竹本織太夫 (6代目)

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六代目 竹本 織太夫(たけもと おりたゆう Takemoto Oritayu VI) 1975年(昭和50年)4月1日 - は、人形浄瑠璃文楽座太夫。名跡「竹本織太夫」の当代。竹本鶴鳴會主宰。 公益財団法人 文楽協会契約技芸員。一般社団法人 人形浄瑠璃文楽座理事。重要無形文化財総合認定保持者。独立行政法人日本芸術文化振興会伝統芸能伝承者養成研修講師(文楽研修講師)。 定紋は抱き柏に隅立て四つ目。替紋は織の紋。

抱き柏に隅立て四つ目
織の紋

文様[編集]

文様は織太夫縞(浴衣地)。竹本鶴鳴會文様はオリ鶴展開図(手拭い)。

織太夫縞
オリ鶴展開図(白)
オリ鶴展開図(瑠璃)

これらの紋や文様は六代目竹本織太夫を襲名する際に、親しい友人であるgood design companyの水野学が"友情演出"で新たにデザインし、友の門出をデザインアシストで祝福した。[1]

(オリ鶴展開図は咲甫太夫時代に水野学が同じくデザイン)

定紋の「抱き柏に隅立て四つ目」は、六代目竹本織太夫襲名を機に水野学がブラッシュアップ。替紋の「織の紋」は、竹本綱太夫の「綱」の字をかたどった古い綱太夫紋をベースにして、「織」の字をデザイン。「このとき水野学はあらゆる関係資料を熟覧し、一つの曲線、一画の止め方に例がないほどの労力を傾け、ようやく仕上げに至った。コンピュータを使えない時代にそのラインが生まれてきたプロセスを、さながら追体験するようだったという。」[2]

「300年後に見た人にも、これ作ったやつ、なかなかやるなと思ってもらいたかった」―水野学[2]

概要[編集]

ろくだいめたけもとおりたゆう
六代目竹本織太夫
OritayuⅥmono.jpg
六代目竹本織太夫
生年月日 (1975-04-01) 1975年4月1日(45歳)
本名 坪井英雄
襲名歴 1. 初代豊竹咲甫太夫

2. 六代目竹本織太夫

出身地 大阪府大阪市
祖父 二代目鶴澤道八
兄弟 鶴澤清馗
増田いずみ
二代目豊竹咲甫太夫
鶴澤清斗

祖父は二代目鶴澤道八、大伯父は四代目鶴澤清六、伯父は鶴澤清治、弟は鶴澤清馗、長男は二代目豊竹咲甫太夫[3]、次男は鶴澤清斗[3]、門弟に竹本織子太夫がいる。[4]

NHK Eテレの子供向け番組『にほんごであそぼ』に、2005年よりレギュラー出演している。[5]

2000年4月より大阪市立高津小学校にて「高津子ども文楽」の“先生”を務める。[6][7]

系譜[編集]

六代目竹本織太夫系図

〈芸脈〉

初代竹本綱太夫は義太夫節の創始者である竹本義太夫からの直系。焼失した竹本座を1769年に再興した立役者だった。

初代の竹本織太夫は三代目綱太夫の門弟。以後、二代目、四代目、五代目の織太夫がのちに綱太夫を襲名していることからも、織太夫が綱太夫の前名だったことがうかがい知れる。

綱太夫の語りは代々「綱太夫風」といい、浄瑠璃は陰気に語り、三味線はそれを引き立てるように派手に弾くのが特徴。代々の綱太夫の得意演目は「綱太夫場」と呼ばれ、その代表として知られるのが『艶容女舞衣』の酒屋の段。織太夫、綱太夫ともに200年以上途切れることなく継承されてきた名跡である。

〈血脈〉

初代鶴澤清六を始まりとし、その娘の鶴澤きくと一緒になったのが、通称「法善寺」と言われる七代目竹本綱太夫

有吉佐和子『一の糸』で描かれる"露沢清太郎"のモデル、四代目鶴澤清六は、きくのひ孫と結婚して清六家を継いだ。(女性とはのちに死別)

四代目清六の後妻となる静(『一の糸』の"茜"のモデル)の妹と結婚したのが、織太夫の祖父である二代目鶴澤道八だった。初代清六家から五代。娘が家を継ぎ、文楽の太夫や三味線弾きが清六家に入り、芸を守った。つまり、六代目竹本織太夫は、三味線弾きの祖父と伯父を持ちながらにして、太夫の家筋に生まれついたとも言えるのだ。[8]

私(六代目竹本織太夫)は、江戸後期から三味線弾きとして活躍した初代鶴澤清六の家筋にあたり、代々継がれてきたその系譜が、実に大阪らしくて興味深いんです。初代鶴澤清六の娘である、鶴澤きくは法善寺で商いをしていました。きくの生涯の伴侶となったのは、京都から出てきた七代目竹本綱太夫。以後、五代に渡り、女性が家を継いで婿を取っています。有吉佐和子一の糸』で三味線弾きのモデルになった四代目清六も、きくのひ孫にあたる女性と結婚し、東京から婿入り。きくが経営した『カフェーリスボン』の跡地で天ぷら『鶴源』を営んでいました。

そして、四代目鶴澤清六の後妻の妹と結婚したのが、私の祖父である二代目鶴澤道八。祖父は12歳のときに、三味線弾きになるために岡山から出てきた。聞くところによると、昼は三味線のお稽古、夜は岡持ちとして天丼の配達をしていたそうです。

このように家を継ぐのはすべて女性で、その旦那が文楽の太夫や三味線弾きでした。江戸の武家社会では男系で世襲しますが、大阪の商売人はその逆。店ののれんを守るために、優秀な奉公人を婿にする実力主義。ウチの家系はまるで大阪の商売人の系図のよう。現在まで八代途絶えずに文楽ののれんを守ってきてもらったことを考えると感慨深く、改めて身の引き締まる思いです。[8]

津太夫(ししょう)は本名は櫻井源助さん、ご内儀は初代清六さんの娘さんで、鶴澤きくといはれました。入婿ともつかず、しまひまでどちらも姓を替へずに櫻井と鶴澤でとほされました。こんな内、なんや、と津太夫(ししょう)はいつてられました。ご内儀は、さいしょに初代の新左衛門さんに嫁づいてられたんですが、新左衛門さんが歿くなつてから津太夫(ししょう)とご一緒になられたんです。奇麗な方でした。

新左衛門さんとの仲に出来た娘さんのおあいさんといふのが、九市さん(後に二代豊澤団平)に嫁づき、その後九市さんと別れて大隅さん(当時春子太夫)のおかみさんになつたんです。

あおいさんと九市さんのあひだに出来たおとくさんといふ娘さんを、津太夫(ししょう)の家へ引き取つて、可愛がつて一緒に暮らしてられました。今の四代清六君の歿くなつた細君は、このおとくさんの娘だつたんです。

―茶谷半次郎著『山城少掾聞書』[9]

御霊文楽座に籍を有し、多年摂津大掾と並び称されし竹本綱太夫事櫻井源助の訃は前号に報じ置きたるが、今その履歴を記せんに丈は天保十年京都に産る、父を小鳥屋松蔵と云ひ代々堂上方に出入りし名鳥、狆などを商ふ、当時京都に名高き竹本山城掾とは義兄弟の間柄にて浄瑠璃を善くす、之より前祖父は二代目猪熊綱太夫の門人にて、津の國屋の津の字を取り、津太夫と命名さる、是津太夫の元祖也、初代は年二十八歳にして二階より墜落し鉄聾となる、依て名籍を松蔵(現綱太夫の父)に譲り、後ち蟠龍軒と号し素人語りとなり大関たり、

左れど屡々寄席に出入すると以前に異ならず安政三年源助十八歳、父松蔵の縁故に依り山城掾の師匠三國屋巴太夫の弟子となり緑太夫と名乗り出藍の聞えあり、元治元年京都道場(今の京極)亀屋粂之丞の小家にて初代長尾太夫の座頭、濱太夫、織太夫、三味線彌七、廣助、四代目吉兵衛等一座に加はり三代目津太夫となり、出勤す。

回顧すれば六年前御霊文楽座に於て菅原道明寺出演中、脳溢血の為め床に卒倒し回生病院に入りたるが、二年を経て元気回復したれば春興行に出勤し累物語埴生村を勤め、其の年十一月廿七日日蓮記弥三郎住家を引受、興行中廻り床の後にて再び卒倒しられば直ちに難波新地一丁目一番地の自宅に引取り、当時その口を語れる古靱太夫全部を語る、その後中風症となり身体自由を失ひたれば、四十三年七月津太夫を文太夫に譲り、自分は七代目竹本綱太夫を襲ぎしのみにて未だ一回も出勤せず只管快復を祈り居りし去年廿一日夜より病俄に革らり昏睡状態に陥り主治奥藤医師、緒方博士等の診療も到底回復の望み絶へたりとの事にて、古靱その他門人等は枕辺詰切り九州巡業の津太夫も急報に驚き帰阪し、共に看護に力めたるも天命如何とも詮術尽、七十四歳を一期として白玉楼中に入る、葬儀は廿五日執行したるが因講員在阪者は、大掾、大隅を始め悉く会葬したり、因に門人には古靱、富、綱尾、淀、津國、須磨、緑、京都の津和、神戸の蟠龍軒等あり―「故 七代目竹本綱太夫 死亡記事」

私(竹本津太夫)は当年とつて七十才で厶います、十八才の時、太夫となりましてから丁度五十何年間、肩衣をつけ見台に向つて居ります、もと私は京都の生れで私の家は祖父(ぢい)の代から、小鳥を商ひまして、薩州様や雲州様へ御出入を致しました、私の家は祖父の代から浄るりが好きで、祖父は津太夫と云ひまして、私の父も津太夫、都合、私で三代目津太夫になるので厶います。私の父は津太夫(二代目)といつて太夫でしたが後にやめまして素人義太夫となつて蟠龍軒と名乗て京都の素人義太夫の大関となりました。[10]―「義太夫節の今昔 竹本津太夫」

年譜[編集]

役職[編集]

一般社団法人人形浄瑠璃文楽座理事を2016年4月の設立時より務める

  • 2016年(平成28年) 4月 一般社団法人 人形浄瑠璃文楽座 理事就任(現任)

2009年に現代美術作家・杉本博司により設立された小田原文化財団の理事やアート・アドバイサーを設立時より歴任[13]

  • 2009年(平成21年)12月 一般財団法人小田原文化財団 設立時理事就任
  • 2011年(平成23年)4月 公益財団法人小田原文化財団へ移行、理事就任
  • 2015年(平成27年)2月 理事を退任
  • 2015年(平成27年)3月 アート・アドバイザー就任(現任)

人物[編集]

傾城阿波の鳴門」巡礼おつるにて初舞台の際に、鐵面皮の見台を使用(1986年3月)

「私(豊竹咲太夫)が太夫になったのは七歳のときでした。師匠山城少掾と父綱大夫とが放送の録音に行くのに同行した折、師匠が、そのとき使われていた見台(本を載せる台)を指して、「陽三(私の本名)、この見台をやるから太夫になるか」とおっしゃったのを、子供心に物をもらえるのやったらなってもええと思い「僕なります」とお答えしたのが始まりでした。鉄面皮(おこがましくもの意)と名付けられているこの見台は、少々小ぶりですが、黒塗りのとてもすばらしいものです。このたびは私にとって思い出深い鉄面皮を咲甫大夫の初舞台に使わせようと思っています。(86年3月18日)」[14]

ソフィ・カル『Take care of yourself』に出てくる唯一の"男"(2007年)

ソフィ・カルが日本でのプロジェクトに選んだ”女性”は”文楽の女”であった。定期的に行われていた文楽のパリ公演の舞台を観劇したソフィは、すぐさま知人を通じ、豊竹咲甫太夫氏にプロジェクトのオファーをした。

