内閣総辞職

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
総辞職から転送)
移動先: 案内検索

内閣総辞職(ないかくそうじしょく)とは、内閣を構成する内閣総理大臣及び国務大臣の全員が、同時にその地位を辞することをいう。単に総辞職ともいう。なお、個々の大臣は辞任すると表現するのが一般的で、辞職すると言うことはない(辞職するのは国会議員職の方)。

日本国憲法下の内閣総辞職[編集]

法制度[編集]

日本国憲法において、内閣総辞職は憲法上の制度として定められており、内閣が総辞職すべき場合につき以下のように定められている。

  1. 衆議院内閣不信任決議案が可決され、又は内閣信任決議案が否決されて、10日以内に衆議院解散されないとき(日本国憲法第69条)。
    内閣は議会の信任を要するとするもので議院内閣制の核心的原則である[1]。ただ、議会が不信任決議を行った場合には当然に内閣は総辞職すべきとする法制と内閣総辞職か議会の解散かの二者択一とする法制がある[2]。日本国憲法は後者を採用し、衆議院で内閣不信任決議が可決又は内閣信任決議が否決された場合にも、無条件に総辞職とするのではなく10日以内に衆議院を解散すれば一定期間内閣は存在することとしている[1]。そして、衆議院の解散を選択する場合にも衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があった時には内閣は総辞職することになるが(日本国憲法第70条(詳細は下記3を参照))、総選挙の結果、首相支持勢力が衆議院で過半数以上となっていれば内閣総理大臣指名選挙で再任される形で内閣総理大臣を続けることが可能であり、反対に首相支持勢力が衆議院で過半数を割り込んでいれば内閣総理大臣指名選挙で再任されることができず内閣総理大臣を続けることができないことになる。
  2. 内閣総理大臣が欠けたとき[3]日本国憲法第70条
    内閣総理大臣を中心とする内閣の一体性を保障するもので[1]、内閣総理大臣は国会で指名され他の国務大臣を任免する地位にあり、内閣総理大臣が欠ける場合には内閣は中核的存在を欠くことになるため総辞職しなければならないとする趣旨である[4]。「欠けたとき」の定義としては、死去昏睡状態[5]失踪、国外への亡命[6]、失格(内閣総理大臣たる資格を失うことを意味し、文民たる資格を喪失する場合又は除名・資格争訟・選挙争訟・当選訴訟等によって国会議員たる資格の喪失する場合[1][7][8][6][9])がこれにあたり、これらの事由が発生した場合には法的には当然に内閣は総辞職することになる[10]。ただし、衆議院議員たる内閣総理大臣が衆議院解散や任期満了により国会議員の資格を失ったとき(解散や任期満了という一般的理由によって衆議院議員の全てが職を失う場合)はこれに含まれず[1][11]、この場合には衆議院議員総選挙ののち国会が召集されることから、日本国憲法第70条の規定に従って「衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があった時」に総辞職することになる[12](詳細は下記3を参照)。
    内閣総理大臣の自発的な辞職つまり総理大臣が内閣を残して単独で辞任出来るか否かについては、日本国憲法第70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」に含まないとすると日本国憲法第71条の「前二条」の場合に含まれないことになり職務執行内閣が成立する根拠が失われる。このようなことから通説では日本国憲法第70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」には内閣総理大臣の辞職を含むとする[6]。これに対して内閣総理大臣が辞職する場合に内閣が総辞職することは特に規定を要しなくとも自明であるとみる学説もあり[7](国会法第64条も内閣総理大臣が「欠けたとき」と「辞表を提出したとき」とを分けている)、この説においても内閣総理大臣の辞職によって内閣総辞職となる場合には条理上同様の措置をとるべき(職務執行内閣が成立する)とされている[7]。いずれにしても内閣総理大臣が辞職したときは必然的に内閣総辞職を伴うことになる[13]
    他方、病気による入院等は内閣法9条の「内閣総理大臣に事故のあるとき」にすぎず[14]、内閣は総辞職する必要はなく内閣総理大臣臨時代理が置かれるにすぎない。なお、首相が留任したまま閣僚の入れ替えが行われるのは、それが総替えであっても内閣改造であって総辞職ではない。
  3. 衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があった時(日本国憲法第70条)。
    それまでの内閣総理大臣を指名した衆議院が存在しなくなり、衆議院議員総選挙によって新たに衆議院が構成されることになった以上、たとえ同一の者が内閣総理大臣に指名されるとしても内閣は新たにその信任の基礎を得るべきであるとの趣旨である[12]。総選挙後に初めて国会が召集された場合、法的には当然に内閣は総辞職することになる[10]
    既述されているように憲法70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」には国会議員の資格を失った場合も含まれ、内閣総理大臣が衆議院議員である場合には衆議院解散や任期満了により国会議員の資格を失えば直ちに総辞職することになりそうであるが、衆議院議員総選挙後には新たに国会が召集されることが予定されていることから、任期満了や衆議院の解散によって衆議院議員総選挙が行われる場合について日本国憲法第70条は「衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があった時」に内閣は総辞職すべきとしてその時期を新国会の召集時にまで延ばしている[12][15]。したがって、内閣は衆議院解散や任期満了時に一旦総辞職し更に総選挙後の初めての国会にも重ねて総辞職するということになるわけではない。内閣総理大臣が衆議院議員総選挙で落選した場合にも直ちにその地位を去るのではなく、衆議院議員総選挙後の初めての国会の召集時に総辞職することになると解されている[15]
    このように憲法では衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があった時は内閣は総辞職しなければならないと定めるが、衆議院解散から国会の召集の時までに死亡などの理由で「内閣総理大臣が欠けたとき」となった場合(上の2と3の事由が重なる場合)については、このような場合には内閣総理大臣が欠けたときではあるが国会召集時までは総辞職すべきでないと解する学説と直ちに総辞職すべきで国会召集時に重ねて総辞職する必要はないと解する学説が対立している(日本国憲法第70条参照)[16]。先例では1980年(昭和55年)5月19日に衆議院が解散された際(ハプニング解散)、同年6月22日の総選挙を前にした同年6月12日に大平正芳総理が急逝したため、同日大平内閣は総辞職し、国会召集時には総辞職を行わなかった[17]。これは衆議院解散後から総選挙後初めての国会の召集時までに死亡等により内閣総理大臣が欠けることとなった場合には直ちに総辞職すべきとの見解に立つものであるが、国会召集時に重ねて総辞職する必要がないとされるのは、内閣は内閣総理大臣が欠けたときに既に総辞職しており国会召集時に総辞職することは不可能と解されるためである[18]

