紀元二千六百年奉祝美術展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

紀元二千六百年奉祝美術展(きげんにせんろっぴゃくねんほうしゅくびじゅつてん)とは1940年(昭和15年、皇紀2600年)には紀元二千六百年記念行事の一環として日本で開催された公募美術展覧会である[1]

概要[編集]

鏑木清方が展覧会委員をつとめ、清方の門下らが作品を出品している。作品の出品に際しては従来美術家に課せられていた奢侈品(贅沢品)の作成を禁止する七・七禁令が美術工芸品に関しては免除されることが決定された[2]

また展覧会に合わせ新たに国家記念事業として[3]編纂・刊行された「日本文化大観」(歴史編上・下、現勢編、図録上・中・下の6巻)がある[4]

合作としては横山大観菊池契月安田靫彦前田青邨中村岳陵長野草風吉村忠夫服部有恒岩田正巳らによる「肇国創業絵巻」が5月6日から20日まで帝室博物館表慶館で一般公開された[5]

その他、紀元2600年奉祝に際し明治神宮20年祭奉祝と合わせ、日本画家跡見玉枝が明治天皇に縁ある桜の古木を描いた「御駒繋ぎ桜」を10月27日に同神宮へ奉納している[6]

外国から日本へ美術品が奉祝として贈られた事例としては大日本帝国海軍に対しアルゼンチン海軍から紀元2600年奉祝としてキンケーラ・マルテイン作の油絵『強き太陽の日』が贈られている[7]

開催期間中には照宮内親王[8]三笠宮崇仁親王[9]賀陽宮恒憲王[9]などの皇族も来訪した。

その後、日本国内現代美術を紹介するためとして出品作品より日本画、洋画など図録約50点がイタリアに贈られ、当時のイタリア首相ムッソリーニを初めとしてイタリア国内の公共施設・団体に寄贈された[10]

個別作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「大日美術院第四回展中止」(1940年2月)、2018年5月22日閲覧。
  2. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「美術工芸品に七七禁令免除」(1940年8月)、2018年5月29日閲覧。
  3. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「日本文化大観編修会官制公布」(1939年2月)、2018年5月29日閲覧。
  4. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「「文化大観」第一巻成る」(1942年12月)、2018年5月29日閲覧。
  5. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「「肇国創業絵巻」公開」(1941年5月)、2018年5月29日閲覧。
  6. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「跡見玉枝筆「御駒繋ぎ桜」奉納2018年5月29日閲覧。
  7. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「亜国海軍帝国海軍へ献画」(1940年6月)、2018年5月29日閲覧。
  8. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「照宮内親王殿下帝室博物館及び奉祝展台臨」(1940年11月)、2018年5月29日閲覧。
  9. ^ a b 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「三笠宮、賀陽宮両殿下奉祝展へ御成り」(1940年11月)、2018年5月29日閲覧。
  10. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「紀元二千六百年奉祝展図録を伊太利亜に贈る」(1941年9月)、2018年5月29日閲覧。
  11. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「川合玉堂作品献上」(1942年12月)、2018年5月29日閲覧。
  12. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「朝日文化賞贈呈式挙行」(1941年1月)、2018年5月29日閲覧。
  13. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「和気清麿公銅像除幕式」(1940年12月)、2018年5月29日閲覧。
  14. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「高木背水謹写」(1940年10月)、2018年5月29日閲覧。
  15. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「印象橿原神宮献納画完成」(1940年2月)、2018年5月29日閲覧。
  16. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「黒田子爵記念美術奨励資金買上」(1940年10月)、2018年5月29日閲覧。
  17. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「横山大観献画」(1940年12月)、2018年5月29日閲覧。

参考文献[編集]

  • 鏑木清方記念美術館鎌倉市芸術文化振興財団 編『鏑木清方の系譜 ‐師水野年方から清方の弟子たちへ‐』鎌倉市鏑木清方記念美術館、2008年。NCID BA89957261