「2004年2月にパリで行ったデモンストレーション公演のオフに、ポンピドゥーセンターでソフィ・カル展を見たのが、僕とソフィ作品の出会いでした。ソフィは、盲人に美とは何かを聞く作品で”喪失”から”現存”を浮き上がらせたり、自身の痛みを公開することで癒しを与えるといった、正反対の出発点から表現したいゴールへと導くところに文楽との関連性を感じました。また、現代アートと古典、西洋と東洋といった一見すると相対するところにあるようなコラボレーションも、実は同じ線上にあると感じられる点も面白いと思い、今回の作品『Take care of yourself』に参加しました。この作品を映像戯曲化するにあたり、フランス語から日本語にしたものを、いとうせいこうさんに浄瑠璃化していただきました。そして、通常の文楽では物語の時代に合わせた着物を使うのですが、よりモダンな雰囲気を出すために、近代の着物と書見行灯を組み合わせたのです。また、映像では映りませんが、三味線の作曲は鶴澤清介さんに、人形は桐竹勘十郎さんに遣っていただき、先輩方に支えられて完成しました。当初、手紙は書き手の男性の声で読むという設定にして稽古をしていたのですが、ソフィから『この作品には男性は出てこないので、女性のみで構成してほしい』という連絡があり、女性が手紙を読むという設定にして曲を変更しました。そして通常顔を出している人形遣いにも頭巾をかぶっていただき、人形だけを暗闇に浮き上がらせるようにしました。いつもなら、人形の袖から男性である人形遣いの指がみえていたりするのですが、一切見えず、今までの文楽にはない新鮮なイメージに仕上がり、ソフィも満足してくれたようです。ただ、人形が持っている手紙にソフィが受け取った手紙の内容が書いてあるのかどうか、すごく気になっていたようです。実際は書いてないんですけどね。実は、この制作に携わった関係者からも、これからソフィと相談としないといけませんが、できればこの作品を1時間くらいの戯曲にできればと真剣に思っているんです。」[15][16]

「史上最長」のお練りを実施(2017年12月2日)

六代目竹本織太夫襲名の挨拶まわりとして、ゆかりの高津宮から地元ミナミの商店街7つ全てを回り、竹本綱太夫家にとって重要な法善寺(初代綱太夫の墓、二代目綱太夫の墓、七代目綱太夫の住居)まで1時間半かけて練り歩いた。距離は約3kmにも及び「史上最長」のお練りと呼ばれているが、本人はあくまでも「襲名のご挨拶回りです」とコメントしている。[17][18]

即位の礼 内閣総理大臣夫妻主催晩餐会にて野村萬斎、市川海老蔵らと三番叟を披露(2019年10月13日)

即位礼正殿の儀」に出席した外国元首らを招いた内閣総理大臣夫妻主催晩餐会において、狂言、歌舞伎、文楽の共演による三番叟に浄瑠璃 竹本織太夫として出演。野村萬斎市川海老蔵、亀井広忠、田中傳左衛門吉田玉男らと共演。[19][20]

「(織太夫の声は)大好きな声なんやけどね、これからも織さんなんかが、だんだんと勉強してもろてね、文楽を支えてもらんならんお人やねんさかいに、期待はしてまんねん」[21]七代目鶴澤寛治

2018年05月19日放送のSWITCHインタビュー 達人達 「竹本織太夫×中川家礼二」内において、2018年4月公演で『本朝廿四孝』「景勝下駄の段」を務めるにあたり、織太夫が七代目鶴澤寛治の自宅へ稽古へ伺うシーンが放送された。その際に鶴澤寛治が上記の織太夫を評する言葉を残した。

しかし、この放送から約4か月後の2018年9月5日に鶴澤寛治は逝去。翌々月の11月公演において織太夫と寛治は「桂川連理柵 道行朧の桂川」にて共演する予定であったが、寛治の逝去により共演を果たすことができなかったため、寛治師匠と一緒に舞台を務めているという想いを込めて、織太夫は肩衣の紋を自身の抱き柏に隅立て四つ目から、鶴澤寛治の紋である三ツ捻地紙に全て張替え舞台に臨んだ。

鶴澤寛治の孫である鶴澤寛太郎はInstagramに、「舞台で着る肩衣や袴は、持ち主である太夫さんの紋が入っていますが、今回に限り、織太夫兄さんのお気遣いで「抱柏に隅立四ツ目」から鶴澤寛治の紋である「三ツ捻地紙」に変更していただきました。」[22]「残念ながら舞台の前に(祖父の鶴澤寛治は)亡くなり映像には映っておりませんが、織太夫さんのご厚意で、私物の肩衣の紋を祖父の紋に貼り替えていただいたことが大変印象深い公演です。」[23]と投稿している。

また、鶴澤寛治は、諸先輩から色々なことを言われ困っていた織太夫に「あんたは、あんたの富士山描いたらええねんで」と声を掛け、「『これでいいのだ!』と迷っている自分ごと受け入れることができたと」織太夫は語っている。[24]

「歌舞伎の場合は、海老蔵・團十郎 染五郎・幸四郎という順序になっている。文楽の場合も織太夫綱太夫という順序。それだけ織太夫は由緒ある名前」―豊竹咲太夫[25]

「そりゃね。まずは声の大きさ。あんまり大きいてね、フェ~って感心してもうた」「人間的ににじみ出てくる華っていうかな。より一層自分を輝かせることができる。これが強い」[25]―鶴澤清介


「我が国の仏教思想史の中では、恋愛が取り沙汰されることはなかった。しかし近松は、愛し合う男女が、この世で結ばれない運命のとき、仏の導きで、心中によりあの世で永遠に結ばれるという、美しくも日本人の心の琴線に触れるファンタジーを創作した。この人形浄瑠璃は空前の大当たりとなり、封建制度の中にあって、添い遂げられない若い男女の追いかけ心中が連鎖反応のように広まっていった。幕府は心中を禁止し、心中した男女の葬式を禁じた。葬式ができなければ観音浄土への成仏もないのだ。

これらの話を私に教えてくれたのは、文楽太夫の豊竹咲甫太夫(現・竹本織太夫)だった。咲甫太夫の言うには、昭和の復活では近松の原文が現代人向けに改変、省略され、冒頭の観音廻りも割愛されてしまった。いつか原作全文の復曲を目指したいという咲甫太夫の望みを聞き、私はその実現を買って出た。偶然にもその準備中に、富山県黒部市で「曽根崎心中」初版本の完本が発見され、これを台本とすることができた。完成した「杉本文楽 曾根崎心中 付り観音廻り」は2011年3月の東日本大震災で当初、神奈川芸術劇場で予定されていた公演は中止となったが、同年8月に初演を果たした。その後、マドリード、ローマ、パリ、と海外公演へと旅立った。」[26]杉本博司

「六代目竹本織太夫襲名と掛けまして、東北新幹線「はやて」と解きます。そのこころは先代(仙台)を越すことでしょう」ー九代目林家正蔵(六代目竹本織太夫襲名披露パーティーでの乾杯の挨拶にて)

「僕にとって大きかったのは、六代目竹本織太夫さんとの出会いです。のちに友達になってから、太夫さんの生活とはどういうものか、観客席からは見えない部分の話を聞きました。舞台の厳しさを目の当たりにすると、文楽に携わっている方々に対して無条件のリスペクトが沸いてきます。織太夫さんに限らず、すべての太夫、三味線弾き、人形遣いのみなさんが舞台で見せてくださっていることは、当たり前にはできないことです。それを、当たり前にやるということに対する敬意を、劇場空間でひしひしと感じます。織太夫さんとは同世代。彼がこれから文楽の世界で積み重ねていくものを、同じ分だけ齢を重ねながら、自分の人生とともに楽しみたいと思っています。」[27]小泉進次郎

小泉進次郎さんの祖父・小泉純也さんと、織太夫さんの祖父にも不思議な縁があった。政治家と海軍航空技術廠の技術者という違いがありながら、横須賀に建つ自宅が背中合わせで交流があったそう。「僕もその話を聞いてびっくりしました。出会うべくして出会ったというんでしょうかね。僕はいつまで政治家をやるかは分からないですが、織太夫さんはきっと生涯太夫。年の積み重ねとともに、どんな芸になっていくのか。それを見つめ続けられる楽しみをこれからも味わいたいですね[24]」―小泉進次郎

「咲甫さんは僕が目標にしている″体重と体温の乗った言葉を発すること”の体現者」[28]小泉進次郎

「この人に張った! という見方で、僕は織太夫さんを見続ける。」[29]小泉進次郎

「途方もない世界のエース。この人を聴いておけば間違いない!」[30]いとうせいこう

「出会ってから20年、声は大きくなったし、ピッチは正確で気持ちいいし、咲甫さんはエース!」 [30]いとうせいこう

「咲甫さんは、いまの文楽のことを熱心に考えられている世代の代表」[31]鈴木京香

「彼は「未来芸能」の人。〝同業者”として尊敬します」[32]水野学

「「おしゃれ番長」に、日本文化の発信役を期待!」[33]―ソニア・パーク

「何事にも勉強熱心で徹底的にこだわる姿勢にはいつも感心させられますし、何より伝統芸能の世界でいちばんのおしゃれ! ぜひ日本文化を海外に広める文化大臣になってほしい(笑)」[33]―ソニア・パーク

「今も昔もこれからも、私のはるか前を走り続けられている六代目竹本織太夫師匠の、時代を拓く「声」に、勉強し、ついていきたいと思っています。」[34]―佃梓央(一茶庵宗家嫡承)

「規格外のエンジンを宿しているひと」[35]中井美穂

「襲名披露狂言の「摂州合邦辻」合邦住家の段、のけぞるほど驚き感動しました。私は90年代半ばから文楽を見るようになり、あなたの大ファンになったんです。当時から大変な美声の持ち主でしたが、今回2、3年ぶりにお聞きしたら、声や演技のレパートリーが何倍にも増えて、芸が非常に重層的になっていました。役の語り分けも微妙かつ大胆で、聞いていた私は自在に制御され、もてあそばれるような感覚でした。」[36]ロバート・キャンベル

『文楽のすゝめ』[編集]

六代目竹本織太夫が推し進める、ひとりでも多くの人に文楽をどんどん好きになってもらう計画

読む[編集]

「伝統芸能といえば、「敷居が高い」「難しい」そういった印象を持つかもしれません。大阪生まれの太夫だからこそ伝えられる文楽のおもしろさがある。六代目竹本織太夫を襲名するにあたり、そんな思いでこの本をつくりました」(『文楽のすゝめ』前書)[8]

2018年に『文楽のすゝめ』、2019年に『ビジネスパーソンのための文楽のすゝめ』を刊行。

文楽のすゝめ表紙.jpg

『文楽のすゝめ』

特別寄稿:朝吹真理子 / いとうせいこう / 三浦しをん

『ビジネスパーソンのための文楽のすゝめ』表紙.jpg

『ビジネスパーソンのための文楽のすゝめ』

特別寄稿:岩瀬大輔 / 水口貴文 / 小泉進次郎

見る[編集]

三業(太夫・三味線弾き・人形遣い)の芸を支える道具や衣裳、優美な文楽人形を展示する「文楽のすゝめ」展を東京・京都の2か所で実施[37]

〈東京会場〉

会期/2018年5月12日(土)~27日(日)

会場/AT THE CORNER by ARTS&SCIENCE[37]

〈京都会場〉

会期/2018年3月10日(土)~3月25日(日)

会場/「HIN アーツ&サイエンス 二条通京都」[38]

体験する[編集]

文楽を身近に感じてもらうために文楽の聖地で義太夫節体験教室「重要文化財 中之島図書館から文楽のすゝめ」を実施[39]

日程/2018年11月17日,20日,22日


会場/重要文化財 中之島図書館

学ぶ[編集]

NHK文化センター梅田教室にて2019年より「文楽のすゝめ」教室の講師を務める。プロならではの視点で文楽についてわかりやすく紐解く、時に実演を交えながらのレクチャーが人気を集めている。[40][41]

レビュー[編集]

豊竹咲甫太夫時代から雑誌「LIBERTINES」にて4回、雑誌「ケトル」にて50回の計54回レビューを執筆している

LIBERTINES[42][編集]

