純献皇貴妃

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純献皇貴妃 嚴氏
순헌황귀비

全名 嚴善英
出生 1854年2月2日
朝鮮国漢城府
死去 1911年7月20日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮京城府徳寿宮
配偶者 高宗
子女 李垠
父親 嚴鎭三
母親 密陽朴氏
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純献皇貴妃 嚴氏
各種表記
ハングル 순헌황귀비 엄씨
漢字 純献皇貴妃
発音 スンホンファングィビ オムシ
日本語読み: じゅんけんこうきひ げんし
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純献皇貴妃 嚴氏(じゅんけんこうきひ げんし、スンホンファングィビ オムシ、순헌황귀비 엄씨、1854年 - 1911年)は、李氏朝鮮の第26代国王及び大韓帝国初代皇帝高宗後宮。大韓帝国最後の皇太子である李垠の生母。

実名は、嚴善英(げん ぜんえい、オム・ソンヨン、엄선영)。本貫寧越嚴氏。朝鮮では、一度も登場しなかった皇貴妃朝鮮語版という地位を唯一得た人物でもある。

生涯[編集]

1854年、嚴鎭三の娘として生まれた。8歳で、景福宮女官として入宮。

1885年、高宗の寵愛を受けたことが発覚すると、高宗の妃であった閔妃によって、宮中から追放された。露館播遷の際は高宗に同行した。1897年には李垠を生み、貴人に冊封される。その後、淳嬪や淳妃を経て、皇貴妃に昇格する。

1905年、「養生義塾」(後の養生高等学校朝鮮語版)を設立。1906年には「明新女学校」(後の淑明女子大学校)を設立。

1911年7月20日に、57歳で逝去。死後、純宗より純献貴妃の称号が与えられた。

家族[編集]

登場作品[編集]

テレビドラマ

外部リンク[編集]