紋鼈製糖所

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紋鼈製糖所(もんべつせいとうじょ)は、かつて北海道伊達市錦町にあった製糖工場。

1879年、伊達家が開設した製糖工場。また、明治維新後、政府西洋諸国に対抗し、国家の近代化を図るために設置した官営模範工場である。この官営模範工場の開設により新産業の育成を目指した。

伊達家は、西洋式農法の導入を進め、北海道の牧牛場の開設のほか、アマ(亜麻)やテンサイの作付けを奨励した。

官営工場の払い下げ

1880年(明治13年)西南戦争後の財政難のため、「官営工場払下概則」が施行される。軍事・造幣・通信などを除いた官営工場の多くが整理され、また、歳出削減をはかるため、政府は、政府と密接な関係を持つ政商に安い価格で払い下げた。紋鼈製糖所は1890年に994円で伊達邦成に払い下げられる。この民間への払い下げによって、財閥の形成を促した。