実際に「松林図屏風」の前に立つと六曲一双に墨だけで幽玄な世界が描かれていて、しばらく動けなくなるほど。そこにはまるで松林を覆い尽くすかのように立ち込める霧や大気の流れさえ漂わされている。はげしく描かれた松、風にざわめき、霧の中に見え隠れする、かすかな動きさえ感じさせる。余白からは幾重にも重なる松林が浮かび上がっている。これは「描かずにあらわす」という魔術のような技法が駆使された等伯の代表作というのみならず、日本の水墨画の最高峰とまで評されている。等伯の伝統に縛られることのない自由で柔軟な表現方法の前では、私のジェラシーは、何の意味も持たないのである。

興福寺の阿修羅像の姿は、三つの顔や六本の手、それに赤い肌。これこそインド神話の阿修羅であるが、戦争の神としての激烈な気性や、強い怒りの表情などはどこにも見られない。それとは逆で、静けさと繊細さが強調されている。その仏性をもつ少年のような眼差しは特定の者に視線をむけてはいない。憂いを含んだ眼差しは、もっぱら自分にむけられている。これは阿修羅自身が懺悔の手本を見る者に示している。まるで、戦争を繰り返した自らを懺悔しているようだ。

1900年に没したニーチェは、「神は死んだ」といった。人間が人間を超えたものを見失ったときに、なにをしでかしたか。争いに明け暮れ、識者が総括するように「20世紀は戦争の世紀」になってしまった。戦争は負けても傷つくが、勝っても傷つく。争うむなしさを悟った表情を阿修羅に見て、人は心打たれるのではないか。人は生きていく上で悩みを抱える。そんな時、誰にかに聞いてもらうだけでも、たいていは整理がつく。相手が仏像だったらなおさらそうだ。仏像のもつ力は、そんなところにある。

ケトル[43][編集]

〈空気は無料ではなかった。土も水も森も林もそして光も決して無料ではなかった。いまその勘定書が回ってきており、人間たちがこの付けを決済しないかぎり、大自然は地球の上に人間たちが住むことを許さないだろう。〉

2010年4月9日、ご逝去された井上ひさしさんの言葉である。この言葉はまるで、東日本大震災と原発事故を予知していたかのようだ。(略)猥雑なエネルギーと饒舌な笑いで庶民をいきおいきと描きながら「日本とは」「日本人とは」を鋭く見据えた井上ひさしさんのまなざしを、しっかりと受け止めたい。

唐で学んだ密教は凡人には難しいものだった。空海もそれをわかっていて、絵で伝えることが望ましいと思い、曼茶羅を持ち帰り密教の世界を紹介した。しかし、それだけでは満足しなかった。絵よりも、よりわかりやすく人々に悟りの世界を見せるために、3D化して曼茶羅をつくることにしたのだ。今でいうならバーチャル・リアリティの極致で、イメージをヴィジュアル化、アコースティック化、空間化した。

空海が立体曼茶羅を構想した精神が示すのは、いわば悟りのための美術、あるいは人を救うアート。宗教美術の生き生きとした力の源泉は、美を人間のために役立てようとする姿勢にあるのでしょう。仏教では、自利利他ということがよくいわれます。自利とは自分のために、利他は他者の利益のためにおこなう修行です。そして、大乗仏教ではとくに利他行が重視されます。それこそ、人々を幸せにしたい社会福祉の父でもあった空海の願いであろう。

現在、インターネットの普及により誰もがあらゆる音楽情報に簡単にアクセスできるようになりました。それによって、音楽はいい意味でも悪い意味でも優劣をつけられることなく、並列化されつつあります。旧来の型にはまった音楽観―西洋クラシック音楽を優れたものとし、伝統音楽やポピュラーを劣ったものと見る―が、相対化されたことは歓迎すべきことです。

「commmons : schola」が企てるのは、ほどよい一般性をもった文化の教科書を作り出すのではなく、圧倒的に突出した音楽を拾いつつ、そこから普遍性をもった標準を作り出そうという、きわめて野心的なブロジエクトなのです。そのような標準の選定は、たんに広くバランスのとれた知識だけによっては不可能でしょう。場合によっては、選者が個人的なこだわりから特殊な音楽を選ぶことがあってもいい。そういう特異性からこそ、普遍性に通ずる標準は生み出されるのです。文化の規則性からはみ出した例外であるからこそ、いつでもどこでも新しく響く、それこそが本当の「古典」と言うべきではないでしょうか。

宗教とは本来個人の心の救済の問題であるはずなのだが、人が集まると政治がらみとなる。あげくの果てが僧兵を備えて戦争までしようということになる。明恵の遺訓にも次のようなものがある。〈凡そ仏道修行には何の具足もいらぬなり。松風に唾をさまし、朗月を友として究め来たり究め去るよりの事なし〉

「栂尾明恵上人遺訓」に次のような一節がある。〈人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)の七文字を持つべきものなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあないしるべき様なり。乃至帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。此のあるべき様を背く故に、一切悪しきなり〉。そして、まさに、明恵は僧としてあるべきように生きぬいた。現世においてまず「あるべきように」あろうとした。修行すべきように修行し、振舞うくべきように振舞まう。人は常に浄玻璃の鏡に日夜自分の振舞いが映っていると思いなさい、と。これは人に知られないだろうから、ごまかしてもいいやなどと思っても、その鏡にはしっかりと映っているのである。

現世のことはどうであっても後生だけ助かればいいなどと説いている経典はない、と明恵は言い切っているのである。今を生きるあなたの「あるべきようわ」は何か?と、時代の向こう側から問いかけられているようだ。

九鬼(周造)が留学中に考えたことは「寂しさ」とか「恋しさ」という感情を生むものは何かというものでした。九鬼によると、この「寂しさ」とは他者との同一性が得られないという感覚で、「恋しさ」は対象の欠如によって生まれる根源的なものへの思慕なのです。九鬼はこれらの感情や感覚は「失って知る異質性」への憧れを孕んでいると考えます。そして、人間という存在がすでに何かを失ってこの世界に生をうけているという「被投性」をもっているのではないか、ということに深い関心を寄せました。

茶の湯や浄瑠璃や文人画として見いだされた上質の日本文化は、つねに「無」や「無常」とは表裏一体なものとなっているはずなのです。水を感じたいから、そこから水を抜く枯山水になっていることがあるのです。そこに「被投性」があり、それゆえ「失って知る異質性」との出会いの暗示があるのです。これを不思議がってはいけない。その不思議こそが「日本という方法」の正体なのだと考えた九鬼の見方が、何かを失ってわかる本来の感覚というものなのです。

  • 千宗屋『茶 利休を今をつなぐ』(「伝統と伝燈」)-ケトル No.09

「伝統」という言葉自体が、明治以降に新しく作られたものです。「伝えて統(す)べる」という熟語は本来存在せず、それまでは「伝燈」と書かれていました。これは仏教の教えで、釈尊が亡くなるときに弟子が嘆きかなしんで、「私たちはあなたが亡くなった後、何を支えにして生きていけばよいのか」と尋ねたところ、釈尊の「自燈明・法燈明」つまり「私を支えにしてはならない。真理と、あなた方が正しい真理を追究したいと思う志を燈にしなさい」という答えに由来するものだそうです。仏教では迷いを闇にたとえますから、真理=法を燈として歩みなさいという釈尊のことばから、真理を教え伝えることを「伝燈」と言うようになりました。ですから師から弟子へ教えを伝えることを「伝燈」と言うのです。ところが明治の廃仏毅釈によって、神道が国教に据えられ、もともと外来宗教である仏教が排撃された時、伝燈という言葉は仏教色が強いから「燈」をやめて「統」という字を当てることになったのです。

では、この燈を伝えるための具体的な工夫はというと、日々、油を差すことに尽きます。だから油を絶やすことが「油断」なのです。常に新しい「油」、つまり新しいエネルギーを注がなければ、燈は維持できません。その新しい油が、変化する生活に対応するための工夫であったり、時代に添った意識であったりするのでしょう。この本では利休茶の秘伝書である『山上宗二記』を繙き、茶の湯で一番大事なことは「工夫」することだと記されています。古い法を学んだ上で自分の創意工夫こそがお茶なのだと。茶の湯は、繰り返し新しい工夫を加え、更新し続けて擦り切れることのない、強靭な枠組みをもっている、とあります。人形浄瑠璃文楽も次の工夫を探ることで、新しい生命が吹き込まれます。私は、この芸能の核心には、いまなお赤々と燈が絶えることなく燃えていることを、現代のお客様に感じていただける舞台を務めたいと思います。

バルトはその純粋なエクリチュールを、たとえば枯山水庭園に感じる。「どんな花もない、どんな足跡もない。人間はどこにいるのか?岩石の搬入のなかに、箒の掃き目のなかに、つまり表現体の働きのなかに、いる。」

さらには、文楽についても書かれている。「動作と声の統一が、表現する人間を生み出す」と考えられている西洋の演劇と違って、「《文楽〉は、舞台の三個所から、同時によみとってもらうようにと別々に表出される三つの表現体(エクリチュール)を用いる。すなわち、繰り人形、人形遣い、声師、である。」「ここでは声が、あそこでは目が、もう一つ向こうでは身のこなしが、それぞれ肉体の一つ一つであるかのように、しかもそれぞれが呪物(フェティッシュ)の一つ一つであるかのように、別々の行動原理(エロス)の性格を与えられて存在する」というのだ。

  • 『ZENSHIN 柴田是真の漆工・漆絵・絵画』-ケトル No.11

是真は、「西洋の油絵は久しきに耐えるといっても数十年。けれども、わが漆器は、古物を見ても剥落摩滅したものはない。漆を絵画同様に表現できれば、すばらしいではないか」と考えていました。たとえば、和紙に漆絵を描くというのは、ほとんど誰もやったことのない試みでした。ただ線をひくだけでも絵の具と違って漆は自由が利きませんが、耐久性では遙かに優る。そういう漆の性質を最大限にいかす材料を求めて、和紙などを含めてとことん研究し、描く技術を磨きました。さりけなく描かれているように見える絵が、実は誰も絶対真似できることができない技術に裏打ちされています。

  • 白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ』-ケトル No.12

白隠は職業画家でもなけれは、風雅に遊ぶ日曜画家でもない、それら全ての作品は、大名から庶民に至るまで、あらゆる階層の人々に惜しみなく与えられたものであると言われています。ただ禅の教えを伝えたい菩提心と、ただただ描くことが好きな絵心とが合致して生まれた作品は、ユーモアに包まれ、頭でっかちではない禅の教えがストレートに伝わってきます。

面白くて笑えるのに深い思想をたたえた白隠禅画を見ていると、禅とは難しいものではなく、いまの私たちでも日常に活かすことができる思想なのだということを教えてくれる気がしました。

  • みうらじゅん『マイ仏教』(「比較三原則」「自分なくし」)-ケトル No.13

言葉があるから基準もでき、基準があると、人はつい他人と比較してしまう。むしろ常に他人と比較しながら生きているのが人間でしょう。おもしろいかおもしろくないか、幸せか不幸せか。他人がいて、それを比較する言葉があって、はじめて自分の立っている位置を認識します。比較ができるから人類は進化したのかもしれないし、比較こそが苦しみを生む原因なのかもしれません。これを著者は「比較三原則」と呼んでいて、"他人と過去と親"、この三つと自分を比較してはいけないと説きます。でも、上手に「比較三原則」を意識すれば、気が楽になることもあると、その技術を教えてくれます。

また、"「自分なくし」は生きるテクニック"の章では、人間は他人の機嫌を取り過ぎると「なんで俺は他人のことをばかり考えているんだろう」と落ち込むこともあり、結局「自分探し」が行き着く先もここだとあります。必死になって自分を探した結果が、「たいしたことない」では浮かばれません。だから、早く「自分をなくす」方法を身につけたほうが得だ、と書きます。その例として、みうらさんが昔から好きだという、ものまね芸人が取り上げられます。彼らの芸は「自分をなくす」ということと、「ご機嫌を取る」ということが、同時にできている「自分なくし芸」であると。それに比べ、素人の中途半端なものまねは目も当てられない。なぜならそれは、「自分をまだキープしたままの今ものまね丘だからです。この指摘は、私のように芸を継承することを業にする者にとってもひとつの極意です。「自分探し」よりも「自分なくし」。これこそが、生きる上で、芸を極める上でも、大事な心構えであることに、改めて気づかされました。

