第十号海防艦

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第十号海防艦
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 海防艦
級名 第二号型海防艦
建造費 5,363,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
起工 1943年10月20日
進水 1944年1月11日
竣工 1944年2月29日
最期 1944年9月27日被雷沈没
除籍 1944年11月10日
要目(竣工時)
基準排水量 740トン
全長 69.50m
最大幅 8.60m
吃水 3.05m
機関 艦本式甲25型1段減速式オールギヤード蒸気タービン1基
ボイラー 艦本式ホ号空気予熱器付重油専焼水管缶2基
推進 1軸
出力 2,500shp
速力 17.5ノット
燃料 重油240トン
航続距離 14ノットで4,500カイリ
乗員 定員141名[注釈 1]
兵装 45口径12cm高角砲 単装2基
25mm機銃 3連装2基
三式爆雷投射機12基
爆雷120個
搭載艇 短艇3隻
レーダー 22号電探1基
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
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第十号海防艦[注釈 2](だいじゅうごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦第二号型海防艦(丁型)の5番艦。船団護衛中に撃沈された。

艦歴[編集]

マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の5番艦、仮称艦名第2705号艦として計画。1943年10月20日、三菱重工業長崎造船所で建造番号953番船[1]として仮称艦名第2704号艦と同時に起工。12月22日、第十号海防艦と命名されて第二号型海防艦の5番艦に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。

1944年1月11日、第8号海防艦と同日に進水。22日、艤装員事務所が長崎海軍監督官事務所内で事務を開始。2月29日、第8号海防艦と同日に竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を佐世保鎮守府に、役務を佐世保鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められ、呉防備戦隊に編入。基礎実力練成教育に従事。

1944年3月25日、海上護衛総司令部第一海上護衛隊に編入[注釈 3]。同日、佐伯からへ回航し、28日から4月8日まで呉海軍工廠で船体機関の整備と教育訓練を行う。

4月8日、門司へ回航し、ヒ59船団の編成を待つ。20日、ヒ59船団を護衛してシンガポールへ向け門司発。28日、中継地の高雄に寄港。29日、引き続きヒ59船団を護衛して高雄発[注釈 4]

5月2日、中継地のマニラに入港。5日、臨時編成された船団を護衛してマニラ発。7日、船団はバリクパパン行きとミリ行きに分かれることとなり、本艦はバリクパパン行き船団(船団名なし)を護衛することとなり、10日バリクパパン着。11日、タラカンへ向け単艦でバリクパパン発。同日、連合艦隊作戦指揮下に編入[注釈 5]。12日、タラカン着。16日、船団を護衛してマニラへ向けタラカン発。18日、マニラ着。以後、6月12日までの行動は不明。

6月12日、H29船団(8隻)を護衛してハルマヘラ島ワシレへ向けマニラ発。23日、ワシレ着。25日、M25船団(5隻)を護衛してワシレ発。7月3日、マニラ着。

7月5日、連合艦隊作戦指揮を解かれ、第一海上護衛隊に復帰。16日、マタ25船団(7隻)を護衛して高雄へ向けマニラ発。18日から26日までリンガエン湾に避泊。28日、高雄着。31日、マモ01船団(2隻)とタモ22船団(7隻)の合同船団を護衛して高雄発。

8月1日、船団は基隆に退避。4日、門司へ向け基隆発。8日、船団から分離して佐世保へ回航。10日から14日まで、佐世保海軍工廠で入渠し修理を行う。15日、モタ23船団(10隻)を護衛して門司発。門司出港直後から潜水艦と接触したため、船団は18日鹿児島湾に避泊。20日、高雄へ向け鹿児島発。24日、船団が潜水艦の攻撃を受けたため、本艦は対潜掃蕩と遭難者の救助を行う。25日、一旦基隆に寄港。27日、引き続きモタ23船団を護衛して基隆発。28日、高雄着。30日、ミ15船団を護衛して高雄発。船団は高雄出港後に潜水艦の攻撃により損害を出したため、31日枋寮に仮泊。

