁王像が立つ。

建立の経緯・歴史[編集]

  • 1916年(大正5年)、名古屋市等中京地方で活躍していた実業家山田才吉が、聚楽園を開園する。その園内に「大正天皇御大典記念事業」として大仏建立を考え、一般の寄附を求めた。しかし資金は集まらず、山田才吉が私費を投じ、「天皇陛下(昭和天皇)御成婚記念事業」として1923年(大正12年)着工。
  • 山田才吉は経営していた東陽館を火災、南陽館と名古屋教育水族館を水害で失ったため、火にも水にも負けないものをということでコンクリート造りの大仏を考えた[3]
  • 1927年(昭和2年)5月21日に開眼供養。京都・南禅寺管長を大導師として執り行われた。名古屋および地元の実業家600人、各宗の僧侶300人を呼び、300人の稚児行列や花火が上がり近隣から多くの参詣者が訪れた[4]
  • 当初、胎内には南禅寺から山田才吉が譲り受けた、後桜町天皇の念持仏だった聖観世音菩薩が安置され、左右に達磨大師親鸞聖人弘法大師など仏教の各宗開祖の像を描いた軸が掲げられていた。白毫は電照装置により光を放つ仕組みを考えていたが、まもなく取り払われた。電照装置が実際に使われたかどうかは文献がなく定かではない[5][6][7]
  • 1938年には競売に出され名古屋市内の会社に所有者が変わり、1983年(昭和58年)に曹洞宗大仏寺の所有となった[8]。市民から募った浄財などをもとに1984年(昭和59年)から修復工事が始まり1985年(昭和60年)に修復落慶開眼供養が執り行われた。1997年(平成9年)大仏境内地に隣接する聚楽園公園は、しあわせ村として東海市により整備された。

エピソード[編集]

  • 1934年(昭和9年)に「聚楽園大仏が諸人の祈願に感応して立ち上がり名古屋とその近郊の観光地を巡る」という映画『大佛廻國・中京篇』が製作されている[9]
  • 1993年公開のインド映画『ボンベイtoナゴヤ』(日本では1999年に劇場公開)ではロケ地の一つに選ばれている。
  • スキマスイッチ大橋卓弥の実家が聚楽園公園から近く、「鎌倉の大仏より大きい」等ライブMCや音楽番組出演の際に聚楽園大仏について語ることがある。

所在地[編集]

  • 愛知県東海市荒尾町西丸山 聚楽園公園

交通アクセス[編集]

出典[編集]

  1. ^ 東海市の文化財”. 東海市. 2018年3月7日閲覧。
  2. ^ 「中日新聞」1985年6月2日
  3. ^ 「中日新聞」1961年9月17日
  4. ^ 「新愛知」1927年5月22日
  5. ^ 和木康光『東海の世紀』中部経済新聞社
  6. ^ 「中日新聞」1977年12月9日
  7. ^ 「中日新聞」2001年11月22日
  8. ^ 「中日新聞」1980年2月27日
  9. ^ 大仏が名古屋を歩き回る 戦前に撮られた幻の特撮映画『大仏廻国』はどんな内容だったのか”. エキサイトニュース (2018年9月18日). 2018年12月29日閲覧。

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度2分38.05秒 東経136度54分16.07秒