内閣の自発的な総辞職あるいは内閣総理大臣の辞職も当然に認められていると解されている[19]。内閣総理大臣の辞職については、前述のように日本国憲法第70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」に含まないとすると日本国憲法第71条の「前二条」の場合に含まれないことになってしまい職務執行内閣が成立する根拠が失われるといった問題を生じるため、通説では日本国憲法第70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」には内閣総理大臣の辞職を含むとみている[6]。これに対し内閣総理大臣が辞職する場合に内閣総辞職となることは特に規定を要しなくとも自明であるとする学説もあり[7]、この説では憲法上の3つの場合の総辞職を「必要的総辞職」としそれ以外の自発的辞職などによる場合を「任意的総辞職」として分類するが[20]、この学説でも任意的総辞職の場合には必要的総辞職と条理上同様の措置がとられると解する[20][21]

したがって、内閣総理大臣の辞職が「内閣総理大臣が欠けたとき」(日本国憲法第70条)に含まれるか否かについては見解が分かれるものの両説は結論としては同じとなり、上のいずれの事由の場合にも内閣が総辞職した場合には新たに内閣総理大臣が任命されるまでは内閣は引き続きその職務を行うことになる(日本国憲法第71条職務執行内閣を参照)[21]

法手続[編集]

内閣が総辞職することになる時期については、憲法上、衆議院内閣不信任決議案が可決又は内閣信任決議案が否決されて10日以内に衆議院を解散しないとき(日本国憲法第69条)や内閣総理大臣が欠けたとき(日本国憲法第70条)には直ちに内閣は総辞職することになる[17]。内閣による自発的な総辞職も当然に認められている[19]。また、衆議院解散(衆議院で内閣不信任決議が可決又は内閣信任決議が否決され内閣が10日以内に衆議院の解散を選択した場合を含む)や衆議院任期満了の場合には、衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があった時に内閣は総辞職することになる(日本国憲法第70条[1][12]。なお、衆議院議員総選挙後の国会は、衆議院解散による場合は特別国会日本国憲法第54条第1項、国会法第1条第3項)、衆議院議員任期満了による場合は臨時国会(国会法第2条の3第1項)が開かれる。

