羽地登志晃

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羽地 登志晃
名前
愛称 キング
カタカナ ハジ トシアキ
ラテン文字 HAJI Toshiaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-08-28) 1978年8月28日(45歳)
出身地 大阪府堺市北区
身長 185cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW
利き足 左足
ユース
0000-1990 堺市立金岡南小学校
1991-1993 堺市立金岡南中学校
1994-1996 大阪府立泉北高等学校
1997-2000 天理大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 セレッソ大阪 1 (0)
2002-2002 佐川大阪 (loan) 6 (4)
2003 モンテディオ山形 28 (6)
2004-2004 ジェフ市原 0 (0)
2004-2005 柏レイソル (loan) 8 (1)
2005-2007 徳島ヴォルティス 112 (27)
2007-2008 ヴァンフォーレ甲府 33 (5)
2009-2010 徳島ヴォルティス 59 (12)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年12月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

羽地 登志晃(はじ としあき、1978年8月28日 - )は大阪府堺市出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。選手時代のポジションはFW

経歴[編集]

天理大学在学中にセレッソ大阪へ加入するも2シーズンに渡り出場機会に恵まれなかった。

2002年9月にJFLに所属していた佐川急便大阪レンタル移籍。公式戦6戦で4得点、天皇杯でも1得点を挙げるなど活躍するも、同年限りでセレッソ大阪との契約が満了となる。

その後モンテディオ山形ジェフユナイテッド市原柏レイソルと渡り歩き、2005年よりJリーグ(J2)へ参入したばかりの徳島ヴォルティスへ移籍。徳島では2005年に12得点、2006年に9得点を挙げるなどエースストライカーとして充分な成績を残した。

2007年のシーズン中にヴァンフォーレ甲府へ移籍したが、出場機会を失ったため2009年に古巣・徳島ヴォルティスへ復帰した。

2010年限りで現役引退。引退後は徳島の育成コーチに就任。

2021年現在は、徳島県サッカー協会にて、技術担当専任者テクニカルダイレクター技術委員長を勤めていながら、自身もO-40の大会に徳島SFCの選手兼任監督として登録、全日本O-40サッカー選手権にも出場している。[1]

プレースタイル[編集]

長身を生かしたヘディングシュートを得意とする[2]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 天理大 - - - 1 1 1 1
2000 C大阪 31 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2001 12 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 33 J2 0 0 - - 0 0
佐川大阪 8 JFL 6 4 - 1 1 7 5
2003 山形 11 J2 28 6 - 2 0 30 6
2004 市原 19 J1 0 0 0 0 - 0 0
22 8 1 - 0 0 8 1
2005 徳島 18 J2 42 12 - 1 0 43 12
2006 46 9 - 2 1 48 10
2007 24 6 - - 24 6
甲府 J1 6 0 - 2 1 8 1
2008 J2 27 5 - 0 0 27 5
2009 徳島 51 12 - 1 0 52 12
2010 8 0 - 1 0 9 0
通算 日本 J1 15 1 0 0 2 1 17 2
日本 J2 226 50 - 7 1 233 51
日本 JFL 6 4 - 1 1 7 5
日本 - - 1 1 1 1
総通算 247 55 0 0 11 4 258 59

指導歴[編集]

エピソード[編集]

  • 現在カターレ富山に在籍している川崎健太郎とはセレッソ大阪時代の同期で、ともに佐川急便大阪へレンタルされたのち同時に戦力外通告を受け、翌年一緒にモンテディオ山形へ移籍している。なお、羽地が山形に在籍したのはわずか1年であったが、川崎は2005年まで所属していた。
  • 2004年に出場機会を求めて柏レイソルにレンタル移籍したが1得点しか挙げられなかったため、柏サポーターから降格危機の槍玉に挙げられてしまった。
  • ヴァンフォーレ甲府にとって初めてシーズン中に他チームから完全移籍で獲得した選手でもある。当時の甲府はJ1残留争いを演じており、2005年のJ2日本人得点王である長谷川太郎を見返りにレンタル移籍させてまで徳島から獲得したが、羽地は思ったように活躍ができずに甲府はJ2降格、徳島も長谷川が羽地の穴を埋めることができずに2年連続最下位の憂き目に遭ってしまった。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ JFA第9回O-40サッカー大会 チーム紹介 徳島SFC”. 日本サッカー協会. 2021年12月30日閲覧。
  2. ^ 2010選手プロフィール 徳島ヴォルティス公式サイト

外部リンク[編集]