聖寿寺館

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聖寿寺館の位置(青森県内)
聖寿寺館
聖寿寺館
聖寿寺館の位置

座標: 北緯40度24分43秒 東経141度15分56秒 / 北緯40.411968388937度 東経141.26546455097度 / 40.411968388937; 141.26546455097 聖寿寺館(しょうじゅじだて)は青森県三戸郡南部町小向字聖寿寺に所在した日本の城。別称、本三戸城(もとさんのへじょう)。

概要[編集]

聖寿寺館は中世平城で、糠部(三戸)五ヶ城の一つで、三戸城の北4km、平良ヶ崎城の西方700m地点の聖寿寺集落南西丘陵[1]に位置し、館跡の東・北側は幅20mの空堀で背後丘陵から切断され、西・南側は比高差20m以上の急壁で囲まれている。 平良ヶ崎城は政庁、聖寿寺館は居館であったと考えられる[2]

歴史[編集]

聖寿寺館はもとは三戸城と呼ばれていたが、南部家の菩提寺である聖寿寺がそばにあり、聖寿寺館と呼ばれるようになった。

三戸南部氏11代信長から24代晴政までのおよそ200年間居城としたが、天文8年(1539年)6月、家臣赤沼備中の放火により炎上焼失。「祐清私記」によると、南部晴政が家臣赤沼備中の妻女を城中に引き入れたため、備中は晴政を怨んでおり、知行についても家老奥瀬安芸をも恨んでいた等で放火し、奥瀬安芸を斬って逃げたが、下斗米将家は、これを追いかけ、諏訪の平にて赤沼備中を討ち留めたとある。

その後、三戸城(留ヶ崎城)築城とともに「本三戸城」と呼ばれようになった。

平成16年(2004年)9月30日に「聖寿寺館跡」として、「聖寿寺館跡本体」のほかに、南部氏菩提寺のある「三光寺地区」、氏神である「本三戸八幡宮地区」の3地区が、国指定の史跡として指定を受けた。

発掘調査の結果、聖寿寺館跡本体は開発による破壊がほとんどなく、中世の状態が良好に保存されており、検出された遺構は掘立柱建物跡が4棟、竪穴建物跡が38棟、堀跡等があった[3]

脚注[編集]

参考資料[編集]

  • 『岩手県史 第2巻 中世篇 上』 岩手県、1961年3月25日
  • 児玉 幸阿・坪井 清足 『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』 新人物往来社、1980年7月15日
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 2 青森県』 角川書店、1985年12月1日ISBN 4040010205

関連項目[編集]

外部リンク[編集]