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二十四節気

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節気から転送)

二十四節気(にじゅうしせっき)とは、中国戦国時代の頃(紀元前300年代)に発明された、四季気候の視点で一年を区分する方法。中国では時代ごとにさまざまな暦法が用いられてきたが、それらは月の満ち欠けを基準とする太陰暦的な仕組みと、太陽の運行を基準とする太陽暦的な仕組みを併せもつ太陰太陽暦であった。二十四節気は、そのうち太陽の動きを基準とした要素である。

月の満ち欠けを基準に一ヶ月を定める中国暦では、月の運行と季節の進み方が一致しないため、季節を把握するための別の指標が必要となった。そこで、一太陽年を24に分けて季節の目安とした(分割方法には平気法定気法がある)。24の区分のうち十二を「節気」(「正節」「節」とも)、残りの十二を「中気」(「中」とも)と呼び、両者は交互に現れる。これらの名称には「大暑」「大寒」など、季節の特徴を表す語が用いられており、農事や生活の指標ともなっていた。また、暦を計算する際に閏月を入れて季節とのずれを調整するが、その際の基準としても用いられる(中気が用いられる)。

さらに、節気と中気が一組になったものを単位として、一年を十二分にわけたものを十二節という。

概説

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中国

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重要な中気である夏至冬至二至春分秋分二分は併せて二至二分(にしにぶん)と言い、重要な節気である立春立夏立秋立冬四立(しりゅう)、二至二分と四立を併せて八節(はっせつ)という。その他の二十四節気には、(古代の)中原の季節感を反映する名前が付けられている。例えば、西安では小寒·大寒の間に寒さのピークが、小暑·大暑のころに暑さのピークがある[1]

なお、「啓蟄」は中国では「驚蟄」(中国語版)とよぶ。また、「穀雨」は簡体字では「谷雨」(Wikitionary)である。(繁体字では「穀雨」)。

さらに各気各候に応じた自然の特徴が記述されるものとして、二十四節気をさらに約5日ずつに分けた七十二候という区分けもある。また、逆に連続する正節と中気をひとまとめにした十二節という区分もある。春夏秋冬の四季は、各々、三つの節を含む。日本の「土用」にあたる「土王用事」は、各季節の終わりの1/5ほどの期間である[2]

現代の中華人民共和国における「二十四節気」は、2016年10月31日ユネスコ無形文化遺産に登録されたほか[3]2022年2月4日(立春)におこなわれた北京オリンピックの開会式では、カウントダウンに用いられた。

日本

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本来「二十四節気」は、中国の中原の気候をもとに名付けられており、日本で体感する気候とは季節感が合わない場合がある。違いを大きくするものとして、日本では梅雨台風がある。また、夏至はまだ梅雨の真っ只中にあり、はまだ鳴き始めていない。小暑では蒸し暑さは増すものの七夕を眺めるような晴れの空は期待できず、暑中ではあるのに地域によって梅雨寒となることもある。大暑は「最も暑い時候」と説明されるが、盛夏のピークは立秋の前後となる。

二十四節気をさらに細分した七十二候も、日本の風土に合わず、江戸時代渋川春海によって「本朝七十二候」に改訂されている。また、二十四節気以外に「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取り入れたが、それらの一部は、日本の季節感に対応して導入されている。暦は、二十四節気や七十二候雑節を注記して発行されていた。これらは日付だけでは表現できない季節感を表現し[要出典]、現在でも農事暦を楽しむ生活暦として使われる。

旧暦では、月の満ち欠けをもとに日付を定めるので、二十四節気や七十二候の日付は毎年、かなり違う。月の満ち欠けの周期(朔日間)はおよそおよそ29.5日だから、最大ではその程度ずれることがある。日本は1873年明治6年)1月1日以降、太陽暦をもとにしたグレゴリオ暦(いわゆる新暦)を採用したため、二十四節気の日付は毎年ほぼ一定となった。

暦便覧

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江戸時代の中期から後期の常陸国宍戸藩5代藩主である松平頼救が、著者となっている暦の解説書[4]