印象的だったのは、ランド博士がマーケティング幹部を執行役員に昇進させた時に与えた職務内容。それはたった4単語で「Keeper of the Language(言葉の管理者)」だったそうです。科学的な厳密性と同じくらい言葉にも気を遣っていたことがわかるエピソードです。

セレンディピティ」とは、ウォルポールによると、「偶然と才気によって、さがしてもいなかったものを発見する」ことを意味します。この言葉は、次第に広まり多くの人びとが口にするようになるとともに、「幸せな偶然」の意味で使われるようになってきましたが、たんに「幸せな偶然」であれば、わざわざ「セレンディピティ」のような言葉を作る必要はありません。

ウォルポールは、セレンディピティ的発見の鍵は、「幸せな偶然」を待つだけではなく、その偶然を生かすことができるかどうかだといいます。つまり、実験や観察をする人たちの心がまえ次第であり、何事にも集中する意識があって、周囲の出来事を注意深く観察し、それに瞬間的に、かつ無心に反応する心が常にそなわっていることが必要で、先入観は禁物だともいっています。ただ、セレンディピティ的発見は科学の分野のみで、注目されているかのような印象をうけますが、そうではありません。このおとぎ話のように日常生活にも起こりうることであり、ウォルポールのいう条件さえ身につければ、誰でもセレンディビティを体験することできるのです。

今や、人々はどんどん物を持たなくなっています。自宅に大きな冷蔵庫を置くより、近くのコンビニに行くほうが便利だし、たくさんの書籍やCDを所有するより、ネット上に大量のデータを保存するクラウドサービスを利用して必要な時に端末を通じて取り出すほうがいい。大阪万博が未来予測を外した原因の一つは、日々の暮らしへの愛情の欠落かもしれない。モノに頼りすぎたあまり、テクノロジーの発達によって、暮らしがどう変わるのが望ましいのかを真剣に考えることを忘れてしまった。でも、都築響一さんの序文にもあったように、大阪万博の映像は、なぜか脳内の最深部を駆け巡る。何かとてつもなく古くて新しい感覚、信じるままに突っ走ってしまうチカラそのもの。疑い、ためらうことばかり覚えてしまった、世紀末の子供である私にとっては、だからこそ大阪万博は、何よりも新鮮なのです。

電子書籍が一般化した現在、もはや「本とは何か」という定義ができなくなっているとも言っています。本の歴史は、手書きの写本を起源として始まります。本が現在のような冊子状になったのは、羊皮紙という素材が生まれて以降のこと。続いて印刷という複製技術が生まれて、手書きの必要がなくなり、その後デジタル技術が生まれて、印刷が不要になった。同時に冊子ではなく、まるで石板や樹の皮のような、1枚のタブレット状にまた戻ったとも言えるのが現代です。そう考えると、商品カタログやパンフレットもiPadで見たら、本でないとは言えません。博物館に収蔵されている写本が本であるなら、Evernote上に収集された論文も本です。つまり、どこからどこまでが本なのかは、人によっても時期によっても変わっていくわけです。

「本とは編集されたコンテンツである」とか「本とは印刷された冊子である」とか定義しないと落ち着かない人もいるでしょうが、枠にとらわれずに本を守りつつ、活動する内沼さんの姿はとても魅力的です。出版社も取次も書店も図書館も、本を読む習慣がすでにある人に「この本の面白さ」を伝えるのに精一杯で、誰もその手前にいる人に「本というものの面白さ」を伝えることをしていないのではないかと。

「本の逆襲」という本のタイトルは、書店や出版社の売り上げが減少している原因を読者のせいにし、努力や工夫もせずに飲み屋で「出版業界は斜陽産業だ」とつぶやいてきた大人たちへの強烈なアンチテーゼです。なにより、「出版業界の未来」に、「本の未来」まで巻き込まないでくれ!という内沼さんの切実な怒りです。なぜなら本は形を変えながら人生を豊かにしてくれる存在であり続けるという確信が内沼さんにはあるからです。

しかし、この問題は私にとっても他人事ではありません。文楽の入場者数減少問題や後継者問題に置換えて、改めてじっくり考えなければならないことを痛感しました。

原題は"The Art of Loving"(愛の技術)、Artには「芸術」という意味もありますが、ここでのArtは「技術」という意味で使われています。つまり、愛とは心の技術であり稽古をしないとできるようにならないものなのです。でも、その「技術」は、どんな行動を心がけ、どういうファッションをすれば異性に愛されるかといった「愛される」ための「恋愛マニュアル」ではありません。逆に「愛される」ことより「愛する」ことが重要だと強調します。

フロムによれば愛の技術を習得するための前提条件は「規律・集中・忍耐」。まるで道場の壁に毛筆で書かれている言葉のようです。例えば水泳やテニスが上手になるには練習が必要ですが、愛になると、人は生まれながらにできると思っています。しかも、水泳やテニスはスクールがありますが、愛にはありません。つまり、自習が必要なのです。ではどうやって自習するか?まずは、愛するようになりたいと思うことが大事だとフロムは説きます。またフロムは、愛を与えることは自分の生命を与えることだとも述べています。ここで言っている生命とは、人形浄瑠璃に出てくる主君や愛する人へ命を捧げる「命」のことではなく〈自分のなかに息づいているもの〉のことで、相手に対して〈自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与える〉ことが愛だとフロムは言っているのです。愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということでもあります。私はフロムの言う、愛に関して重要なのは自分自身の愛にたいする信念で、つまり自分の愛は信頼に値するものとであり、他人のなかに愛を生むことができると「信じる」ことである、という言葉を、勇気を持って信じてみようと思いました。

三味線弾きの家に生まれた私は、ずっと猫を飼っていた。三味線の胴の表側は犬革が通常だが、繊細な音を表現するには、やはり猫革には敵わない。猫への感謝と敬意をこめて、私の家では、猫を家族同然として一緒に生活していた。私自身の幼少時代に飼っていた虎猫(ベンツ)も、私の誕生日のあと突然に姿を消し、喪失感から愛猫の絵を描いていたことを思い出す。

バルテュスは、自分の作品を理解しようとしたことは一度もないそうだ。作品には、何か意味がなくてはならないのか、そう思ったからバルテュスは自分のことを話さなかった。生真面目な職人として筆をとり、自分の信じる美を追求し続けた画家。私もバルテュスのような勤勉さで戯曲に向かい合い、舞台を務めたいと思う。

  • Tony Bennett & Lady GaGa「Cheek to Cheek」-ケトル No.22
  • フィリップ・チェスターフィールド『わが息子よ、君はどう生きるか』-ケトル No.23

たとえばチェスターフィールドは、すべての人はうぬぼれ(自尊心)を持っており、他人に何かを頼む場合などには、それに訴えるのがよいと言っています。いかにも彼らしい言い方であり、この点をとりあげて彼やこの本を非難する人もいます。しかしその非難は当たっていません。他人にものを頼むために急に「おべっか」を使っても、他人がこの本を読んでいたら、その「おべっか」にはだまされたりはしないからです。つまりこの本は「おべっかを使え」と教える本ではなく「おべっかにだまされるな」と教えてくれる本なのです。結局のところ人にものを頼んで成功するための最善の方法は、それに先立つその人との長い交際によって、信用を得ることです。その信用をどうしたら得られるかをこの本は教えてくれる。この点だけでも、長い間この本がイギリスの上流社会でのジエントルマンシップの教科書として使われた理由を物語ります。

本日は千秋楽。ジェントルマンシップに則って、チェスターフィールドの子孫、第6代チエスターフィールド伯爵が着用したことにちなむ、チェスターフィールドコートで楽屋入りするとしましょう。

「かわる」とは何か。「かわる」という漢字には、前と異なる状態、変化、変更の「変」。全く別のものと交換する、換金、交換の「換」。また同種・同等のものと交換する、前の物事をやめて別の物事をする意味の「替」。そして今回の襲名で二代目(吉田玉男)に「かわる」は、交代の「代」、別のもの・人がその役をするの意味です。

古代中国の易の理論をまとめた繋辞伝(けいじでん)には、日本でも有名なこんな洞察がある。「窮スレバ則チ変ズ。変ズレバ則チ通ズ。通ズレバ則チ久シ」。つまり「窮した時には変化せざるをえなくなり、それが新たな展開を生み、永続性につながる」という天の法則。

一方で、「変わらないために変わる」という逆説もある。ヒトの細胞にはもとのものと同じものを作るプログラムが組み込まれている。人体は細胞レベルでは数カ月でそっくり入れ替わる。同様の事象を読み解いた随筆が『方丈記』だ。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。鴨長明は、変わらないように見える京の都の街並みも、実は住まいも住民も時の流れとともに入れ替わっており、「昔ありし家は稀なり」とも記す。

鴨長明は下鴨神社の神官の子として生まれ、その下鴨神社では、21年ごとに社殿の修繕や建て替えをする式年遷宮があり、今年は34回目(災害被害の修繕など臨時を含めると59回目)の遷宮に向けて儀式が始まっている。伊勢神宮も行なう式年遷宮は祭神の宿る建築とその技術を後世にそのまま伝えるためのもので、存続のための古くからの知恵だ。鴨長明も幼少期の式年遷宮の経験が『方丈記』につながっているかもしれない。

歌舞伎や人形浄瑠璃には、「早変わり」という演出がある。去年AKB48のコンサートに招待してもらいましたが、舞台の両端から幕がサッと横切ると、再びメンバーが現れた時には衣装が変わっていた。一瞬にして局面を変える「早変わり」という演出は、古今東西、時代を超えて共通する摂理なのかもしれない。

  • 中村明一『倍音』-ケトル No.25

フラメンコにおける歌手・ギター・ダンサーとの関係と、文楽における三業(太夫・三味線・人形)の関係は、似ているのではないか。勝手にそう思った僕は、作曲家であり尺八奏者でもある中村明一さんの「倍音」を手に取りました。本のなかに「整数次倍音・非整数次倍音比較表」があり、周波数・波形・言語・聴感上の特徴・効果・例が一覧になっています。その表には、気になった通り、非整数次倍音の代表に義太夫節が書かれていました。

さらに三味線にも触れられており、たとえば三味線は二つの非整数次倍音を出すための工夫がされているそうです。もうひとつは「サワリ」を持っているということ。一の糸だけが、上駒にのっておらず、棹に弦がじかに触れています。その弦を弾く、あるいはその弦と共鳴する音を弾いた場合、弦を支える部分の面積が広いために整数次倍音だけでなく、非整数次倍音が出る仕組みになっていて、これを「サワリが付く」と言い、同じ旋律でも、調弦の選び方でサワリの付く音を変えることができるそうです。

この本は、私たちの芸能のなかなか言葉で説明しにくいことをわかりやすく解明しています。倍音は、古代からの脳を受け継ぐものだそうです。古代からの言葉の意味を超えた大切なものに気づき、それを未来に伝える。これら古代からの無意識の遺産を継承してこそ、芸能の道は開けていくのではないでしょうか。

もっとも興味を持ったのは番組の最後に紹介された、1780年に描かれた大英博物館秘蔵の「氷図屏風」です。氷の割れたヒビを墨の線で描いたものですが、一見抽象絵画のようでもあり、現代の絵画作品のようにも見えます。下の半分に鋭く長めの墨の線が何本か引かれただけですが、氷のひび割れの瞬間の音やその冷気まで伝わってくる、その鋭く走る線が見るものを氷の世界に誘います。奥行きを感じさせる微妙な墨の濃淡、即興で描いたかのように見えながら計算し尽くされた表現は見るものを圧倒します。

