総州家 (島津氏)

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総州家(そうしゅうけ)は薩摩守護島津氏の分家。初代当主の島津師久上総介を称していたことからこの名がついた。川内碇山城を居城としていた。

島津家5代当主貞久は、晩年に三子の師久に薩摩守護職を、四子の氏久大隅守護職を譲り島津家を分割統治させた。薩摩守護職を継いだ総州家であったが、2代伊久と子の守久の間で争いが起きる。伊久は両者の争いを調停した奥州家2代の元久に薩摩守護職と先祖伝来の家宝を譲り渡した。しかし伊久と元久も次第に対立し衝突するに至る。足利義満の調停によっていったんは和解するが、4代久世の代に元久の弟で島津宗家8代当主の久豊と対立、和議の席で久豊によって殺害される。3代守久も後に島津宗家9代の忠国に攻められ、肥前国に亡命した、守久とともに抵抗をしていた忠朝(伊久の次男)も総州家が持っていた島津宗家の文書を引き渡して降伏した。5代久林は祖父の守久とともに肥前に逃れたが、しばらくすると帰国して真幸院に潜伏していたところを忠国に急襲され自害し、総州家は断絶する。

ただし、忠朝の子孫が肥後国に逃れて相馬氏と号し、島津忠国に対する反発から渋谷氏一族が国一揆を起こした際に大将に迎え入れられたとする記録が残されている[1]

歴代当主[編集]

  1. 島津師久(1325 - 1376)…子:伊久(2代)、久安(碇山家)
  2. 島津伊久(1347 - 1407)…子:守久(3代)、忠朝、久照
  3. 島津守久(生没年不詳) …子:久世(4代)
  4. 島津久世(? - 1416)…子:久林(5代)
  5. 島津久林(1412 - 1430)

脚注[編集]

  1. ^ 新名一仁『室町期島津氏領国の政治構造』(戎光祥出版、2015年) ISBN 978-4-86403-137-0 P157-161

関連項目[編集]