紫 (バンド)

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出身地 沖縄県
ジャンル ハードロック
活動期間 1970年 - 1981年
2000年 - 現在
公式サイト 紫(MURASAKI)NEWオフィシャルサイト
メンバー JJ(ボーカル
ジョージ紫(キーボード
Chris (ベース
宮永英一(ドラム
比嘉清正(ギター
下地行男(ギター)

(むらさき)は、日本ハードロックバンド沖縄県出身ロックバンドの草分け的存在である。

メンバー[編集]

1975年 - 1978年[編集]

  • ジョージ紫(キーボード)
  • 宮永英一(ドラム、ボーカル)
  • 城間正男(ボーカル)
  • 城間俊雄(ベース)
  • 下地行男(ギター)
  • 比嘉清正(ギター)

2000年 - 2006年[編集]

  • ジョージ紫(キーボード)
  • 宮永英一(ボーカル)
  • RAY(ベース(ジョージ紫の長男))
  • LEON(ドラム(ジョージ紫の次男でSEX MACHINEGUNSの現メンバー))
  • 佐藤圭一(ギター)

2007年以降[編集]

  • ジョージ紫(キーボード)
  • JJ(ボーカル) 元MARINER(これもジョージ紫が結成していたバンド)、HEAVY METAL ARMY
  • 比嘉清正(ギター)
  • 下地行男(ギター)
  • 宮永英一(ドラム)
  • Chris(ベース)

来歴[編集]

結成から解散まで[編集]

1968年フィリピン軍属とのハーフである城間俊雄・正男・勉の三兄弟が結成したロックバンド「ピーナッツ」を前身とする。金武町のクラブに出演し、ドアーズヴァニラ・ファッジなどの曲をカバーした。当時の沖縄はアメリカの施政下にあり、嘉手納飛行場キャンプ・ハンセンなどは、ベトナム戦争へ動員前、あるいは休暇中の米軍兵士があふれ、米軍基地周辺では彼らを客とする歓楽街が賑わっていた。米兵向けのクラブにはアメリカのロック、ソウルを生演奏するため、アマチュアまたはセミプロのバンドが数多く出演していた。

1969年UCLAを中退し、沖縄に帰還した日系3世・比嘉ジョージ(ジョージ紫)がピーナッツに加入し、「ジョージ紫グループ」にバンド名を変更した。ジョージ紫はディープ・パープルに深い影響を受けており、その後のバンドの音楽性を左右する存在となる。

1970年、下地行男が加入し、城間勉が脱退した。また、この時にバンド名を「紫」とした。オリジナルメンバーはジョージ紫、城間俊雄、城間正男、下地の4人で、それ以外は様々なメンバーチェンジがあり、サイドギター、サックスパーカッションなどが入ることもある流動的な編成だった。

1971年、「万座ビーチ・ロック・コンサート」に出演した。このコンサートで、興奮したファンの一人がピストルを振りかざし、あげく黒人刺殺事件にまで発展するという惨事が発生した。 1972年、コザのセンター通りにあったクラブ「チャンピオン」にて演奏活動を行う。

1973年1月、宮永英一が加入するが、1年後の1974年1月に脱退し、国吉重敏が加入する。宮永はその後「コンディション・グリーン」に参加した。また、クラブ「タイガー」の共同経営者となり、以降はここを拠点にライブ活動を行う。タイガーは1977年に閉店し、それ以降はライブハウス「紫」をバンド解散まで経営することになる。

1975年4月、宮永が再加入して7月に国吉が脱退するまで宮永と国吉のツインドラムスになった。国吉が脱退した同月に比嘉清正が加入し、ジョージ紫(key)、宮永(dr,vo)、城間正男(vo)、城間俊雄(b)、比嘉(g)、下地(g)の6人編成は1978年まで続く。8月8日、大阪「8・8ロックデー」にゲストとして登場し、本土での初演奏を果たす。後にリリースされたオムニバスアルバム「'75 8・8 ROCK DAY LIVE」にそのライブの模様が収録された。

1976年4月1日、ファーストアルバム『MURASAKI』、10月1日には邦楽初の12インチ・シングル『FREE』を3万枚限定で発売した[1]12月には『IMPACT』を発売し、4万枚の売り上げを記録した。また、翌年にかけて北海道から九州にわたるライブツアーを実施した。

1977年、「ミュージックライフ」誌77年度の人気投票で国内部門グループ第1位、6人のメンバーも各プレイヤー部門でそれぞれトップランキング入り[2]し、2枚のアルバムも3位と5位を受賞した。また、TBSぎんざNOW!」で生演奏を披露する。