日本国憲法第69条日本国憲法第70条で総辞職しなければならないとされる場合に至ったときには法的には当然に総辞職することになるが、形式的に内閣総辞職の閣議決定が行われる[10][22]。内閣総理大臣が総辞職を決断した場合、内閣総理大臣が他の閣僚を残したまま単独で辞任することはできないため、当然にその内閣の他の閣僚も全てその地位を辞することになるが、慣例として閣僚全員の辞表の取りまとめが行われる。かつて福田赳夫内閣において福田赳夫内閣総理大臣が自由民主党総裁選挙での敗北を理由に内閣総辞職をした時に中川一郎農林水産大臣が総辞職に異議を唱えて辞表を提出しなかった。福田が内閣法制局に見解を質したところ、内閣総理大臣の辞職が成立した時点で国務大臣も当然辞任する事になるとの見解を得たために、中川農水相に対して強引に辞表提出を求めなかったと言う。また、第3次鳩山内閣の外務大臣の重光葵は米国外遊中に総辞職という形で外務大臣を離任している。任意の内閣総辞職は内閣総理大臣が事実上の決定をする。つまり、内閣総理大臣の辞任は、内閣総辞職と事実上、同義である。

内閣総辞職と同時に副大臣大臣政務官も地位を失い(内閣府設置法第13条第5項・第14条第5項、国家行政組織法第16条第6項・第17条第6項)、官報にはそれぞれ「副大臣退官」及び「大臣政務官退官」として掲載される。また、内閣官房副長官内閣法制局長官内閣危機管理監内閣官房副長官補内閣広報官内閣情報官内閣総理大臣補佐官は法的には内閣総辞職と同時に地位を失うことはないが、慣例として辞表を提出し、官報には「願に依り本官を免ずる」として記載される(新内閣で再任される場合には新内閣の国務大臣等の任命についての記載に続いて「内閣法制局長官に任命する」や「内閣危機管理監に任命する」のように掲載される)。

内閣総辞職となった場合、内閣総理大臣は内閣総理大臣談話あるいは記者会見を行うことが通例である。総辞職を表明した内閣総理大臣は病気退陣を除いて国民への説明責任を果たすために長時間に渡って辞任の理由などに関する質疑を記者から受けることが多い。しかし、鳩山由紀夫は総辞職表明にあたって、身内の民主党国会議員に対する表明(連立与党である国民新党国会議員も当然含まれない)と短時間のぶら下がり以外では長時間に渡る質疑を受けなかった。ほか有名な例として佐藤栄作が総辞職の際に、新聞記者が佐藤と口論の末に会見場から全員退席し、無人の会見場でテレビカメラに向かって佐藤が延々と話し続けることになった。

先述のように総辞職した内閣は新たに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行う(職務執行内閣日本国憲法第71条)。内閣は総辞職したときには国会法に基づいて直ちに両議院に対して通知を行う(国会法第64条)。内閣が総辞職を表明すると新内閣が発足するまで国会審議などの日程が止まり、国会は他のすべての案件に先立って国会議員の中から内閣総理大臣を指名する(内閣総理大臣指名選挙日本国憲法第67条1項)。ただし、条理上、院の構成など正常な議事運営を行い議院が有効に活動するための前提となる手続(議長選挙や副議長選挙など役員の選任、会期の決定、議席の指定など)については先決問題として内閣総理大臣指名選挙よりも前に行われることとなっており(昭和53年衆議院先例集69、昭和53年参議院先例録77)、これは憲法が予定するところあるいは憲法の許容するところと解されている[12][23][24][25][26]

天皇は国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する(日本国憲法第6条1項)。内閣総理大臣の任命について定める日本国憲法第6条には日本国憲法第7条とは異なり「内閣の助言と承認」の文言がないが、内閣総理大臣の任命は日本国憲法第4条の「この憲法の定める国事に関する行為」(国事行為)に含まれると解されており日本国憲法第3条の効果として内閣の助言と承認を要する[27][28]。そして、先例では内閣総理大臣の任命についての内閣の助言と承認は日本国憲法第71条の規定によって従前の内閣が行うことになっている[27][28]。内閣総理大臣の任命をもって従前の内閣はその地位を完全に失う(日本国憲法第71条[29]

