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第14軍 (ロシア内戦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第14軍
14-я армия
活動期間 1919年6月4日 - 1921年1月5日
国籍 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国の旗 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国
軍種  赤軍
上級部隊 南部戦線ロシア語版
南西戦線
ウクライナ・クリミア軍ロシア語版
主な戦歴 ロシア内戦
ポーランド・ソビエト戦争
ウクライナ・ソビエト戦争
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第14軍(だい14ぐん、ロシア語: 14-я армия)は、ロシア内戦中の1919年から1921年にかけて、赤軍に形成されていた編制。

沿革

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1919年6月4日付共和国革命軍事会議指令により、第2ウクライナ・ソビエト軍 (ru) から編成された。所属は当初の南部戦線ロシア語版から翌1920年1月10日には南西戦線へと移った[1][2]。12月3日には共和国革命軍事会議指令2660/532によって南部戦線の部隊はウクライナ・クリミア軍ロシア語版に編入され、それに伴って第14軍もウクライナ・クリミア軍の麾下に入った[2][3]。その後、第14軍は翌1921年1月5日に解体された[1][2]

1919年6月から、ドンバス左岸ウクライナ南ロシア軍ウクライナ革命反乱軍を相手に激しい防御戦を戦った。10月から11月にはオリョール・クルスク作戦ロシア語版の主力としてクロームィロシア語版ファテシュロシア語版リゴフロシア語版クルスクを占領。その後ハリコフ作戦 (ru) にも参加し、12月から翌1920年1月にはエカテリノスラフを占領し、白軍義勇軍スペイン語版の主力から左翼を分断した。1月から2月にはオデッサチラスポリ右岸ウクライナを占領し、4月から5月にはポーランド第二共和国軍によるキエフ攻勢からウクライナ社会主義ソビエト共和国を守った。翌6月にはキエフ作戦 (ru) でガイシンヴィーンニツァプロスクーロフのポーランド軍を攻撃し、7月から8月にはリヴォフ作戦ロシア語版にも参加してウクライナ人民共和国軍からプロスクーロフとカーメネツ・ポドリスキーを守った[1][2]

構成

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司令官[1]

革命軍事会議メンバー[1]

参謀長[1]

  • ステパン・シュクリャル=アレクシュク(1919年6月7日 - 22日)
  • コンスタンチン・モニゲッチ(1919年6月22日 - 7月2日)
  • P・K・マルムゾフ(1919年7月2日 - 29日)
  • N・P・サポジュニコフ(1919年7月29日 - 8月27日)
  • ヴァディム・ブフマン(1919年8月27日 - 10月6日、臨時)
  • セルゲイ・ベジャノフ=サクヴァレリゼ(1919年10月7日 - 26日)
  • ウラジーミル・ブイミストロフ(ru, 1920年2月25日 - 4月24日、臨時)
  • S・F・トレピロフスキー(1920年4月24日 - 30日、7月11日 - 12月15日、臨時)
  • ミハイル・モルコチャノフ(1920年5月1日 - 7月7日)
  • ウラジーミル・ストイキン(1920年12月15日 - 1921年1月1日、臨時)

部隊[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g М. : Гражданская война и военная интервенция в СССР: Энциклопедия. — (Советская энциклопедия / гл. ред. С. С. Хромов ; 1983).
  2. ^ a b c d Центральный государственный архив Советской армии. Vol. 1 в двух томах. Путеводитель. 1991. Minneapolis, Minnesota: East View Publications. Л. В. Двойных, Т. Ф Каряева, М. В. Стеганцев. 1991. ISBN 1-879944-02-2
  3. ^ Краснознаменный Киевский: Очерк истории Краснознаменного Киевского военного округа (1919-1979) (2-е изд., испр. и доп. 75000 экз ed.). К.: Политиздат Украины. Г. И. Серебряков, Б. Н. Буйских, А. А. Вовк и др.; Редкол.: И. А. Герасимов и др. 1979.