氷を描く応挙の筆は、アイススケートの4回転ジャンプのように華麗で美しい。しかし4回転が高い技術と飛ぶ勇気、スケートに懸ける人格や思想に裏打ちされているからこそ美しいように、自然を写生し描く応挙の作品も、総合力に裏打ちされたがゆえの品格を感じました。

  • 約物」(NIKKEI ART REVIEW「この記号、打てますか?」)-ケトル No.28

現在のような約物の歴史はまだ浅いといえるが、〃や々などは紀元前の中国・の金文に由来するという説もあるそうだ。私のような職業では上演台本の詞章の書き出しには庵点 〽が付いている。これは歌の記号として使われ、すでに中世の謡曲本に見られるそうだ。決して発音されることはなくても、約物は文や語を区切り、文章に意味を付け加え、文章にはなくてはならない存在、いわば無言の脇役ということを知った。

「浄瑠璃記」の冒頭には「江戸期の人達にもし会えるなら高田屋嘉兵衛に会いたい」と書かれています。嘉兵術は北前船の交易で成功したものの、その絶頂期に千島列島沖でロシア船に掌捕されてしまいます。緊迫する日露関係のなか、結果的には頼まれもしないのに日露の和平に尽力することに。満足に初等教育もうけていなかった嘉兵術がロシアと堂々と交渉できたのは、浄瑠璃ずきのおかげで、魅力的な表現ができたことも功を奏したそうです。英語圏でいえば、無学な船乗りながらシェイクスピアは全部暗講していて適時引用する感じでしょうか。彼がカムチャッカ半島に連行されるとき、嘉兵衛は数冊の浄瑠璃本を持っていったそうです。浄瑠璃から学んだ気迫が嘉兵衛を支えたのかもしれません。

江戸時代、嘉兵衛がそうだったように、大坂の商家などに丁稚に入った子供たちは休みのたびに、文楽を観たり、浄瑠璃を聴いたりしていました。それは娯楽であると同時に言葉を磨く場所でもあったのです。たとえば丁稚から手代に昇格すれば、きちんとした敬語や、掛け合いをする際の相手を説き伏せる物言いも必要でしょう。司馬遼太郎は、浄瑠璃は町人階級の日本語を正しく教育するなど、娯楽以上の意味があったのだと指摘します。江戸時代は浄瑠璃本で言葉を磨き、男を磨き、女を磨く時代でもあったのです。

「勝ちを見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善なる者に非ざるなり」ということばが引用されていた。

これに対して、「目立ちたいとか、ほめられたいとか、もしきみがそんなふうに思ったときは、このことばを思い出してほしい。孫子せんせいは、だれにでもわかる目立つ勝ち方も、もっともよい勝ち方ではないといっているよ。それよりも、しっかり準備をして確実に勝つほうがすごいことだと考えているからなんだ。人前で派手にがんばる姿は目立つし、ほめられることも多い。そのいっぽうで、冷静にコツコツと努力する姿はあまり目立たないし、ほめられることも少ない。でも、じつはそれこそが、孫子せんせいのいう「善の善なる者」つまり本当にすごいことなんだ。だってその人は、人には知られない地道な努力をつみ重ねてきたということだからね。そして、努力はだれかにアピールするためではなく、自分のためにするものだということを知っている人なんだ」とわかりやすく書かれている。

私は息子に、この本を自由に読んで楽しんでもらい、この世の中を「強くしなやかなこころ」で生き抜くヒントを手に入れてもらいたい。

天心は自然と人間を対等に扱うという日本の茶人のもつ自然観についてこう述べています。茶人は、花を選びさえすれば責任は果たしたとしてあとは、花が花自身の物語を語るのにまかせる。暑さでうんざりするような夏の日、昼の茶会に呼ばれて行ってみると、ほの暗く、涼しげにととのえられた床の間に一輪の百合が釣り花瓶に生けられているのに出会うかもしれない。露に濡れたその花の様子は人生の愚かしさに微笑んでいるかのようだと、天心は語ります。人間の営みの有限性、相対性、儚さを、ここでは一輪の花が「ほほ笑んで」許し、受け入れてくれるのです。

一谷嫰軍記』は源氏方の熊谷直実平敦盛を討ち、世の無常を感じて仏門に入ったという『平家物語』などでも名高い史実を踏まえ、「直実が討ったのは敦盛ではなく、身替りの我が子だった」という大胆な創作が加わる戯曲です。「熊谷陣屋の段」の舞台には桜の木。そこには立て札があり「一枝を切らば一指を切るべし」と書いてあります。枝を一本切った者は、罰として指一本を切るという警告ですが、これには「裏の意味」があり、その立て札を直実は深い想いで見つめます。「一枝」「一指」とは、「一子」でもあり、つまり「一子を斬れ」という、主(あるじ)源義経が直実に下した命令であると。

天心は、茶人の死を利休の最期を語ることで締めくくります。「美しく生きてきた者だけが美しく死ぬことができる」と。死は生の完成であり、至高の芸術であると言っていいのかもしれません。

「これでいい」だと自分だけで受け入れているようにどうしても感じてしまいますが、「のだ」を付けて「これでいいのだ!」にすることによって、自分の考えや思想を相手に受け入れさせ、ママやバカボン、ハジメちゃんもパパを中心とした世界の中に取り込んでしまいます。それをみんながあたたかく受け入れるという、このマンガの全体像を象徴している言葉だと思います。また自分の世界を「のだ!」を入れることで、構築するという高度な技でもあります。「のだ!」には、ソフトに相手を服従させる働きがあると言語学者の先生がいっていましたが、バカボンのパパは豊富な語彙と言葉の創造性を兼ね備え、「これでいいのだ!」ですべてを受け入れさせる驚くべき話術の持ち主だともいえます。

自分も含めて、一般に父親は子どもと意味のあるコミュニケーションをしなければと思いすぎて、かえって煙たがられます。バカボンのパパのナンセンスさは、父親の手本になると思います。

「歴史とは過去と現在のキャッチボールである。いまを生きる我々が自分の問題を過去に投げかけ、過去が投げ返してくる反射球を受け止める対話の連続。歴史は決まった史実を覚える「暗記物」ではないのだ」

「歴史はあるのではない、生まれるのだ」私が生業にしている浄瑠璃も過去の歴史上の人物の人生を生き生きと描き、人形浄瑠璃として上演することで、現代のお客様に過去の問題を投げかけている。ここ数年、自分のルーツが断片的にしか伝わっていなかったことに気がつき、それを徹底的に調べ、繋がり与えることで本にしたいと考えています。磯田さんのように文献的な知識や無機質な歴史の記述を生き生きとよみがえらせ、供養にしたいと思います。

(劇中で流れた)「Japanese Folk Song」こそ、瀧廉太郎の「荒城の月」を元にモンクがビバップしたものであった。この瀧廉太郎は、四代目竹本織太夫(後の八代目竹本綱太夫)と従兄弟ということもあり、よりこの曲に興味を持つことになった。

この映画の美しい心理は、人は人生において、自分を変えてくれ、なりたい人物になる道筋を作ってくれる人と出会うけれど、最終的にはその道をひとりで歩まねばならないということだ。人は、残りの人生を決定づける人と結びつくことはできるが、その結びつきは残りの人生までは続かない。そのことはすごく美しくて、切なくて、驚くべきことだ、ということを監督は描いていると思う。

リーダーに求められるのは「覚悟」を持って決断し、周りの「仲間」から信頼され、困難に負けず「努力」し、「運命」さえも乗りこえる力であり、それはまさに、きびしい社会を生き抜くために、どんな人でも必要な力だからです。

「仲間」や「努力」はともかく、「覚悟」や「運命」は、大人でもドキッとしてしまうテーマかもしれません。でも、こどもを取り巻く環境は、大人と同じように、きびしさに溢れています。また、こどもが大人の社会に出てゆく、そう遠くない日に向けて、早い段階から「本当に役立つこと」を伝えていくのも、必要なのではないでしょうか。それに、こどもは大人が思っている以上に、たくましく、しなやかで、自分らしくあろうとする心を、いつの間にか自分で育てています。だから大人はもっとこどもを信じて「世の中のホント」を知らせてもいい。この本を手にした全てのこどもが、そして大人も「きびしい社会を生き抜く人」になれますように。

興味を惹かれたのは、維摩経の第九章「入不二法門品(にゅうふにほうもんぼん)」でした。「不二」は「二つではない」という意味で、善と悪、美と醜などの二項対立を解体する、相反するものすら平等になる世界のこと。ですから「不二の法門」とは、悟りの世界へと入る道のことです。

まず、維摩は、この「不二の法門」とは何か、並み居る30人以上の菩薩に対して質問します。例えば、「生じる」ことと「減する」ことが一つであれば、「死」があるのは「生じた」からと考えることができます。そうすると生と死は連続していることになります。ではどうして二項対立を否定する必要があるのでしょうか。通常、何が「善」で、何が「悪」で、何が素晴らしくて、何がダメかがわからないと、社会に適応できません。しかし、「不二」は、そういう二項対立の罠に引っかかってはいけないという教えです。

最後に、維摩は、文殊菩薩に意見を求めます。文殊菩薩は「言葉も思考も絶えた世界」に入ることだと「不二の法門」を語ります。そして今度は文殊菩薩が維摩に意見を求めます。維摩は何も答えません。「維摩の一黙(いちもく)、雷(らい)の如し」という維摩経のいちばん有名な、シーンです。維摩の「だんまり」によって皆が雷に打たれたように「不二の法門」について悟るわけです。「自」と「他」という二項対立。維摩経は自分という枠が強いほど、人は苦しむと教えます。自分を守るためのバリアを外すためにも、人の世話をしたり、されたりしようと思い、お世話上手、お世話され上手になりたいと思います。

今回の特集は「TBSラジオが大好き!」。師匠(咲太夫)が「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」の常連ゲストとして20年以上出演されていたご縁もあり、師匠の鞄持ちでTBSラジオによくご一緒させていただいたものでした。

「豊竹咲甫太夫の會」を初めて勤めたときにも、永さんは番組にゲストで呼んでくださり、その後もたびたびあたたかいエールをいただきました。体調を崩され、毎週月曜夕方の番組「六輔七転八倒九十分」に出演されなくなっても、テレビや舞台で私を聴いた感想をFAXしてくださり、「咲甫太夫の芸が良くなった!」と、こちらが恐縮するほど御心にかけていただき可愛がってくださいました。

私が興味深く感じたのは、ラッセル自身が自分の体験から導き出した幸福になるための「究極のポジティブシンキング」でした。①自分が一番望んでいるものが何であるかを発見して、徐々にこれらのものを数多く獲得する。②望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能なものとして上手に捨てる。③自分の欠点に無関心になることを学び、だんだん注意を自分から外界の事物に集中させる。また、ラッセルは、不幸の最大の原因を自己没頭、つまり自分の考えに引きこもってしまう状態になることだといいます。

最後に世評に対するおびえについては、生死に関わる問題でなければ無視しろ!と明解です。更にこの害悪に対する究極的な治療法は、ただ一つ、一般大衆が一段と寛容になることである。寛容さを増やす最善の方法は、真の幸福を享受しているがゆえに、仲間の人間に苦痛を与えることを主な楽しみとしていない個人の数を増やすことであると。まさにこの本は現代SNS時代にも通じる幸福論です。「いいね!」と炎上しかない不健康で不寛容な社会に対しても、数学者であるラッセルは万人に当てはまる公式を提示してくれています。私もこの本から幸福の答えを出したいと思います。

西郷は「みな自分を甘やかす心がもとにあるからで、決して自分を甘やかす心を持ってはならない」(『遺訓』26条 現代語訳)と説きます。

本来の儒教を取り戻すために注目されたのが陽明学です。陽明学は、宇宙、万物の根拠であり、根本原理である「理」と自己の「行動」を合致させよ、という「知行合一」。そして「致良知」人が本来持っている道徳性を実践せよと説きます。まさに、天の使命を受けて行動し、自分を甘やかすことを戒めた西郷には陽明学の教えが貫かれていました。その古い儒教の思想が結果的に日本を近代化しました。そして、現代、今度は西郷の言葉が改めて私たちの生きる哲学として、浮上してきています。私も西郷のように邪なものを無くして「理」に合致すれば清く正しい行いができると信じて、これからも日本の時間の風雪に耐えてきた古典を大切にしたいと思います。

