繩果

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

繩果(ジェンガ、生年不詳 - 天会2年(1125年)7月)は、皇族。漢名は宗峻。太祖阿骨打の次男。母は聖穆皇后唐括氏。爵位汴王

生涯[編集]

嫡子であったために父の太祖から正式な後継者と定められ、父に従軍して功績を立てる。後に叔父の呉乞買に従軍して、中京西京を攻略中に、重傷を負ってしまう。天会2年(1125年)、それが原因で破傷風に罹り、間もなく死去した。

なお、繩果の未亡人の蒲察氏は異母兄の斡本(宗幹)に再嫁した。そのために斡本は2人の甥の養父となり、その後見役となった。

やがて、長男の合剌(熙宗)が即位すると、亡父に対して、徽宗廟号景宣皇帝諡号を贈った。

妻妾[編集]

  • 恵昭皇后蒲察氏

子女[編集]