1978年、全国ツアーを行い、5月には12インチシングル『STARSHIP ROCK'N ROLLERS』を発売した。年内にアメリカでのレコーディング、ヨーロッパ各国でのレコード発売が予定されていたが、ジョージ紫、宮永、比嘉の3人が突然脱退を発表する。メンバーそれぞれの音楽性の不一致と停滞が理由とされる。同年9月22日に、那覇市民会館でラストコンサートを行った。その後、城間兄弟と下地は残留し、1979年に新しいメンバーを迎えて「紫」を引き継ぎ、新メンバーで活動を継続していたが、1981年に解散した。

解散後[編集]

解散後、城間正男は「メッツ」というバンドのボーカルとなり、城間俊雄はコザのクラブで演奏を行うが、その後、城間兄弟はAOR系のバンド「ISLAND(アイランド)」を結成し、1983年にライブハウス「ISLAND」を開いた。アイランドは1989年に『stay with me』を発表した。1993年に発売されたファーストアルバムには、ジョージ紫が曲を提供した。

ジョージ紫はアメリカからメンバーを集め、1979年に5人組のロックバンド「MARINER(マリナー)」を結成。メンバーは、ジョージ紫(Key)、モーガン・ホフラー(B/Vo)、グレン・フォード(g)、ジョン・ブリングル(Ds/Perc)、ジョン・パターソン(Vo/Perc)。2枚のアルバムを発表したが、メンバーのビザの問題があり、翌1980年に解散した。 同年、現代音楽家・上地昇の交響詩「あけもどろ」の上演に参加する。1982年にはテノール歌手・大井学とのジョイントで、作曲家・宮良長包の作品をアレンジしたアルバム「青い風・沖縄」を発表するなど、沖縄県出身アーティストとの共演によるクラシックと琉球音楽の融合を図る。また1981年には「ジョージ紫&オキナワ」を結成した。ジョージ紫&オキナワには、後に宮永がボーカルとして加入し、1985年にはディアマンテスのギターであるターボらを加え、メンバーチェンジして紫を再結成するが、間もなく解散した。その後、ジョージ紫は1989年にロックオペラ「シャングリラ・琉球」を発表する。

宮永はコンディショングリーンに再加入し、アメリカ録音のアルバムを発表した。また、1979年に再結成された「キャナビス」に参加、翌1980年にバンド名を「SAN-DIEGO(サンディエゴ)」に改め、CBSソニーよりデビューした。その他、テレビドラマ「猿飛佐助」の主題歌製作や、チャーアン・ルイスなど東京での数多いセッション活動や、ドラムクリニックなどをこなす。宮永は1983年に沖縄県へ戻り、元コンディショングリーンのギタリスト・シンキと「HEAVY METAL ARMY」、後に「EASTAN ORBIT」として2枚のアルバムを発表し、1988年に「ZODIAC」を結成する。また、自分のルーツである琉球音楽に傾倒し、ケーシー・ランキンとともにユニット「琉球マジック」を結成した。

比嘉は「エナジー」というバンドを結成し、音楽活動をする傍ら、普天間でライブハウス「COCONUT MOON」を経営した。1990年には、恩納村に「BEACH BAR COCONUT MOON」を開店する。

下地は音楽活動から離れ、資格をとり就職した。

再結成[編集]

紫の解散後、下地以外のメンバーはそれぞれ個別に音楽活動を継続するが、1983年恩納村グランドパーク跡地で開催された「MURASAKI WHY NOW? Piacefull Love Rock Concert」(第1回ピースフルラブ・ロックフェスティバル)にて一時再結成し、ライブの模様は同名タイトルのCDとなり、ビクターより発売された。また、東京でもライブが行われた。

その後、解散から10年以上経った1992年、沖縄復帰20周年を記念して東京・BIG EGG CITYで開催された大琉球祭に、下地以外のメンバーが紫を再結成し出演する。また、来沖したイアン・ギランのソロライブの際に前座を務めた。1994年にはライブハウス「ISLAND」にて、「同窓会」と称して再結成ライブを一夜限りで行う。1997年には、交通事故で死亡した音響の屋嘉部詳の死を悼み、屋嘉部の生前の願いだった紫の再結成をかなえるため、交通遺児チャリティーというコンセプトで9月28日、宜野湾市野外海浜公園で一夜限りの再結成ライブを行う。その模様はアルバム「BACK TO THE ROOTS」に収録された。

1998年11月22日東京渋谷ON AIR EASTで開催された「THE NIGHT OF OKINAWA HARD ROCK, ROCK'N ROLL WILL NEVER DIE」に出演し、1999年、宮永とジョージ紫を中心に「NEW紫」を結成した。メンバーはジョージ紫の長男のレイ(b)、次男のレオン(dr)、比嘉(g)、宮永(vo)、ジョージ紫(key)。翌2000年東北出身のギタリスト佐藤圭一が比嘉の代わりにギターをつとめ、正式にメンバーとして加入。以降、メンバーはレイ(b)、レオン(dr)、佐藤(g)、宮永(vo)、ジョージ紫(key)の5人編成だった。

