織田秀子

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織田 秀子(おだ ひでこ、? - 寛永9年4月12日1632年5月30日))は、織田信長の三女(実父は明智光秀であり、信長の養女としてから嫁いだともいう)。筒井定次正室。子に筒井順定。法名は日栄。

天正6年(1578年)頃、織田有力家臣筒井家との政略結婚筒井順慶の養嗣子・定次へ嫁ぐ。定次は伊賀上野藩20万石の大名になり、関ヶ原の戦いでも東軍に与して戦後に所領を安堵されるが、慶長13年(1608年)に突如幕命により改易される(理由は素行乱行や領国における悪政、キリシタン訴訟など様々な理由があるが、結局は幕府のでっち上げという説が強い)。その後、慶長20年(1615年)に大坂の陣での豊臣家内通を咎められ、定次と順定は自害した。秀子は寛永9年(1632年)に没した。