コンテンツにスキップ

筑波嶺清平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
筑波嶺 清平
筑波嶺 清平
基礎情報
四股名 筑波嶽 → 筑波嶺 清平
本名 加藤 清平
生年月日 1909年4月1日
没年月日 (1948-11-20) 1948年11月20日(39歳没)
出身 茨城県稲敷郡河内町
身長 170cm
体重 105kg
BMI 36.33
所属部屋 錦島部屋
得意技 突っ張り、右四つ、寄り、吊り
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭2枚目
生涯戦歴 144勝130敗(33場所)
幕内戦歴 52勝73敗(11場所)
データ
初土俵 1927年5月場所
入幕 1933年1月場所
引退 1938年5月場所
備考
2019年8月4日現在

筑波嶺 清平(つくばね せいへい、1909年4月1日 - 1948年11月20日)は、現在の茨城県稲敷郡河内町出身で錦島部屋に所属した大相撲力士。本名は加藤 清平(かとう せいへい)。身長170cm、体重105kg。最高位は西前頭2枚目(1933年5月場所)。得意技は突っ張り、右四つ、寄り、吊り。

人物

[編集]

千葉県立佐原中学校(現在の千葉県立佐原高等学校)を出て、錦島部屋に入門。1927年5月場所に初土俵を踏む。1932年5月場所に新十両、十両を2場所で通過後、1933年1月場所に新入幕。この場所、春秋園事件からの復帰力士たちと伍して7勝4敗の好成績を挙げ、翌場所は西前頭2枚目まで番付を上げたが3勝8敗に終わった。その後は幕内中堅として、左四つからの寄りや吊りを得意とした。横綱男女ノ川の露払いを務めたこともある。1938年5月場所限りで廃業し、相撲協会には残らなかった。1948年11月20日に39歳で死去した。

主な成績

[編集]
  • 通算成績:144勝130敗 勝率.526
  • 幕内成績:52勝73敗 勝率.416
  • 現役在位:33場所
  • 幕内在位:11場所

場所別成績

[編集]
筑波嶺 清平
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1927年
(昭和2年)
x x (前相撲) 序ノ口
 
1928年
(昭和3年)
西序ノ口16枚目
6–0 
西序ノ口2枚目
4–2 
西序二段10枚目
3–3 
西序二段10枚目
5–1 
1929年
(昭和4年)
東三段目21枚目
4–2 
東三段目21枚目
2–4 
東三段目19枚目
5–1 
東三段目19枚目
3–3 
1930年
(昭和5年)
東幕下28枚目
2–4 
東幕下28枚目
1–5 
西三段目17枚目
4–2 
西三段目17枚目
2–4 
1931年
(昭和6年)
東三段目12枚目
5–1 
東三段目12枚目
5–1 
西幕下14枚目
2–4 
西幕下14枚目
4–2 
1932年
(昭和7年)
東幕下4枚目
5–3 
東幕下4枚目
6–4 
東十両7枚目
7–4 
東十両7枚目
8–3 
1933年
(昭和8年)
西前頭6枚目
7–4 
x 西前頭2枚目
3–8 
x
1934年
(昭和9年)
西前頭5枚目
4–7 
x 東前頭11枚目
6–5 
x
1935年
(昭和10年)
西前頭8枚目
5–6 
x 西前頭9枚目
5–6 
x
1936年
(昭和11年)
東前頭10枚目
6–5 
x 東前頭8枚目
2–9 
x
1937年
(昭和12年)
東前頭15枚目
4–7 
x 東十両3枚目
9–4 
x
1938年
(昭和13年)
東前頭13枚目
6–7 
x 西前頭17枚目
引退
4–9–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 1932年1月番付では幕下東18枚目

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]