第50聖詠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
聖王ダヴィド(ダビデ)のイコン18世紀キジ島ロシア正教会)。

第50聖詠(だい50せいえい、ギリシア語: Ψαλμός 50, ロシア語: Псалом 50, 英語: Psalm 50)とは、ダヴィド(ダビデ)が、ウリヤの妻であったヴィルサヴィヤ(バテシバ)姦通したのち、夫ウリヤを死なせる事で奪って妻としたことを、預言者ナファン(ナタン)に叱責された際に詠った痛悔聖詠詩篇)と伝えられるもの[1][2]。経緯は列王記第二巻(サムエル記下)11章3節 - 12章25節に書かれている。

「50」の番号付けは正教会で使用する聖詠によるもの聖詠経などでは「第五十聖詠」と漢数字表記される。日本聖書協会訳の詩篇では第51篇に相当する。

この数字の違いは、正教会の聖詠はギリシャ語七十人訳聖書を底本にしている一方で、日本聖書協会訳の詩篇がヘブライ語聖書(マソラ本文)を定本にしていることに由来する。七十人訳聖書とマソラ本文とでは区切り方が違うことから、日本正教会訳の聖詠と、日本聖書協会訳の詩篇とでは、日本語の訳文のみならず、区切り方・数え方といった構成も異なっている[3]

「神よ、爾の大なる(おおいなる)憐みに因りて(よりて)我を憐み、爾が恵みの多きによりて我の不法を抹し給へ(けしたまえ)。」で始まる[1]。正教会において、痛悔機密、朝の私祈祷領聖預備規程の晩祷、晩堂課早課第三時課など、使用される場面は多岐にわたり、頻繁に用いられる。

洗足式との関連で、第50聖詠中の「イソプを以て我に沃げ(そそげ)、然せば(しかせば)我潔くならん、我を滌へ(あらえ)、然せば我雪より白くならん」の節(9節)が引用されて説明されることもある[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『聖詠經』101頁 - 104頁、日本正教会翻訳 昭和63年再刊
  2. ^ 日本正教会祈祷書ではダビデは「ダワィド」、バテシバ(バト・シェバ)は「ワィルサワィヤ」と転写されている。いずれも教会スラヴ語表記のロシアにおける再建音の転写より、"в"(v)音をワ行で転写したもの。本稿では「ヴ」行で転写した。
  3. ^ 『山手・上毛教会報』山手ハリストス正教会、2008年11月号
  4. ^ 弟子の足を洗うハリストス~写本挿絵より - 大阪ハリストス正教会

関連項目[編集]

外部リンク[編集]