私は「おはぎ」に目が無い。素朴な餡子と粒々の残ったお餅が食べごたえ満点。イチ推しは地元、大阪日本橋の国立文楽劇場近くの「玉製家」の「おはぎ」ですが、地方公演で立ち寄る街の食堂やスーパー、移動中の道の駅など様々な場所で売られているものも捨てがたい魅力があります。地域ごとに大きさや硬さや餡のタイプ、甘さも様々で、どれを食べても美味しくはずれることがありません。餡子を使ったお菓子は数々ありますが、毎日でも食べられるものをと考えたら「おはぎ」に敵うものはありません。見た目がちょっとだらしない感じもよく、一息つきたい時に自然と選んでいました。おはぎは、おやつなのか、ご飯なのかそれさえも定かではなく、また和菓子屋さんではなく専門店や餅屋さんや食堂の店先で販売していることが多いというのも面白い。

また、お彼岸には付き物の「おはぎ」ですが、呼ばれ方が季節によって変わるのもいい。ご存知の方も多いかと思いますが、「おはぎ」は秋の花「萩(はぎ)」、「ぼたもち」は春の花「牡丹(ぼたん)」からきています。ところがまだまだ異名があります。おはぎの真ん中の餅生地は、通常のお餅と違い、臼と杵でつかないことから呼ばれるようになった「つき知らず」。その「つき知らず」を「着き知らず」とかけて、夜に到着する船、と解きます。そのココロは、いつ着いたかわからない「夜船」。さらに、「月知らず」とかけて、北向きの窓、と解く、そのココロは月が昇らない窓「北窓」など、なんとも面白い食べ物ではないでしょうか。さらに、おはぎの餅生地には、もち米とうるち米の両方を使います。このどっちつかずの性質は作り方もそうです。「つき知らず」の名でもわかるように、すりこぎの弱い力でつぶし、米粒の形であるような、ないような、つまり「半殺し」な状態で完成させるのです。この中途半端さこそ、おはぎ的で、独自の個性としかいいようがありません。

最近、『文楽のすゝめ」という入門書を出版しましたが、その取材で文楽を「おはぎ」に喩えたところ、反響が多くありました。もともと庶民の芸能として、大阪で誕生した文楽は、いつの間にか芸術として神棚に上げられているように思います。人形浄瑠璃を偉大な先人たちが芸術にまで高めてくださいました。現在の文楽はユネスコの無形文化遺産に登録されていることもあり、喩えていえば、神棚に供えてある「ぼたもち」のようだと感じています。遠慮から手を出しずらく、「棚ぼた」でもなければ観に行かない、という方もいらっしゃるのではないかと。私は文楽の敷居を下げることなく、皆さんの手の届きやすいところに戻したいとの思いから本を作りました。「神棚に上がっている文楽をもう一度ちゃぶ台に戻したい」。これからも「おはぎ」のように愛される文楽でありたいと思います。

江戸時代の大坂観光の訪問先ベスト3は、四天王寺大坂城阿弥陀池で、明和年間に竹本座の劇団が分裂したとき、初代竹本綱太夫が「竹本義太夫座再興座本」を名乗って興行したのも阿弥陀池、和光寺門前でした。私は木村蒹葭堂の江戸期大坂を中心に一大サロンと文人ネットワークを築いた彼の足跡を辿り、知の交流のあり方を探りたいと思いました。

特筆すべきは、日々彼のもとに集まる知識や情報が、けっして一方的なものではなく、相手の希望に応え、相手のために自分ができることを提供しあう関係であったことです。つまり彼のコレクションは、互いの信頼に基づく互恵のあり方のなかで蓄積されたものであり、18世紀後半の知識人たちは個人としての活動以上に「横のつながり」を大切にしていることがわかります。交友によって結ばれたネットワークは互恵の特徴を持ちつつ、常に情報のやりとりがなされていて、それによって更に強いつながりが生まれて、専門、立場、年齢、そうしたものを超えて、人々が結びつく。だからこそ、新しい知の発展の可能性が生まれるのではないかと、私は気づかされました。

糸井さんが若者言葉の「エモい」という言葉をわかりやすく説明した。糸井さんによると、いつだって言葉は時代とともに変化していて、江戸時代の流行語「」「鯔背」も当時新しく生まれてきた言葉であり、それまであった言葉では俺の気持ちは表せないと思うから、俺の服を着るように俺に似合う言葉を生み出すのだと。ただし、新しい言葉は活きのいいピッチピチな感情をすくうのにいい網。でも、いつも同じ網だと人は飽きてしまう。

その言葉を聞いた人に、意味以上の何かが見えてくる。そうやって伝わるメッセージは意味だけとは限らないところがおもしろく、歌と同じだと。この指摘は、太夫という語りで表現する者として、とても参考になった。

糸井さんは、こうした抽象度の高さはじれったくて、今の時代には受けないかもしれないともいう。「もっと具体的に」の時代では、本当に伝えたいのは言葉では伝えきれない気持ちなのに、「わからせてください」と言われてしまうと、どうしようもない。たとえば海を見たときに「これが海ですよ」と、簡単には言いたくないと思ったときこそが言葉が生まれる瞬間なのだと。

芦田さんも、日本人には空気を読むとか行間を読むとか、表せないものを感じ取る文化があり、言葉じゃない言葉、言葉にならないところの言葉をどう伝えるかが、俳優にとって一番大切だと言う。この二人の言葉は、私に言葉と向き合うことの大切さを教えてくれました。

  • 姜尚美『あんこの本』-ケトル No.49

姜尚美さんの『何度でも食べたい。あんこの本』との出会いは、本屋さんでのジャケ買いである。その表紙の、あんこを牡丹の花びらに見立てた中将堂本舗の「中将餅」。この写真に誘われ、本を手に取ると、贔屓の玉製家さんのおはぎや中村製餡所さんの「あんこ屋さんのもなかセット」や出町ふたばの豆餅など、私の大好物ばかりが紹介されていてすぐに購入しました。著者の姜さんが25歳の頃まであんこが苦手だったということを知り、私自身も文楽に入座してからあんこに開眼したことを思い出しました。

あんこは和菓子の命と言われながら、その発祥や歴史について不明な点が多く、文献もあんこに特化した本は圧倒的に少ないことを知りました。また製法についても「習うより盗め」という世界で、門外不出の風潮が強く、なぜその作業をするのかについても、「祖父の代からこうしているから」という場合も多く、Aの店ではこうしているがBの店ではこうしている。だからこんなに味が違う、という比較を読むにつけ、これは伝統芸能の修業と同じだということに気づかされました。そもそも、あんこの起源は羊肉スープと肉饅頭だそうだ。「あんこ」とは、いわゆる「餡」のこと。本来、「餡」とは、米や麦で作った食物に穴をあけて、その中に詰めるもの全般を指す。つまり、肉でも野菜でも、穴を満たす具はすべて「餡」。日本でその餡をいつから小豆で作るようになったのか、正確なことはわかっていない。今のところ通説とされるのが、「鎌倉時代、宋から帰った禅僧たちが伝えた点心がルーツ」というものだ。「点心」は「てんしん」ではなく「てんじん」と読む。意味は現在と同じで、食事と食事の間に食べる軽食および習慣のこと。この頃に伝えられた数々の点心の中に、あんこが生まれるきっかけとなる羊羹と饅頭があった。

羊羹の「雲」は訓読みで「あつもの」。つまり羊羹はもとは羊肉のスープのことだったのだ。これを中国で見聞きした日本の禅僧たちは帰国後、肉食禁止のため小豆や米、小麦などを粉にして成形して蒸したものに汁をかけて食した。いわゆる精進料理が、長い時間をかけて今の蒸し羊雲のようなものに変わっていき、室町時代には「小豆を煮て皮を取ったもの」に葛粉と砂糖を入れて蒸し上げ、今でいう、こしあんの原型になったと説明がある。姜さんも記しているように、眉ツバなものも含めて、伝説の多さはあんこの歴史の長さ、そしてどれだけ人々に愛されてきたかを物語るバロメーターだ。

この本には、素晴らしい自家製あんを作る店、古くから続く製餡所、吟味した生餡を加工する店、小豆以外の豆を使う店、和菓子屋さん、パン屋さん、雑穀屋さんまでが、等身大の日本のあんこの現在の姿として組み入れている。そして、あんこが苦手だったひとりの人間が、どんどんあんこを好きになっていく未完成の成長記録でもある。私はこの本を読んで、伝統芸能が苦手な人のために、この本のような文楽を紹介する本を作ってみたくなりました。

メッセージ[編集]

戯曲―「戯曲集団」としての人形浄瑠璃[編集]

太夫の語りも、三味線も、すべては戯曲を立体化するための手段にすぎないと僕は思っています。人形浄瑠璃にとって一番大事なのは戯曲であって、つまり「戯曲集団」あるがゆえに、人形浄瑠璃は民衆に愛さ続けて来たわけです。加えて大事なのが、上方で生き続けてきたということ。例えば、文楽の『摂州合邦辻』は、謡曲の『弱法師』や説教節の『しんとく丸』を脚色して作られた作品で、現代では蜷川幸雄さん演出の舞台『身毒丸』にもアレンジされています。さらにもとをたどっていくと、『今昔物語集』にも出てくるアショーカ王の話や、ギリシャ悲劇の『オイディプス王』とも似ているのです。母と息子の結婚や邪恋、盲目、追放、放浪といった共通の要素があり、これらの物語に繋がりがあることを感じます。ギリシャ悲劇がインドに伝わり、シルクロードを通って日本の玄関・摂津国(現在の大阪)の住吉の津に上陸した。そこで上方の芸能に取り込まれて、大阪人が徹底的に人形浄瑠璃化したわけです。俊徳丸や浅香姫などの登場人物の名前も、大阪の地名からとっているということは、地元の人ならすぐに気づくでしょう。

大阪は商業の街。商いをしてなんぼの土地柄なんです。そこでいろんなものを持ち込んでは作り直すという作業が大事になってくる。そもそも人形浄瑠璃は、竹本義太夫が1684年に大阪に竹本座を開いて興行として成立させたわけですが、その発展は、近松門左衛門の出現なしには考えられません。近松が取り入れた合作制度は、新しいドラマツルギー(戯曲の制作手法)を生み出しました。そのコアになったのが「趣向」です。趣向は脚本に変化をもたらし、構成を複雑化させた。事件の展開に意外性を盛り込み、入り組んだ人間関係を構築することで、戯曲はより魅力のあるものになっていきました。やがて義太夫は芸に専念し、浄瑠璃作者でもあった竹田出雲が座本を担当し、近松は座付の浄瑠璃作者として才能を発揮するという三者提携体制が確立していきます。

これは、興行という、システムの進化ですよね。演出面でも、現在の文楽の人形は三人遣いですが、人形浄瑠璃が成立した当初は一人遣いだった。三味線も、伴奏楽器から演出効果楽器になり、三味線の手数や技巧もどんどん工夫され進化した。こうして考えると、人形浄瑠璃が今までたどって来た道はすごく革新的だったんです。同じ戯曲で歌舞伎の趣向が面白いと思ったら、それをまた逆輸入して取り入れてるという例もたくさんありますよ。

文楽の戯曲に不条理な悲劇が多いのは、「人間のあるがままの本質を描いているから」だと思います。浄瑠璃作者は誰かを徹底的に悪人に描いたり、反対に極端な善人に描いたりはしていないんです。「人間というのはこんなもんだ」という普遍的なテーマに、登場人物にふさわしい言葉や行為を用意して、それぞれの人物像について何通りもの解釈ができるようになっている。人間の心というのは複雑で、簡単に理解できるものではない、ということでしょう[44]

戯曲―新作観[編集]

