細田正彦
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | 山梨県中巨摩郡玉穂町 |
| 生年月日 | 1947年1月3日(72歳) |
| 身長 体重 |
176 cm 65 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1965年 |
| 初出場 | 1965年 |
| 最終出場 | 1967年 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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細田 正彦(ほそだ まさひこ、1947年1月3日 - )は、山梨県中巨摩郡玉穂町出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物[編集]
山梨県立市川高等学校時代は、1年生からエースとなり、右の下手投げから放たれる威力のある直球、シュートを武器に1964年の夏は西関東大会にまで出場した。1965年に国鉄スワローズへ入団。1年目から一軍の試合で登板した。3年目の1967年10月の大洋ホエールズ戦では先発した半沢士郎が乱調だったあとにリリーフに立ち、最後は緒方勝の救援を仰いだものの7点という打線の援護もあり初勝利を挙げた。翌1968年に監督に就任した別所毅彦も大きな期待をかけていたが、春のキャンプで右足を複雑骨折する重傷を負った。半年間の入院生活を送り、そのまま22歳で現役を引退した。
引退後は熱海ホテルに勤務したのち山梨へ帰郷、市川大門町でスポーツ店を経営、傍らでリトルリーグの指導も行った。
背番号[編集]
- 38 (1965年 - 1967年)
- 44 (1968年)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 細田正彦 - NPB.jp 日本野球機構