2004年1月23日、大阪で開催されたハードロックサミットに参加。翌日は佐藤がBOW WOW山本恭司と競演する。

2007年7月8日、沖縄市コザ運動公園野外ステージで開催された「ピースフルラブ・ロックフェスティバル[3]」(25回記念)にジョージ紫、宮永、下地、比嘉の4人で出演。『DOUBLE DEALING WOMAN』、『Smoke On The Water』などを演奏。その後、コザのライブハウス「7th Heaven KOZA」にて定期的にライブを行う。ピースフルラブ・ロックフェスティバルにも毎年参加している。

2008年5月18日日比谷野外音楽堂にて開催された「Japan Rock Band Fes. 2008」に、BLUES CREATION頭脳警察めんたんぴんと共に参加した。

2009年10月11日神戸ビエンナーレにて「Murasaki Once Again Peaceful Love Rock Concert in KOBE」にラウドネス高崎晃山下昌良、元メンバーであり現8-BALLのRay、Leon、Kazufumiらと共演した[4]。紫のメンバーは、ジョージ紫(key)、JJ(vo)、比嘉(g)、下地(g)、宮永(dr)、Chris(b)だった。同年11月15日には、東京下北沢(下北沢GARDEN)にて「紫ライブin東京2009」を行う[5]。メンバーは、ジョージ紫(key)、JJ(vo)、比嘉(g)、下地(g)、宮永(dr)、Chris(b)。

2010年3月28日、未来へのメッセージ-オキナワンロックの軌跡・沖縄国際アジア音楽祭musix2010[6]に、かっちゃん&JACK NASTY'S BAND・オキナワンロックオールスターズと共に出演。同年6月9日に、スタジオ録音としては34年ぶりのニューアルバム「Purplessence」を発売した[7]。メンバーは、ジョージ紫(key)、JJ(vo)、比嘉(g)、下地(g)、宮永(dr)、Chris(b)。9月21日には、Kobe CHICKEN GEORGE[8]においてライブを行い、9月23日にはShibuya O-EASTにおいてワンマンライブを行う。

2011年2月20日、城間俊雄が白血病による合併症で死去した。6月25日に鳥取県倉吉市のKurayoshi MIRAI-CHUSHIN[9]において、「紫ライヴイン倉吉2011」[10]を行う。

2012年10月、琉球放送およびTOKYO MXにて放送が開始される「琉神マブヤー1972レジェンド」の主題歌を担当する。琉神マブヤーの主題歌をChrisがロック・バージョンにアレンジしてジョージ紫監修のもと、JJが英語バージョンを、宮永が日本語バージョンを歌う。

不祥事[編集]

2002年、元ボーカルだった城間正男が名護市内のスナックに不法侵入して店員である女性を強姦した後、現金を奪って逃走したが後に逮捕される[11]。2年後の2004年には再び城間正男が不法侵入により逮捕される[12]。さらに2005年に城間正男は、スーパーでの万引きによる窃盗により3度目の逮捕[13]となった。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

  • 『紫』 - 1976年 1st
  • 『iMPACT』 - 1976年 2nd
  • 『Do In Our Thing』 - 1977年 ライブ
  • 『MURASAKI WHY NOW…?』 - 1983年 ライブ
  • 『MURASAKI FOREVER』 - 1998年 ベスト
  • 『BACK TO THE ROOTS』 - 1998年 ライブ
  • 『ゴールデン☆ベスト』 - 2005年 ベスト
  • 『PURPLESSENCE』 - 2010年 3rd

脚注[編集]

  1. ^ ロッキンf」1976年10月号の広告から。
  2. ^ 「ミュージックライフ」誌 人気投票
  3. ^ ピースフルラブ・ロックフェスティバル 詳細
  4. ^ 神戸ビエンナーレ「Murasaki Once Again Peaceful Love Rock Concert in KOBE」詳細
  5. ^ 「紫ライブin東京2009」詳細
  6. ^ 未来へのメッセージ-オキナワンロックの軌跡【沖縄国際アジア音楽祭musix2010】詳細
  7. ^ 「紫 ニューアルバム【PURPLESSENCE】2010年6月9日発売」詳細
  8. ^ Kobe CHICKEN GEORGE
  9. ^ Kurayoshi MIRAI-CHUSHIN
  10. ^ 「紫ライヴイン倉吉2011」
  11. ^ 伝説のバンド”元ボーカルが準強姦
  12. ^ 「紫」の元ボーカル逮捕 沖縄県警
  13. ^ [1]

外部リンク[編集]