僕自身は、古い戯曲の再構成を含めて、近代や現代の新しい戯曲が、もっとたくさんあって良いんじゃないかと思っているんですよ。というのも、以前、実験公演として浄瑠璃とコンテンポラリーメディア・アートとのセッションをした経験からなんですが。最近は僕のまわりでも、いろんな人達が関わりはじめていて、ボリス・ヴィアン日々の泡』を戯曲化しようなんて話が出てたりもします。

私の新しい戯曲は、『現代草子 伊曽保物語』という作品で、『ジャータカ物語』という5世紀ごろの聖典のなかにある「力ある鷲の慢心」という物語を軸に、『イソップ物語』のいくつかの寓話を入れ込みつつ、日本人が古くから用いてきた変換の法則を僕なりに駆使して構成、脚本化したものです。『イソップ物語』は、日本には1593年にポルトガルの宣教師によって伝えられたのが最初ですが、1659年に挿絵入りで刊行された『仮名草子伊曽保物語』では、キリシタン思想をオブラートに包んで、儒教や仏教に置き換えつつ巧みに教訓を導き出しているんですよ。登場人物や動物も見事に日本のものに差し替えられていて、例えば「蟻とキリギリス」が「蟻と蝉」とかね(笑)。ベースになるものがあって、それを巧みにご当地ものに置き換えていくという、本来日本人が得意としてきたやり方をうまく使って、もっといろんなことができる可能性があると思いますね。[44]

芸ー語る[編集]

「僕は、三味線弾きにとっての「弾きたい太夫ナンバーワン」になりたい。車で例えるなら、ベンツポルシェ……。太夫は、咳払いひとつしてもかっこよくないといけない。それは、高級車のドアを閉める音の響きも、大衆車と違うのと似ています。重みがあって、威厳がある。ぶつかっても壊れない、踏み込んだ時にターボがきく……。三味線弾きはドライバー目線なんです。三味線弾きに「やるな、こいつと思わせたい。車の「ハンドリングがいい」というのは、文楽なら「節回しが華麗」に置き換えられますね。「あんな車に乗りたい」と三味線弾きに思われる太夫でありたい。ドライバーに選ばれる車。「弾いてみたい」太夫が理想です。」[35]

「標準語のアクセントでは(語りに)模様が出ないんです。私も大阪人ですけど、普段から「大阪弁やないとあかん!」と心がけてます(笑)。シャンソンにしても、カンツォーネにしても、日本各地の民謡にしたって、それぞれの土地の言葉だから伝わるものってあると思うんです。」[44]

「いい芸というのは、不安や迷いがない芸。迷いが取り払われるまで稽古して、「私はこれを出します」という自信がないと、お客さまに不安が伝わってしまう。相撲が強くなるには、筋トレではなく四股鉄砲とすり足。それと一緒で、太夫に必要なのはボイストレーニングではない。浄瑠璃の稽古が私を育ててくれるんです。」[36]

イキ―呼吸[編集]

「僕らはマイクは使いません。全てイキ、呼吸。よく「イキを詰める」と言いますが、観劇中に、観客の涙が自然とあふれてくるのは、太夫の呼吸や三味線の鋭い「切っ先」が観客の感情に刺さっているからなんです。お寿司屋さんは、常に包丁を研いでいるでしょう。あれも包丁の切れ味が大事だから。よく「とどめを刺す」と言いますよね。魚が苦しむと味がまずくなるから、殺されたことすらわからないように刺す。文楽で、なぜかわからないけど観客の涙があふれてくるのは、演じ手に、とどめを刺されているわけです。気持ちをえぐられているということ。」[35]

「英国ロイヤル・ナショナル・シアターボイストレーナー、パッツィ・ローデンバーグが書いた「話す権利」というボイストレーニングの本を何度も読み返しています。この本によって、呼吸し声を出して話すことで自分と言葉とのつながりを知り、それを空間へ解き放つ権利をすべての人が持つことを教えられ、そのことがいかに重要で、語ることを職業とする私にとって、呼吸することが人生すべてにかかわるのだということを再認識しました。呼吸は私達が人生の最初と最後にもすることで、人は空気を求めてあえぎながらこの世に生まれ、去っていくのです。どんな感情も呼吸とともに体験され呼吸に現れます。呼吸の中に溜め込まれ、記憶されます。例えば緊迫したニュースをキャスターが報道する時、「世界中が息をのんで見守っています」と言います。それほど大事なことなのに、目には見えないために意識されなかったりします。人が声を使ってコミュニケーションする時、息の一部は音を体の外へ出しますが、呼吸が静かで、深く、規則正しいものであればあるほど体の中心が保て、自分の感情や考えを素直に話すことができます。対照的にストレスがあると、呼吸は胸の上部と肩へ上がり、短く、不規則となってしまいます。よく「息をするのと同じくらい簡単」という言い回しがありますが、文楽の太夫には、浄瑠璃を語る上で力量のない者にとってはたいへん難しく、「登場人物の息」をするように心掛けて語っていると自分の息が吸えなくなってきて、酸欠になりそうになるので、日常から吐く息、吸う息に、意識を持って生活をしています。」[42]

「詞が完全に身体の中に入ってる状態で、勝手に出てくるように、息は勝手に入ってくるんです。息というのは、太夫が語る上でのブレスではなく、登場人物が吸ってる息なのです。だから役が変わると息も変わる。ちゃんとした言葉をしゃべるとかではなく、自分の言葉を好きになることが一番大事なんじゃないですか。それに魂をこめて。」[45]

Amour(愛)[編集]

「文楽にコメディはない。不条理な悲劇的なものばかり。文楽は『愛=素晴らしい!』というのではなく、人間のあるがままの本質を作者は描いている。浄瑠璃の作者は誰かを徹底的に悪人に描いたり、反対に極端に善人に描いたりはしないんです。『弱いところがあるのが人間なんだ!』ということをずっと昔から言っている。だから愛に満ちた幸せな人でも愛で傷ついた人もどちらが見ても楽しめ、共感できるのです。でも…僕は文楽に出てくるような女性は苦手かもしれない。基本的に待たれるのが嫌なので。ものすごい主張をされて振り回される、そんな女性に惹かれます(笑)日本人は決められたルールの中から、新しいことを創造する民族だと思います。縛りが強ければ強いほど、その中から新しい創造を生む。」[15]

愛する地元―大阪ミナミ[編集]

「今から100年ほど前は“大大阪時代”と呼ばれ、経済面でも人口面でも大阪市が東京市よりも隆盛を極めていました。人形浄瑠璃が盛んで街中で浄瑠璃を語られる旦那衆がいたんです。そんな時代のように、“街と浄瑠璃のつながり”をつくるのも私の役目。テレビの教育番組の出演に加えて、大阪の地元の小学校で教えたり、ミナミの商店街のアナウンスをしたりと、地道な活動を続けています。子供たちの生活に浸透することで、文楽が古典芸能という枠でくくられるのではなく自然に認められる未来を願っています。“これから先の100年”を見つめることが大切なのですから」[46]

「遺産」とは生きている文化[編集]

世界遺産」には有形と無形があります。一般的には大自然や建造物を想像し、今の時代の人達とは関係のない遺産が遣っていると考えられがちですが、寺院や神社など、かなり多くの遺産は今も生きている文化です。日本の世界遺産で言えば、私は以前、厳島神社能舞台で文楽を上演させていただいたことがありましたが、水面に浮かぶ境内の美しさに感動しました。これら有形の文化財が、現代まで受け継がれてきましたのも、美しい姿を保ち続けるために、多くの人々の手によって保護されたり修繕が施されたりしてきたからにほかなりません。

2003年、「人形浄瑠璃文楽」が世界無形遺産の傑作として宣言されました。私は、その文楽の浄瑠璃を次世代に伝えるという仕事に就いています。あらゆる文化財が、その価値を維持していくために多くの人々の努力が必要であるように、私の仕事にも同様のことが言えます。

舞台は無形の文化であり、その瞬間にその場所でしか存在しない三次元的で刹那的なものです。例えて言うならば、先人達のどんなに素晴らしい演奏も“氷像”のようなものなのです。いくら素晴らしい形をしていても湿度や温度の変化もあり、そのままの状態で後世に遣すことは難しいことでしょう。また、言い換えれば、その時の生きた空間の創造物、つまり文化はその時の演者、お客様そして先人達の生きていた時代が生み出している刹那的な文化なのです。

メディアが発達し、演奏を記録・保存することが可能になりましたが、いくら素晴らしい演奏でも、それらは二次元的なものでしかあり得ないため、リアルタイムでしか味わえない生きた空間を創ることは難しく、そこにはその時代に生きた人々が使っていた言葉や生活様式が表現されていると言えます。つまり、時代時代によって受けとめられ方が変貌していくのも、文化のあり方なのです。そしてそれは、有形であれ無形であれ、いつの時代でも、人によって伝えられてきたことなのです。だから私は、人によってしか伝えることのできない、生きた文化が絶えることなく、長い時間をかけて先人達が創り上げてきた“氷像”を溶かすことなく次世代に受け継いでもらえるよう、日々精進していきたいと思っております。[47]

受賞歴[編集]

  • 2001年(平成13年) 7月 平成12年度因協会奨励賞[11]
  • 2004年(平成16年) 1月 第32回(平成15年度)文楽協会賞
  • 2006年(平成18年) 3月 平成17年度大阪舞台芸術新人賞
  • 2007年(平成19年) 4月 第35回(平成18年度)文楽協会賞
  • 2007年(平成19年) 4月 第26回(平成18年度)国立劇場文楽賞文楽奨励賞
  • 2009年(平成21年) 2月 十三夜会賞
  • 2009年(平成21年) 4月 第28回(平成20年)国立劇場文楽賞文楽奨励賞
  • 2009年(平成21年) 9月 大阪文化祭賞奨励賞
  • 2011年(平成23年) 1月 十三夜会賞
  • 2011年(平成23年) 2月 平成22年度咲くやこの花賞
  • 2011年(平成23年) 6月 十三夜会賞奨励賞
  • 2013年(平成25年) 3月 第34回松尾芸能賞新人賞
  • 2013年(平成25年) 9月 平成25年度大阪文化祭賞グランプリ
  • 2018年(平成30年) 1月 2017年関西元気文化圏賞ニューパワー賞
  • 2018年(平成30年) 1月 十三夜会賞
  • 2019年(平成31年) 4月 第38回(平成30年度)国立劇場文楽賞文楽優秀賞

著書・連載[編集]

著書[編集]

連載[編集]

舞台出演[編集]

1986年(昭和61年)

3月 傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段(おつる) ※若手向上素浄瑠璃の会

1993年(平成5年)

6月 団子売  ※文楽鑑賞教室

7月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段

9月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段

11月 二人禿

12月 面売り

1994年(平成6年)

1月 花競四季寿 万才・海女・関寺小町・鷺娘

2月 長町女腹切 おはな半七 道行

4月 妹背山女庭訓 道行恋苧環

6月 伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段 ※文楽鑑賞教室

7月 曾根崎心中 天神森の段

9月 芦屋道満大内鑑 大内の段

11月 仮名手本忠臣蔵 鶴ヶ岡兜改めの段 祇園一力茶屋の段(仲居)

12月 日高川入相花王 渡し場の段

1995年(平成7年)

1月 寿柱立万歳

2月 平家女護島 舟路の道行より敷名の浦の段

4月 鳴響安宅新関 勧進帳の段(番卒)

5月 生写朝顔話 宇治川蛍狩りの段、鳴響安宅新関 勧進帳の段(番卒)

6月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段 ※文楽鑑賞教室

7月 まんだが池物語 野道の段

9月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段

11月 団子売

12月 奥州安達原 朱雀堤の段(久助・家来)

1996年(平成8年)

1月 七福神宝の入船 (毘沙門)、伽羅先代萩 竹の間の段(腰元)

2月 信州川中島合戦 輝虎配膳の段(柿崎)、心中天網島 道行名残の橋づくし

4月 芦屋道満大内鑑 大内の段

5月 義経千本桜 道行初音旅

6月 寿柱立万歳  ※文楽鑑賞教室

7月 冥途の飛脚 道行相合かご

9月 菅原伝授手習鑑 加茂堤の段

11月 菅原伝授手習鑑 加茂堤の段

12月 仮名手本忠臣蔵 鶴ヶ岡兜改めの段 城明渡しの段

1997年(平成9年)