成立の背景

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月の運行のみに基づく太陰暦では、月と日付が太陽の位置とは無関係に定まり、暦と四季の周期との間にずれが生じるので、農林水産等々の季節に左右される事象を扱うのに不便である。閏月の挿入による調整を行う太陰太陽暦でも、閏月の前後で1か月の半分の15日程度のずれがある。現代中国では、旧暦の太陰暦のことを「農暦」と呼ぶことがあるが、太陰暦は季節からずれることから、農業のための暦ではない。

甲骨文字において月名は1、2、3といった序数で表されていたが、時折「十三月」(閏月)が用いられ、冬至から始まる年と月の運行に基づいた月とを調整していた。よって殷の暦法は太陰太陽暦であったが、高度な計算を用いたものではなく、自然を観察しつつ適宜ずれを修正するような素朴な暦法であった。

そこで古代中国では、太陰暦とは無関係に季節を知る目安として、太陽の運行を元にした二十四節気が暦に徐々に導入された。ある時期に突然発明されたのではなく、段階的に整備されてきたのである。二至二分はノーモン日時計の一種)によって観察しやすいので、古くから認識されていたと考えられ、時代には日の最も短い冬至頃に年始が置かれていた。

二至二分の名称は、『尚書』堯典には夏至は「日永」、冬至は「日短」、春分は「日中」、秋分は「宵中」と書かれており、戦国時代末期の『呂氏春秋』では夏至は「日長至」、冬至は「日短至」、春分・秋分は「日夜分」と名付けられている。

二至二分の中間点に位置する四立に関しては『春秋左氏伝僖公5年(紀元前655年)の「分至啓閉」という語の「啓」が立春・立夏、「閉」が立秋・立冬と考えられており、『呂氏春秋』において「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の語が使われていることから、戦国時代に一般化したと考えられる。

なお、古代中国人は、一年12か月をの四時に分け、正月(一月)・二月三月を春、四月五月六月を夏、七月八月九月を秋、十月十一月十二月を冬とした。周では冬至を基準に年始が置かれていたが、戦国時代になると冬至の翌々月を年始とする夏正夏暦)が各国で採用されるようになり、これにより冬至と春分の中間点が正月、すなわち春の最初の節気にあたるようになったことで「立春」と名付けられ、他の二至二分四立も春夏秋冬の名が冠せられるようになったと考えられる。

八節をさらに3分割したのは、月と対応させるためである。戦国時代には19太陽年が235朔望月にほぼ等しいとするメトン周期を導入した四分暦が使われており、1太陽年を12分割した中気は19太陽年235朔望月に228存在し、7回ほど閏月を設ければ月と中気が対応してゆくことを導き出した。これにより中気をもとに月名を決定することが可能になり、太初暦以降、中気を含まない月を閏月とする歳中置閏法が取られた。なお伝統的な天の分割法の一つに十二次があったが、節気は太陽の視位置が各次の境界である初点にある時、中気は各次の中間の中点にある時とされた(『漢書』律暦志)。

八節以外の二十四節気の名称についても、前漢の『淮南子』天文訓において既に出揃っていて、この後は二十四節気の名も順序も、ほぼ固定している。しかし、若干の違いが見られることもある。具体的には、(A)「驚蟄(啓蟄)」と「雨水」が逆転、(B)「清明」と「穀雨」が逆転、(C)「驚蟄」の代わりに「啓蟄」、といった違いである。(A)は前漢末の三統暦、唐の戊寅元暦[5]麟徳暦[6]に見られる。(B)は前漢末の三統暦に、(C)は『周髀算経』、隋の大業暦[7]、唐の戊寅元暦[5]麟徳暦に見られる[8]

二十四節気の置き方

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二十四節気は1太陽年を24分割し、節気(清明・立夏など)と中気(春分・穀雨など)を配置するが、その方法には平気法と定気法の2種類がある。

恒気法、常気法、時間分割法ともいう。1太陽年(冬至年)を24等分した約15日ごとに設けられ、冬至を起点として約15日ごとに節気と中気を交互に配置する。
空間分割法ともいう。黄道を春分点を起点とする15度ずつの24分点に分け、太陽がこの点を通過する時を二十四節気とし、太陽黄経が30の倍数であるものを中気、それに15度を足したものを節気とする。