通例、内閣総辞職と新内閣総理大臣の指名・任命は同一の日であることが多いが、中には別の日となる場合がある(例:2000年4月4日小渕恵三内閣総辞職→翌5日森喜朗を内閣総理大臣に任命、2007年9月25日安倍晋三内閣総辞職→9月26日福田康夫を内閣総理大臣に任命)。この場合、内閣の存在期間あるいは各大臣の在任期間としては現実に職務権限を有していた最後の日=新総理任命の親任式の日がその最終日とされるが、官報、両院議長あて通知書などの公式文書上において特に「内閣総辞職の日付」を言う場合は閣議決定をした日が用いられる(先の例では、小渕内閣の存在期間の最終日は4月5日、小渕内閣の総辞職日は4月4日、安倍内閣の存在期間の最終日は9月26日、総辞職日は9月25日となる)。

内閣の総辞職に関して、官報では人事異動(内閣)の欄に「内閣総理大臣及び国務大臣退官」として「本月某日内閣総理大臣に何某が任命され、甲内閣の内閣総理大臣甲及び国務大臣乙、同丙、・・・はそれぞれその地位を失った。」のように掲載される。また、それに続いて「副大臣退官」と「大臣政務官退官」が掲載される。

大日本帝国憲法下の内閣総辞職[編集]

大日本帝国憲法は内閣総辞職について直接定めた条文はないが、第10条で天皇には文武官任免権が存在していることから、天皇に内閣総理大臣の罷免権があるとされた。

しかし、実際に天皇が内閣総理大臣の罷免権を行使した例はなく、それ以外に内閣総辞職させる直接的な法構造は存在なかった。戦前の内閣総辞職の理由には、円満退陣・政局・病気・スキャンダルのほか、閣内不統一(首相の閣僚罷免権がなかったため)・宮中関係(第2次山本内閣皇太子暗殺未遂の引責など)という戦前特有の理由がある。中には、第2次近衛内閣のように実質的には内閣改造でしかないものや、総辞職理由がはっきりしないものもある。

田中義一内閣の総辞職は、満洲某重大事件の処理について昭和天皇から「お前の言っていることは前と全然違うではないか。もうお前の言うことは聞きたくない」と田中が叱責され、恐懼して辞任したものであるが、これはあくまでも田中の自発的辞任で天皇が首相罷免権を直接行使しての首相罷免ではなかった。

先例[編集]

同一首相による内閣の代重ねの際の形式上の総辞職は除く。旧憲法下では、衆議院による信任は内閣存立の法的要件でないため、総選挙敗北直後の総辞職は慣行である「憲政の常道」に基づく。

首相 理由 備考
伊藤博文 円満辞任  
黒田清隆 政局 日墨条約問題
(大隈重信暗殺未遂事件)
山縣有朋 政局 議会による政費節減政策要求
松方正義 政局  
伊藤博文 政局 松方・大隈の入閣構想への山縣の反発
松方正義 政局  
伊藤博文 政局  
大隈重信 政局 共和演説事件
山縣有朋 政局  
伊藤博文 政局 鉄道建設事業中止問題
桂太郎 円満辞任  
西園寺公望 政局  
桂太郎 円満辞任  
西園寺公望 政局 二個師団増設問題
桂太郎 政局 大正政変
山本権兵衛 政局 シーメンス事件
大隈重信    
寺内正毅 引責 米騒動
原敬 暗殺 原敬暗殺事件
高橋是清 政局  
加藤友三郎 病死  
山本権兵衛 引責 虎ノ門事件
清浦奎吾 憲政の常道 衆院選敗北(第二次護憲運動
加藤高明 病死  
若槻禮次郎 政局 昭和金融恐慌の処理問題
田中義一 引責 張作霖爆殺事件の処理問題
濱口雄幸 傷害・死亡 首相狙撃事件
若槻礼次郎 政局 満州事変の処理問題
犬養毅 暗殺 五・一五事件
斎藤実 引責 帝人事件(冤罪)
岡田啓介 引責 二・二六事件
広田弘毅 政局 腹切り問答
林銑十郎 憲政の常道 衆院選敗北(食い逃げ解散
近衛文麿    
平沼騏一郎 引責 独ソ不可侵条約
阿部信行 政局 米価問題
米内光政 政局 陸軍の陸相不推挙
近衛文麿 引責 対米交渉頓挫
東條英機 政局 サイパン陥落
小磯国昭 政局 米軍沖縄上陸
鈴木貫太郎 引責 敗戦
東久邇宮稔彦王 引責 GHQとの関係
幣原喜重郎 憲政の常道 旧憲法下最後の衆院選敗北
吉田茂 少数党転落 総選挙で社会党が衆議院第一党
片山哲 政局 社会党左派との関係・予算案否決
芦田均 引責 昭和電工事件・少数与党に譲る
吉田茂 少数党転落 造船疑獄・与党分裂
鳩山一郎 円満退陣  
石橋湛山 病気  
岸信介 政局 安保闘争
池田勇人 病気  
佐藤栄作 円満退陣  
田中角栄 引責 田中金脈問題
三木武夫 引責 衆院議席減少
福田赳夫 総裁選敗北 大福戦争
大平正芳 病死 四十日抗争ハプニング解散
鈴木善幸 総裁選不出馬 日米関係悪化
中曽根康弘 円満退陣 自民党総裁任期満了
竹下登 引責 リクルート事件消費税導入
宇野宗佑 引責 参院選敗北(不倫・農業市場開放)
海部俊樹 政局 政治改革三法案廃案
宮沢喜一 少数党転落 不信任可決後、衆院選敗北
細川護煕 政局 佐川借入金問題・与党内分裂状態
羽田孜 少数党転落 連立崩壊
村山富市   発足時より連立与党内少数派
橋本龍太郎 引責 参院選敗北
小渕恵三 病気 首相臨時代理による総辞職
森喜朗 政局 低支持率・えひめ丸事故対応批判
小泉純一郎 円満退陣 自民党総裁任期満了
安倍晋三 病気 (参院選敗北)
福田康夫 政局 参院問責決議・次期総選挙対策
麻生太郎 少数党転落 衆院選敗北
鳩山由紀夫 引責 普天間基地移設問題・自身の献金問題
菅直人 政局 震災復旧・復興問題
野田佳彦 少数党転落 衆院選敗北

