箸蔵寺

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箸蔵寺
Hasikurazi øa.jpg
本殿(重要文化財)
所在地 徳島県三好市池田町州津字蔵谷1006
位置 北緯34度2分52.16秒東経133度50分27.46秒座標: 北緯34度2分52.16秒 東経133度50分27.46秒
山号 宝珠山
宗派 真言宗御室派
寺格 別格本山
本尊 金毘羅大権現
創建年 (伝)天長5年(828年
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 宝珠山 箸蔵寺
札所等 四国別格二十霊場 第15番
四国三十六不動尊霊場 第4番
四国三十三観音霊場 第28番
阿波西国三十三カ所 第23番
金刀比羅宮奥院
文化財 本殿・護摩殿・方丈・薬師堂・鐘楼堂・天神社(国の重要文化財)
観音堂(県有形文化財)
公式HP こんぴら奥の院 箸蔵寺
法人番号 5480005005578
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箸蔵寺(はしくらじ)は、徳島県三好市池田町州津に所在する真言宗御室派別格本山の寺院。山号は宝珠山(ほうしゅざん)。本尊は金毘羅大権現(歴代住職も見たことのない絶対秘仏)。

四国別格二十霊場第十五番札所、四国三十六不動尊霊場第四番札所、四国三十三観音霊場第二十八番札所、阿波西国三十三カ所二十三番札所。

御詠歌:いその神 ふりにし世より 今もなほ 箸運ぶてふ ことの尊さ

概要[編集]

石段が続き本殿がやっと

明治初年の神仏分離令以前、香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮がまだ松尾寺の管理だったころ同じ本尊という縁で交流があり当寺の方は、こんぴら奥の院と称した。そして、神社と寺院として交流が失われた今でもそのように云われており、神仏習合の風習を色濃く残す寺院である。そのため、本殿の参拝方法は拍手 (神道)による参拝者と納経をする参拝者に分かれるが、どちらも問題はない。

山麓から方丈脇まで箸蔵山ロープウェイが通じているが、境内には階段が多く、金刀比羅宮が本宮まで785段あるには及ばないものの、山門より本殿まで600段弱の段数がある。 また、開山以来、毎日朝夕(6:30と18:00)欠かさず金毘羅大権現のもと護摩殿で護摩祈祷が行われる。変わらず継続することが一番難しいことであるが成し遂げられている。なお、毎年8月4日には箸供養で、大柴灯護摩や火渡りが行われる。

歴史[編集]

伝承によれば平安時代前期の天長5年(828年四国巡錫中の空海(弘法大師)が、当地に霊気を感じ山上に登った。すると金毘羅大権現が現れ「を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん」というお告げを空海に授けたという。そこで、空海は自ら金毘羅大権現の像を刻み堂宇を建立したことが当寺院の始まりと伝えられている。

江戸時代の寛文7年(1677年)と文政9年(1826年)の火災により伽藍の大半を焼失した。現在見られる建造物は概ね文政の火災以後、江戸時代末期に建立されたものである。

天狗の箸運び伝説:地元で語り継がれており、箸蔵山に棲む天狗が讃州金刀比羅宮のお祭りの時に使われた箸を当山に運び納めたという。[1]

伽藍[編集]

御影堂
ぼけ封じ観音像
蔵谷の行場
  • 山門(仁王門):山門の前に駐車スペースがあり、ここから本坊まで徒歩約0.5時間。
  • 中門:方丈の前にある。
  • 方丈(本坊):正面玄関奥に漆黒の大師像(非公開)が鎮座。納経所や事務所がある。
  • 護摩殿:拝殿・中殿・奥殿の三重構造で、中殿に護摩壇があり、向かって右に本尊を守護する赤不動、左に大黒天。奥殿に金毘羅大権現。1200年続くと云わる朝夕の護摩はここで行われる。
  • ぼけ封じ観音像:鋳造。四国三十三観音霊場の札所
  • 鐘楼堂
  • 薬師堂
  • 天神社(祠):菅原道真を祀る。
  • 本殿:絶対秘仏本尊の金毘羅大権現、脇士は不動明王・深沙大将。ロウソクは本殿中の係の人に頼む、不在の時は遠慮する。
  • 観音堂:本殿の右奥にひっそりとある。本尊は馬頭観音で阿波西国三十三観音霊場の札所である。
  • 御影堂(大師堂):大師像が拝観できる。平成元年建築。古来よりの方丈の大師像の身代り仏。
  • ミニ四国八十八ヶ所:御影堂の背後にあり江戸時代後期に造られた。納経所で満願証を200円でもらえる。
  • 五大明王:石造。四国三十六不動霊場の札所。大柴灯護摩はこの前で行われる。
  • 蔵谷の行場:山門より下の谷間にある。