地球の軌道は円ではなく楕円であって、太陽の黄道上での運行速度は一定ではない(日躔盈縮)。このため、平気法に基づいた場合の二十四節気の日と、定気法に基づいた場合が一致するのは、出発点の冬至のみである。その他の節気や中気では、最大で2日以上の差が生じる[9]

この太陽の速度の変化(日躔盈縮)が知られていないころは、当然、平気法が用いられた。ただし、南北朝時代になると、中国でも日躔盈縮が見出され、隋唐以降は暦算に組み込まれた。「定気」の語もこのころから使われ、平気との違いも理解されていた。しかし、そうなったの後も、頒布される暦には平気法による二十四節気のみが記される時代が長く続いた。注暦への定気の採用は西洋暦法の導入に伴ってのことで、中国では朝の時憲暦から、日本では天保暦からである。中国では、定気法導入を巡ってかなりの論争があったが、論争のどちら側も、日躔盈縮は知っており、定気と平気の違いは理解していた。(詳しくは「定気法」の項目の「歴史」の節を参照。)

なお暦の上での春分・秋分では、昼夜の長さはほぼ同じになるが、厳密には少し違う。日の出・日の入りの時刻には、複数の要因があるからである(春分#昼夜の長さ参照)。

暦月と十二節

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太陰太陽暦における1か月は、の運行に基づき朔日から晦日までとしており、この区切り方を月切り暦月という。暦注における月の区切り方でもある。各暦月の名称は二十四節気を基準に定められる。暦月では正月(一月)・二月・三月を春、四月・五月・六月を夏、七月・八月・九月を秋、十月・十一月・十二月を冬とする。

これに対し、節気から次の節気の前日までの間を一節とする月の区切り方を十二節もしくは節切りという。日本において占いや年中行事を記す暦注の中で十二節による判断がよく使われ、また季語の分類も主として十二節で行われている。

太陰太陽暦では、暦月よりも十二節の方が先に進む事がある。雨水が正月(一月)15日より前の日付に来る事があるが、この時に立春は雨水の約15日前であるため、前年の十二月に入り、これを年内立春」という。

古今和歌集』の「としのうちに はるはきにけり ひととせを こぞとやいはむ ことしとやいはむ」(『古今和歌集』春歌上・在原元方とはこの年内立春を詠んだ物である。

暦の指標

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太陰太陽暦においては節名・月名を決定し、季節とのずれを調整するための指標として使われる。12の節気と12の中気が交互に配された二十四節気に対し、各月の朔日(1日)前後に対応する節気が来るよう、以下のように名を定めている。周代等の王朝では、冬至のある子節を1月とし、子月後半の最初である冬至を1年の始まりとし、冬至前日を大晦日としていた(子後半で始まり、子前半で終わる)。天文平気法周正等の節切りでは冬至が第1となり、夏正等では立春が第1となる。

十二節(節切り)では十二支名がそのまま節名となる。

節名 寅節 卯節 辰節 巳節 午節 未節 申節 酉節 戌節 亥節 子節 丑節
節気 立春 啓蟄 清明 立夏 芒種 小暑 立秋 白露 寒露 立冬 大雪 小寒
中気 雨水 春分 穀雨 小満 夏至 大暑 処暑 秋分 霜降 小雪 冬至 大寒

実際には中気を暦の基準とし、月の内に含まれる中気が何かによって月名を決めるので、例えば雨水を含む月が「正月」(一月)となる。しかし月の満ち欠けによる12か月の日数(太陰暦の一年)は、二十四節気が一巡する日数(太陽暦の一年)よりも約11日短いので、そのまま暦を使えば日付にずれを生じ続ける。このずれが重なると中気を含まない月が現れ、その月を閏月とする事になる。ただし定気法においてはこのルールだけでは足りず、更に閏月の入れ方にルールの追加が必要となる(太陰太陽暦#定気法の採用の項参照)。

一覧

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赤道を境に正反対になる(例:北半球が大暑時に南半球は大寒である)。