関連書籍[編集]

  • 塩田潮「辞める首相 辞めない首相」(日本経済新聞出版社)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 阿部照哉著 『青林教科書シリーズ 憲法 改訂』 青林書院、1991年、228頁
  2. ^ 阿部照哉著 『青林教科書シリーズ 憲法 改訂』 青林書院、1991年、230頁
  3. ^ 2000年4月25日に参議院予算委員会で内閣法制局長官は「将来にわたって内閣総理大臣として執務することができない状態」と答弁している。
  4. ^ 行政制度研究会編 『現代行政全集1政府』 ぎょうせい、1983年、126頁
  5. ^ 2000年4月25日に参議院予算委員会で内閣法制局長官は『意識不明で近い将来に回復の見込みのないような場合は「内閣総理大臣が欠けたとき」に当たると解するのが相当』と答弁している。
  6. ^ a b c d 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、224頁
  7. ^ a b c d 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、852頁
  8. ^ 渋谷秀樹著 『憲法』 有斐閣、2007年、553頁
  9. ^ 国会議員資格を喪失した内閣総理大臣の地位について法律では明記されていないが、2000年4月25日に参議院予算委員会で内閣法制局長官は『「内閣総理大臣が国会議員たる地位を失った場合」は「内閣総理大臣が欠けたとき」に該当する』と答弁し、また首相官邸のHPでは内閣総理大臣が国会議員でなくなった場合は「内閣総理大臣の失格」として「内閣総理大臣が欠けたとき」に該当し、内閣総理大臣が国会議員で無くなった場合は内閣総辞職しなければならないとしている。
  10. ^ a b c 伊藤正己著 『憲法 第三版』 弘文堂、1995年、517頁
  11. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、209頁
  12. ^ a b c d e 伊藤正己著 『憲法 第三版』 弘文堂、1995年、518頁
  13. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、223頁
  14. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、225頁
  15. ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、827頁
  16. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、226-227頁
  17. ^ a b 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、227頁
  18. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、826頁
  19. ^ a b 渋谷秀樹著 『憲法』 有斐閣、2007年、552頁
  20. ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、855頁
  21. ^ a b 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、224-225頁
  22. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、226頁
  23. ^ 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、115頁
  24. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、211頁
  25. ^ 参議院総務委員会調査室編 『議会用語事典』 学陽書房、2009年、316頁
  26. ^ 浅野一郎・河野久著 『新・国会事典―用語による国会法解説』 有斐閣、2003年、139-140頁
  27. ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、69-70頁
  28. ^ a b 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法I(前文・第1条〜第20条)』 青林書院、1994年、96頁
  29. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法III(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、229頁

関連項目[編集]