9月1日、枋寮を出港し、対潜掃蕩を実施しつつ同日東港着。3日、引き続きミ15船団を護衛して東港発。途中サンフェルナンドを経由し、7日マニラに入港。10日、マモ03船団を護衛してマニラ発。11日、マモ03船団はヒ72船団(6隻)と合同し、本艦は第20号海防艦とともに船団から分離してマニラへ回航。12日にマニラに入港したが、マモ03船団/ヒ72船団が潜水艦の攻撃により損害を出したため、本艦は第20号海防艦やマニラに在泊していた第18号海防艦とともに遭難者救助のため、同日夕刻マニラを出撃。13日、遭難者を一度海南島三亜で下艦させ、救助のため再度出港。14日朝、救助者捜索中に、捕虜の航送中に撃沈された楽洋丸(南洋海運:9,418総トン)の生存捕虜、豪軍のローランド・リチャーズ軍医大尉達157名の乗った4隻の救命ボートを発見。停船して彼らを救助した[注釈 6]。その後、残った船とともに海南島楡林に入港した。救助した捕虜を吉備津丸に移乗させた後の16日、ヒ72船団第1分団を護衛して内地へ向け楡林発。20日、船団がアメリカ陸軍機の空襲を受け、本艦は損傷した浅香丸を護衛し、同日馬公に入港。21日、単艦で基隆に回航。23日、ヒ72船団(吉備津丸)を護衛して基隆を出港したが、24日には同船とともに基隆に帰着。25日、引き続きヒ72船団(2隻)を護衛して内地へ向け基隆発。27日、トカラ列島西方洋上北緯29度41分 東経128度02分 / 北緯29.683度 東経128.033度 / 29.683; 128.033の地点でアメリカ潜水艦プライスの攻撃により被雷沈没した。海防艦長の一ノ瀬志朗艦長以下乗員7名の生存者を除く乗員147名が戦死または行方不明となり、生存者は第11号海防艦に収容された。

11月10日、第十号海防艦は第二号型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。

海防艦長[編集]

艤装員長
  1. 一ノ瀬志朗 大尉:1944年1月30日 - 1944年2月29日
海防艦長
  1. 一ノ瀬志朗 大尉/少佐:1944年2月29日 - 1944年10月1日

脚注[編集]

注釈
  1. ^ この数字は特修兵を含まない。
  2. ^ 本来の艦名表記は第十號海防艦。
  3. ^ 本艦の第一海上護衛隊への編入日は、呉防備戦隊戦時日誌(昭和19年3月1日-31日)では3月28日、第一海上護衛隊戦時日誌(昭和19年3月1日-31日)では3月25日。本記事では第一海上護衛隊が3月25日から本艦の行動を記録しているため、同隊への編入日を3月25日として扱う。
  4. ^ 以上、1944年4月中の行動は第一海上護衛隊戦時日誌(昭和19年4月1日-30日)による。本艦が東松6号船団の護衛として参加した事実は無い。駒宮『戦時輸送船団史』p. 161に本艦の艦名は無く、第七護衛船団司令部戦時日誌(昭和19年4月9日-30日)にも本艦の艦名は存在しない。ただし、ch10(第10号駆潜艇)の記述は第七護衛船団司令部戦時日誌の随所に見られる。なお、海防艦を表す略号はCHではなくCD(第10号海防艦の場合はCD10)である。
  5. ^ 本艦の連合艦隊作戦指揮下への編入日は、海上護衛総司令部戦時日誌(昭和19年5月1日-31日)による。第一海上護衛隊戦時日誌(昭和19年5月1日-31日)では5月14日とある。
  6. ^ その後、山形県酒田市の捕虜収容所で終戦を迎え、帰国後は産業医、スポーツ医として活躍したリチャード軍医は、米潜水艦が我が物顔に猛威を振るっていた危険な海域で、身の危険をも顧みず、艦を停止して救助してくれた日本の海防艦の艦長や家族にお礼を言いたいので、是非捜して欲しいとPOW研究会に依頼し、同研究会は読売新聞社に依頼して一ノ瀬志朗艦長の消息を探したが、見つかることはなかった。
脚注
  1. ^ 『三菱長崎造船所史 続篇』 主要製品目録 p. 86。

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 昭和18年12月22日付 達第319号、内令第2776号、内令第2778号、内令第2780号。
    • 昭和19年2月29日付 内令第367号。
    • 昭和19年11月10日付 内令第1247号、内令第1254号、内令員第2223号、内令員第2224号。
    • 昭和19年2月17日付 海軍公報(部内限)第4618号。
    • 昭和19年3月10日付 海軍公報(部内限)第4637号。
    • 昭和19年1月31日付 海軍辞令公報(部内限)第1309号。
    • 昭和19年2月29日付 海軍辞令公報(部内限)第1349号。
    • 昭和19年10月6日付 秘海軍辞令公報 甲 第1612号。
    • 呉防備戦隊戦時日誌。
    • 第一海上護衛隊戦時日誌。
    • 海上護衛総司令部戦時日誌。
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』、原書房、1982年。
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、朝雲新聞社、1971年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第71巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(5) -第三段作戦中期-』、朝雲新聞社、1974年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 28 日本海軍艦艇シリーズ 『海防艦』、潮書房、1979年。
  • 『三菱長崎造船所史 続篇』、西日本重工業株式会社、1951年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。