綿貫佐民

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綿貫 佐民
わたぬき すけたみ
生年月日 1896年4月25日
出生地 兵庫県淡路島
没年月日 (1950-09-07) 1950年9月7日(54歳没)
出身校 慶應義塾大学理財科卒業
前職 富山県会議員
所属政党立憲政友会→)
日本自由党
親族 綿貫栄(義父)
綿貫民輔(長男)
南鐵太郎(兄)

当選回数 2回
在任期間 1946年4月 - 1947年6月3日[1]

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綿貫 佐民(わたぬき すけたみ、1896年4月25日[2] - 1950年9月7日)は、日本政治家実業家。元衆議院議員の綿貫民輔は長男。

来歴・人物[編集]

兵庫県三原郡賀集村の南家に生まれる。父は兵庫県議自由民権家の南嘉五郎慶應義塾大学理財科卒。卒論交通経済学[3]。卒業後は日本電力に入社し、日本電力社員として小牧ダム建設のため富山県井波町に入る。ダム建設反対運動のさなか、運動家たちとの接触を通じてダム反対派の中心メンバーの一人だった綿貫栄と知り合う。綿貫栄らが条件闘争派として反対運動からの分派行動をとる過程で親しくなり、綿貫栄の長女と結婚する。綿貫栄の長男が交通事故で亡くなったため婿として綿貫家に迎えられる。その後、富山県会議員を経て、1943年に砺波運輸(現・トナミ運輸)を創業、社長となる。

1946年第22回衆議院議員総選挙において富山県から日本自由党公認で立候補して衆議院議員に初当選。翌1947年の総選挙で再選、通算で2回の当選を果たした。しかし、間もなく義父の綿貫栄とともに公職追放となり[4]、衆議院議員を退職する[5]。この他立憲政友会富山県支部幹事長、日本自由党幹事、合同木材取締役、井波機業社長、金名鉄道社長などの要職を歴任した。

1950年、公職追放解除されないまま死去した。

脚注[編集]

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  1. ^ 『官報』第6117号、昭和22年6月7日。
  2. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、24頁。
  3. ^ 『月刊自由民主,第1~4号』自民党、2005年、106ページ
  4. ^ 公職追放の該当事項は「翼壮団長」。(総理庁官房監査課 編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、720頁。NDLJP:1276156 
  5. ^ 『議会制度百年史 院内会派編 衆議院の部』556頁。