仁王門(山門)前に駐車して、ここから歩く。広い真っすぐの参道を行くと石の鳥居がありさらに進むと赤い鞘橋があり渡るとここから上へ石段が続き、登り切ると中門があり中に入ると方丈である。右に進むと方丈の角に納経所があり左に折れると正面に護摩殿、その右に金属製の四国観音霊場の観音像、奥に進み右の少しの階段を上がると正面に鐘楼堂がある。その左には見上げるような石段がそびえている。登って行くと中ほど右に修行大師像が立ち薬師堂がある。左の脇道を斜めに上がると天神さんの祠がある。もとの厳しい石段を上り切ると正面に本殿が迫る。本殿右に行くと手水舎がありその奥にひっそりと観音堂がある。本殿の左は大柴灯護摩が行われる広い馬場になっており山際に四国不動霊場の不動明王石像が立つ。その向こうに大師堂(御影堂)が見える。なお、ロープウェイの山上駅は本坊の左に位置する。

文化財[編集]

重要文化財
  • 本殿 附 御本社再建寄進帳
江戸時代末期の建立と推定されている。手前から奥へ、外陣(げじん)・内陣・奥殿の3部分からなる複合建築で、外陣と奥殿は入母屋造、これらを繋ぐ内陣は前方を切妻造、後方を両下造(りょうさげづくり)とする。外陣と奥殿の屋根にはそれぞれ千鳥破風と軒唐破風を付す。屋根はすべて銅板葺き。傾斜地に建ち、土地の高低差を利用して外陣・内陣・奥殿の床高を変え、複雑な屋根構成を見せる。
  • 護摩殿
江戸時代末期、文久元年(1861年)頃の建立。外陣・内陣・奥殿の3部分からなる構成は本殿と似るが、本殿よりは規模が一回り小さい。奥殿の屋根を入母屋造でなく宝形(ほうぎょう)造りとする点と、屋根を桟瓦葺きとする点も本殿と異なっている。
  • 鐘楼堂
文久元年(1861年)頃の建立。
江戸時代末期、安政3年(1856年)頃の建立。
  • 薬師堂 附 厨子1棟
文久元年(1861年)頃の建立。
  • 天神社本殿
文久元年(1861年)頃の建立。

上記6棟は全て平成16年(2004年7月6日指定。[2]

国の登録有形文化財
  • 仁王門
  • 高灯籠 - 仁王門の前にある。
  • 中門 - 方丈の前にある。
  • 手水舎 - 本殿の前にある。

上記4棟は全て平成23年(2011年10月28日登録。[3]

徳島県指定有形文化財
  • 観音堂
江戸時代前期の建造。箸蔵寺の中では最も古い建造物である。平成17年(2005年)2月4日指定。

前後の札所[編集]

四国別格二十霊場
14 椿堂 -- (26.9Km) -- 15 箸蔵寺 -- (29.7Km) -- 16 萩原寺
四国三十六不動尊霊場
3番 最明寺 -- 4番 箸蔵寺 -- 5番 密厳寺

交通アクセス[編集]

鉄道
道路

脚注[編集]

  1. ^ 「お不動さま巡拝四国三十六不動霊場」31ページ 2015年12月20日発行
  2. ^ 平成16年7月6日文部科学省告示第120号
  3. ^ 平成23年10月28日文部科学省告示第153号

参考文献[編集]

  • 「新指定の文化財」『月刊文化財』490号、第一法規、2004
  • 徳島史学会編『新版 徳島県の歴史散歩』 山川出版社/刊 1995年 89ページ
  • 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』解説編 へんろみち保存協力会/刊 2007年(第7版)
  • 『こんぴら奥の院 箸蔵山』 現地配布パンフレット

外部リンク[編集]