季節 節名 月名 太陽黄経 日本語 中国語 グレゴリオ暦 日付(2026年) 備考
日本
[注釈 1]
中国
[注釈 2]
寅節 一月節 315° 立春 立春 2月3 - 5日 2月4日 2月4日 この日の前日を特に節分という
一月中 330° 雨水 雨水 2月18 - 20日 2月19日 2月18日  
卯節 二月節 345° 啓蟄 惊蛰 3月4 - 6日 3月5日 3月5日
二月中 春分 春分 3月20 - 21日 3月20日 3月20日 前後3日は春の彼岸
辰節 三月節 15° 清明 清明 4月4 - 5日 4月5日 4月5日 立夏の18日前から春の土用
三月中 30° 穀雨 谷雨 4月19 - 21日 4月20日 4月20日
巳節 四月節 45° 立夏 立夏 5月5 - 6日 5月5日 5月5日  
四月中 60° 小満 小满 5月20 - 22日 5月21日 5月21日
午節 五月節 75° 芒種 芒种 6月5 - 6日 6月6日 6月5日
五月中 90° 夏至 夏至 6月21 - 22日 6月21日 6月21日
未節 六月節 105° 小暑 小暑 7月6 - 8日 7月7日 7月7日 立秋の18日前から夏の土用
六月中 120° 大暑 大暑 7月22 - 24日 7月23日 7月23日
申節 七月節 135° 立秋 立秋 8月7 - 8日 8月7日 8月7日  
七月中 150° 処暑 处暑 8月22 - 24日 8月23日 8月23日
酉節 八月節 165° 白露 白露 9月7 - 8日 9月7日 9月7日
八月中 180° 秋分 秋分 9月22 - 24日 9月23日 9月23日 前後3日は秋の彼岸
戌節 九月節 195° 寒露 寒露 10月8 - 9日 10月8日 10月8日 立冬の18日前から秋の土用
九月中 210° 霜降 霜降 10月23 - 24日 10月23日 10月23日
亥節 十月節 225° 立冬 立冬 11月7 - 8日 11月7日 11月7日  
十月中 240° 小雪 小雪 11月22 - 23日 11月22日 11月22日
子節 十一月節 255° 大雪 大雪 12月6 - 8日 12月7日 12月7日
十一月中 270° 冬至 冬至 12月21 - 22日 12月22日 12月22日
丑節 十二月節 285° 小寒 小寒 1月5 - 6日 1月5日 1月5日 立春の18日前から冬の土用
十二月中 300° 大寒 大寒 1月20 - 21日 1月20日 1月20日

脚注

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注釈

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  1. 日本標準時UTC+9)で節気の瞬間を含む日(定気法)
  2. 中国標準時(UTC+8)で節気の瞬間を含む日(定気法)

出典

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  1. 二十四節気とは?/暦wiki とくに、冒頭部分と、「暑さ・寒さと二十四節気」の節
  2. 土王用事
  3. The Twenty-Four Solar Terms, knowledge of time and practices developed in China through observation of the sun’s annual motion アーカイブ 2016年12月3日 - ウェイバックマシン Intangible Heritage UNESCO
  4. 暦便覧の意味や由来、読み方は?”. 日本文化と季節ラボ. 2023年4月14日閲覧。
  5. 1 2 戊寅元暦/暦wiki
  6. 点校本二十四史精装版.新唐书.二.卷一一至二七.志[宋]欧阳修.宋祁撰.中华书局 2013, pp.561-562 (『新唐書』暦二)、点校本二十四史精装版.旧唐书.四.卷二八至三七.志[后晋]刘昫等撰.中华书局2013, pp.1178-1179、1182-1183(『旧唐書』暦二)リンク
  7. 大業暦/暦wiki
  8. 点校本二十四史精装版.新唐书.二.卷一一至二七.志[宋]欧阳修.宋祁撰.中华书局 2013, pp.561-562、点校本二十四史精装版.旧唐书.四.卷二八至三七.志[后晋]刘昫等撰.中华书局2013, pp.1178-1179、1182-1183(『旧唐書』暦二)リンク
  9. 二十四節気の定め方/暦wiki

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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