群馬県道151号津久田停車場前橋線

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群馬県道151号標識

群馬県道151号津久田停車場前橋線(ぐんまけんどう 151ごう つくだていしゃじょうまえばしせん)は、群馬県渋川市JR津久田駅前から前橋市に至る一般県道である。

概要[編集]

名目上は渋川市北部と前橋市街地を結ぶ路線であるが、全体には古い街道や、新道開通でメインルートを外れた旧道筋を継ぎ合わせ、迂回させた状態でまとめて県道指定された一貫性のないルート構成となっている。拠点間路線として単独機能しているのは前橋市富士見地区以南のみである。

県道151号・157号交差点。151号は右の谷底から上がり、折り返して左正面方向へと向かう。起点の津久田駅付近からこの合流点までは異常な狭隘区間である。渋川市赤城町長井小川田にて
関下橋。幅員2.0mという最小限の狭隘車道。渋川市赤城町長井小川田
渋川市赤城町持柏木にて。狭隘路のT字路交差点やヘアピンカーブなど、北部寄りのルートは変化に富む

渋川市内に含まれる区間での錯綜したルートと狭隘区間散在は、県道らしからぬ特異な状況を形成している。大型車は通過不可能な区間もあり、ただ単に津久田駅方面から国道353号や前橋方面に抜けるのであれば、群馬県道255号下久屋渋川線などを利用する方が無難である。

起点から国道353号と重複するまでの区間(旧赤城村内)では、歩道付きのゆとりある区間もあれば、幾度となく右左折を繰り返す区間や、道幅1車線程度の山道もあるなど、大変変化に富んでいる。途中他の県道と重複するが、その間番号が若いにもかかわらず案内標識では県道151号の表示はなされていないので注意が必要である。沿道には古い石の道標や戦前の道路改良記念碑、昭和30年代以前架橋の古い橋などが見られ、道筋自体の古さがうかがわれる。

とりわけ凄絶なのは、起点の津久田駅から南方の敷島駅に至るまで利根川河岸の東側傾斜地を大迂回していく渋川市赤城町長井小川田付近である。県道157号と合流する交差点は、「通過困難な酷道交差点」として知られる京都市山間部の国道477号・百井別れ交差点を彷彿とさせる、急角度・急勾配の逆トの字型合流点である。合流路線である157号が対向2車線であるため、終点側からの交差点通過は本家の百井別れほど困難ではない。だがここから沼尾川の谷に降りると、津久田方面に向けて架橋された関下橋の幅員は実効2m未満に過ぎず、橋の欄干に設置された高いフェンスと相まって、生活道路として辛うじて機能する程度の狭隘路となっている。

前橋市富士見町山口で国道353号と別れた後は赤城山の麓を南下する。江戸時代の「沼田街道」の宿場町であった富士見町米野からは県道34号渋川大胡線との重複区間となって東進、富士見町田島交差点で34号と分かれて前橋市街地へと南下する。原之郷交差点から北代田町交差点にかけてはロードサイドショップが並び、夕刻には青柳交差点を中心として慢性的な渋滞を引き起こしている。桃ノ木川を渡って前橋市街地北端・日吉町の終点に至る。

若宮町四丁目交差点から田島交差点までの区間を「石井県道」と呼称されている。田島交差点から更に北方の富士見町石井へ連なる道であるため地元で定着した通称であるが、前橋から石井への街道のうち、田島から北は前橋市道となっており、石井地区には県道が通過していない。

路線データ[編集]

歴史[編集]

元々は、旧・勢多郡横野村大字溝呂木(1956年の敷島村との合併により赤城村になる。現・渋川市赤城町溝呂木)で接続していた2つの県道を1本にまとめる形で形成された路線である。

年表[編集]

