第10師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
第10師団
Himeji City Museum of Art11bs4592.jpg
旧第十師団兵器部西倉庫
(現姫路市立美術館
創設 1898年(明治31年)10月1日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 Flag of Japan.svg大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務/特性 歩兵
所在地 姫路-満州-北支-フィリピン
編成地 姫路
通称号/略称
補充担任 姫路師管区
最終上級単位 第14方面軍
最終位置 フィリピン ルソン島
主な戦歴 日露-満州-支那-太平洋戦争
(フィリピンの戦い (1944-1945年))
テンプレートを表示
旧第十師団司令官官邸
(現カトリック淳心会本部)

第10師団(だいじゅうしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。師団として主な戦役にはほぼすべて参加している。

概要[編集]

日清戦争が終り、軍備拡張の必要性から新たに増設された6個師団の一つで、1898年(明治31年)10月に編成された。同年11月13日に師団司令部、監督部が開庁した[1]。補充担任は姫路師管区で、主に兵庫だが、岡山鳥取三県と島根県の一部も徴兵区としている。日露戦争沙河会戦など)、フィリピン防衛戦などでは歩兵第39連隊をはじめ、得意な白兵戦ゲリラ戦で奮戦した。

日露戦争[編集]

師団は日露戦争第4軍隷下部隊として遼陽会戦沙河会戦奉天会戦に参加し、戦闘する。

大陸戦線[編集]

岡山駅から出征する兵士と見送る群衆

1931年(昭和6年)9月に満州事変勃発後、第8混成旅団を編制し12月に出動し吉林省で掃討戦を実施後、1934年(昭和9年)3月に帰国した。

支那事変[編集]

1937年(昭和12年)7月支那事変に動員される。台児荘の戦い徐州会戦武漢攻略戦に参加し、1939年(昭和14年)10月帰国、この間に師団の改編が実施され鳥取の歩兵第40連隊が第25師団に異動、3単位制師団となり、1940年(昭和15年)8月から満州に駐留する。支那事変では徐州会戦はじめ、第10師団は広島の第5師団などと共に奮戦し功績を残す。

太平洋戦争[編集]

太平洋戦争開戦後には関東軍の直属兵団として、佳木斯に駐屯していた。満州国内にて対ソ戦の訓練や抗日パルチザン掃討等の治安維持活動に従事していた。

1944年(昭和19年)2月から師団の一部が米軍の進行に備えるため太平洋方面に配置され、同年7月には師団主力も南方派遣が決定された。当初は、台湾に配される予定であったが風雲急を告げるフィリピンルソン島に投入、尚武集団としてバレテ峠、サラクサク峠で約半年に渡る持久戦を展開、衆寡敵せず壊滅状態となり、そのまま終戦を迎える。ただ、第10師団の所属部隊である歩兵第39連隊は、建武集団として奮戦した。

歴代師団長[編集]

最終所属部隊[編集]

  • 歩兵第10連隊(岡山):岡山誠夫大佐
  • 歩兵第39連隊(姫路):永吉実展大佐
  • 歩兵第63連隊(松江):林葭一少佐
  • 捜索第10連隊:鈴木重忠少佐
  • 野砲兵第10連隊:多勢清作大佐
  • 工兵第10連隊:杉藤民信少佐
  • 輜重兵第10連隊:相沢光二郎少佐
  • 第10師団通信隊:山下陽之助少佐
  • 第10師団兵器勤務隊:村松忠雄大尉
  • 第10師団第1野戦病院:森金弥軍医少佐
  • 第10師団第2野戦病院:岸本貞夫軍医大尉
  • 第10師団第4野戦病院:古川喜四郎軍医大尉
  • 第10師団制毒隊:江西煥少佐
  • 第10師団防疫給水部:大木一雄軍医少佐
  • 第10師団病馬廠:尾郷幹夫獣医大尉

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第4614号(明治31年11月15日)、第4616号(明治31年11月17日)。

関連項目[編集]