  • 1938年昭和13年)8月24日:「溝呂木前橋線」として、横野村大字溝呂木-前橋市竪町(たつまち)十字路間を群馬県道指定。
  • 1950年(昭和25年)8月29日:「津久田停車場溝呂木線」として、津久田停車場(1948年に信号場から昇格)-横野村大字溝呂木間を群馬県道指定[注釈 5]
  • 1959年(昭和34年)9月18日:群馬県より現・道路法に基づき、県道津久田停車場前橋線勢多郡赤城村 津久田停車場[注釈 6] - 勢多郡北橘村 - 富士見村 - 前橋市北代田町、整理番号47)として路線認定される[2]
    • 群馬県道の再編により、溝呂木前橋線と津久田停車場溝呂木線を統合、前橋側の終点を才川町260番地先(当時。現・日吉町内)の前橋赤城線交点までとした「津久田停車場前橋線」となる。
    • 同時に、前身路線にあたる県道溝呂木前橋線(勢多郡赤城村大字溝呂木 - 前橋市、整理番号45)・溝呂木津久田停車場線(赤城村大字溝呂木 - 同郡同村 津久田停車場、整理番号46)が路線廃止される[3]
  • 1963年(昭和38年)3月8日:終点の前橋赤城線交点が前橋市才川町内で若干変更。
  • 1965年(昭和40年)12月14日:1951年以降農林省によって勢多郡富士見村(当時。現・前橋市富士見町)大字山口-勢多郡新里村(当時。現・桐生市)大字板橋間の高原地帯で、赤城山南面を東西に通過する「開拓道路」の新規開削・整備が進められ、1961年10月21日付で群馬県道山口板橋大間々線(当時)に指定されて拡幅も順次進行していたが、陳情によって本路線の接続する赤城村大字持柏木-富士見村大字山口間が、開拓道路の一部に区域編入される[注釈 7]

バイパス[編集]

錯綜とした区間を解消するため、渋川市赤城町の区間(宮田‐持柏木)ではバイパスが整備されている。一部では併用が始まっている。

現道の見立から持柏木にかけては道幅が狭小で普通車1台分の幅員の個所もある。通学路にもなっている場所では歩行者の安全が確保できないこともある。
宮田から勝保沢にかけては道幅にはいくらかゆとりはあるもののヘアピンカーブが連続している。宮田坂と呼ばれる渋川市道が本県道の当該区間と並行して通っているが、こちらもヘアピンカーブが連続している上に、歩行者が横切る個所があり、なおかつ道幅が狭小である。いずれの道路も通行に支障をきたす状況である。

このバイパスによって上述のヘアピンカーブの連続や自動車1台分の幅の区間(宮田坂を含む)が解消される。

地理[編集]

通過する自治体[編集]

  • 渋川市 - 前橋市

交差する道路[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 昭和34年の路線認定当初での表記では、勢多郡赤城村 津久田停車場である[1]
  2. ^ 昭和34年の路線認定当初での表記では、前橋市北代田町260番である[1]
  3. ^ 昭和34年群馬県告示第324号に基づく表記。2006年の(旧)渋川市との合併により、現在は渋川市北橘町。
  4. ^ 昭和34年群馬県告示第324号に基づく表記。2009年、前橋市に編入。
  5. ^ 「敷島村誌」(1959年刊行)によれば、実際に通行可能となったのは1952年であったが、1959年時点でも「旧村道そのまゝの程度で、急坂もあり、荷馬車の通行にも困難(中略)現在では只県道に認定されたのみで、有名無実の路線である」(同村誌p394)とまで書かれる有様であった。
  6. ^ 路線認定に関する告示では「敷島停車場」と記載されているが、「津久田停車場」の誤記と思われる。
  7. ^ 開拓道路該当区間は以後も整備され、1976年4月1日には山口板橋大間々線ほか既存県道の一部の名称を廃止して本路線の一部区間を重用で含む「主要地方道大間々宮城子持線」が認定された。この路線は更に1984年11月9日付で赤城村内での経路変更指定(供用開始は1987年12月24日)があり、最終的には1993年4月1日付で渋川市-桐生市間を延伸指定された国道353号の経路に組み込まれて国道昇格している。

出典[編集]

  1. ^ a b 昭和34年群馬県告示第326号 県道の供用開始に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 24–39、群馬県立図書館所蔵)
  2. ^ 昭和34年群馬県告示第324号 県道路線認定に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 1–15、群馬県立図書館所蔵)
  3. ^ 昭和34年群馬県告示第325号 県道路線廃止に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 15–24、群馬県立図書館所蔵)

参考文献[編集]

  • 「赤城村誌」1989年 赤城村誌編纂委員会