1月 連獅子

2月 雙生隅田川 狂女道行

4月 義経千本桜 仙洞御所の段

5月 義経千本桜 仙洞御所の段

6月 伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段 ※文楽鑑賞教室

7月 雪狐々姿湖 崑山の秋(左コン)

9月 嬢景清八嶋日記 花菱屋の段(遊君)

11月 二人禿

12月 仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の段(力弥)(仲居)

12月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段 ※文楽鑑賞教室

1998年(平成10年)

1月 良弁杉由来 志賀の里の段(腰元)

2月 曾根崎心中 天神森の段、今宮の心中 瓦町橋浜際の段(侍)

4月 寿柱立万歳

5月 伊賀越道中双六 和田行家屋敷の段 口 藤川新関の段 引抜き 団子売

6月 釣女 (美女) ※文楽鑑賞教室

6月 傾城阿波の鳴門 十郎兵衛住家の段 口 ※文楽鑑賞教室

7月 大江山の鬼退治 頼光山入りの段

9月 きぬたと大文字、生写朝顔話 宇治川蛍狩りの段(鹿内)

11月 仮名手本忠臣蔵 鶴ヶ岡兜改めの段 城明渡しの段

12月 仮名手本忠臣蔵 光明寺焼香の段(十太郎・諸士)

1999年(平成11年)

1月 奥州安達原 朱雀堤の段(六)

2月 鑓の権三重帷子 伏見京橋妻敵討の段(甚平)、夕霧阿波鳴渡 扇屋内の段(医者梅庵)

4月 妹背山女庭訓 小松原の段(采女) 道行恋苧環

5月 妹背山女庭訓 小松原の段(采女) 道行恋苧環

6月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段 ※文楽鑑賞教室

6月 傾城恋飛脚 新口村の段 口 ※文楽鑑賞教室

7月 曾根崎心中 天神森の段

9月 ひらかな盛衰記 大津宿屋の段(亭主)

11月 平家女護島 六波羅の段(上臈)

12月 加賀見山旧錦絵 草履打ちの段(腰元)

12月 伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段 ※文楽鑑賞教室

2000年(平成12年)

1月 一谷嫰軍記 陣門の段(軍兵)

2月 源平布引滝 竹生島遊覧の段(宗盛)、面売り

4月 契情倭荘子 蝶の道行

5月 伽羅先代萩 竹の間の段(鶴喜代君)

6月 団子売  ※文楽鑑賞教室

6月 壺坂観音霊験記 土佐町松原の段 ※文楽鑑賞教室

7月 国言詢音頭 大川の段(菊野)

9月 仮名手本忠臣蔵 道行旅路の嫁入 花水橋引揚の段

11月 双蝶々曲輪日記 難波裏喧嘩の段(吾妻)

12月 彦山権現誓助剣 須磨浦の段(弥三松) 杉坂墓所の段 口

2001年(平成13年)

1月 伽羅先代萩 竹の間の段(千松)

2月 国姓爺合戦 千里が竹虎狩りの段(老一官)、心中宵庚申 道行思ひの短夜

4月 加賀見山旧錦絵 草履打の段(腰元)

5月 玉藻前曦袂 清水寺の段(腰元)

6月 二人三番叟  ※文楽鑑賞教室

6月 伽羅先代萩 竹の間の段(鶴喜代君) 御殿の段 後 ※文楽若手会

7月 鳴響安宅新関 勧進帳の段(常陸坊)、夏祭浪花鑑 釣船三婦内の段 アト

9月 本朝廿四考 武田信玄館の段 道行似合の女夫丸

11月 本朝廿四考 諏訪明神百度石の段(蓑作) 武田信玄館の段

12月 妹背山女庭訓 姫戻りの段

2002年(平成14年)

1月 寿柱立万歳

2月 奥州安達原 朱雀堤の段(瓜割)、堀川波の鼓 京堀川妻敵討の段(おゆら)

4月 菅原伝授手習鑑 車曳の段(桜丸)

5月 菅原伝授手習鑑 車曳の段(桜丸)

6月 曾根崎心中 天神森の段(徳兵衛) ※文楽鑑賞教室

6月 菅原伝授手習鑑 車曳の段(杉王丸) 寺子屋の段 前 ※文楽若手会

7月 舌切雀 (爺善兵衛)、薫樹累物語 豆腐屋の段(高尾の亡霊・講中)

9月 心中天網島 道行名残の橋づくし(治兵衛)

11月 鬼一法眼三略巻 清盛館兵法の段(広盛)

12月 仮名手本忠臣蔵 腰元おかる文使いの段

12月 仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の段(弥五郎) ※文楽鑑賞教室

2003年(平成15年)

1月 花競四季寿 万才・海女・関寺小町・鷺娘、壺坂観音霊験記 土佐町松原の段

2月 妹背山女庭訓 道行恋苧環(椿姫)

4月 妹背山女庭訓 小松原の段(小菊) 蝦夷子館の段 口

5月 七福神宝の入船 (恵比寿)、鳴響安宅新関 勧進帳の段(常陸坊)

6月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段(牛若丸) ※文楽鑑賞教室

6月 面売り (案山子) ※文楽若手会

7月 西遊記エピソード1 水簾洞の段 閻魔王宮の段 桃薗の段 釜煮の段 雲上の段 五行山麓の段

7月 女殺油地獄 徳庵堤の段(小菊)

9月 義経千本桜 小金吾討死の段(内侍)

11月 鑓の権三重帷子 浜の宮馬場の段(乳母) 五十年忌歌念仏 笠物狂の段

12月 夏祭浪花鑑 釣船三婦内の段 アト ※文楽鑑賞教室

2004年(平成16年)

1月 染模様妹背門松 生玉の段、良弁杉由来 桜宮物狂いの段

2月 曾根崎心中 天神森の段

4月 義経千本桜 道行初音旅

5月 妹背山女庭訓 小松原の段(雛鳥) 道行恋苧環

6月 菅原伝授手習鑑 寺入りの段 ※文楽鑑賞教室

6月 二人三番叟 (三番叟)、 義経千本桜 椎の木の段 奥 ※文楽若手会

7月 きぬたと大文字

9月 双蝶々曲輪日記 難波裏喧嘩の段(長吉)

11月 仮名手本忠臣蔵 下馬先進物の段 仮名手本忠臣蔵 光明寺焼香の段(力弥)

12月 菅原伝授手習鑑 道行詞甘替(苅屋姫) 喧嘩の段

2005年(平成17年)

1月 七福神宝の入船 (恵比寿)

2月 源平布引滝 竹生島遊覧の段(小まん) ※代演、団子売

4月 艶容女舞衣 道行霜夜の千日

5月 桂川連理柵 道行朧の桂川(長右衛門)

6月 団子売 (お臼) ※文楽鑑賞教室

6月 傾城恋飛脚 新口村の段 口 ※文楽鑑賞教室

6月 傾城恋飛脚 新口村の段 前 ※文楽若手会

7月 小鍛冶 (道成)

9月 女殺油地獄 徳庵堤の段(大尽蝋九) 河内屋内の段 中

11月 本朝廿四考 諏訪明神百度石の段(濡衣) 桔梗原の段 口

12月 一谷嫰軍記 須磨浦の段

2006年(平成18年)

1月 寿式三番叟、妹背山女庭訓 道行恋苧環(求馬)

2月 曾根崎心中 天神森の段(徳兵衛)

4月 菅原伝授手習鑑 車曳の段(桜丸)

5月 ひらかな盛衰記 松右衛門内より逆櫓の段 中

6月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段(牛若丸) ※文楽鑑賞教室

6月 新版歌祭文 野崎村の段 中 ※文楽鑑賞教室

6月 新版歌祭文 野崎村の段 前 ※文楽若手会

7月 連獅子 (雌獅子)

9月 仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の段(喜多八) 雪転しの段

11月 紅葉狩 (維茂)

12月 義経千本桜 渡海屋・大物浦の段 口 中

2007年(平成19年)

1月 壺坂観音霊験記 土佐町松原の段

2月 妹背山女庭訓 道行恋苧環(求馬) 入鹿誅伐の段

4月 玉藻前曦袂 清水寺の段(采女之助)

5月 絵本太功記 妙心寺の段 口

6月 寿柱立万歳 (才三) ※文楽鑑賞教室

6月 仮名手本忠臣蔵 身売りの段 ※文楽鑑賞教室

6月 御所桜堀川夜討 弁慶上使の段(信夫) ※文楽若手会

7月 契情倭荘子 蝶の道行(助国)

9月 夏祭浪花鑑 住吉鳥居前 口

11月 曾根崎心中 天神森の段

12月 信州川中島合戦 輝虎配膳の段(直江)、新版歌祭文 座摩社の段(久松)

2008年(平成20年)

1月 七福神宝の入船 (布袋)

2月 義経千本桜 道行初音旅(忠信)

2月 義経千本桜 河連法眼館の段 ※義太夫節に親しむ会

4月 競伊勢物語 春日村の段 中、日吉丸稚桜 駒木山城中の段 中

5月 狐と笛吹き その一 春のおぼろ その四 冬の寒灯 その五 雪の深山 その六 雪の湖

6月 絵本太功記 夕顔棚の段 ※文楽鑑賞教室

6月 生写朝顔話 宿屋の段 ※文楽若手会

7月 西遊記~悟空の冒険~ 祇園精舎の段

7月 鑓の権三重帷子 岩木忠兵衛屋敷の段 伏見京橋妻敵討の段(権三) ※代演:20~22日

9月 奥州安達原 環の宮明御殿の段 中 道行千里の岩田帯

11月 恋娘昔八丈 城木屋の段 前

12月 源平布引滝 九郎助内の段 後

12月 菅原伝授手習鑑 寺入りの段 ※文楽鑑賞教室

2009年(平成21年)

1月 花競四季寿 万才・海女・関寺小町・鷺娘、曲輪文章 吉田屋の段、新版歌祭文 油屋の段※代演

2月 鑓の権三重帷子 伏見京橋妻敵討の段(権三)、敵討檻褸錦 春藤屋敷出立の段 中 大安寺堤の段※代演

4月 義経千本桜 渡海屋・大物浦の段 中

5月 ひらかな盛衰記 奥座敷の段

6月 二人三番叟 ※文楽鑑賞教室

6月 傾城恋飛脚 新口村の段 前 ※文楽鑑賞教室

6月 一谷嫰軍記 熊谷陣屋の段 前 ※文楽若手会

7月 生写朝顔話 嶋田宿笑い薬の段 中

7月 天変斯止嵐后晴 第六 元の森の中 第七 元の窟の中(春太郎・珍才・英理彦・権左衛門)

9月 天変斯止嵐后晴 第六 元の森の中 第七 元の窟の中(春太郎・珍才・英理彦・権左衛門)

10月 芦屋道満大内鑑 加茂館の段 口、近江源氏先陣館 和田兵衛上使の段

12月 仮名手本忠臣蔵 殿中刃傷の段(判官) ※文楽鑑賞教室

2010年(平成22年)

1月 伽羅先代萩 竹の間の段(八汐)

2月 花競四季寿 万才・海女・関寺小町・鷺娘

4月 妹背山女庭訓 万歳の段 道行恋苧環(橘姫)

5月 新版歌祭文 油屋の段 中

6月 団子売 (お臼) ※文楽鑑賞教室

6月 ひらかな盛衰記 逆櫓の段 ※文楽鑑賞教室

6月 妹背山女庭訓 金殿の段 ※文楽若手会

7月 日本振袖始 大蛇退治の段(稲田姫)

9月 良弁杉由来 桜宮物狂いの段、鰯売恋引網 五條橋の段

10月 一谷嫰軍記 須磨浦の段

12月 三十三間堂棟由来 鷹狩の段(平太郎) 平太郎住家より木遣り音頭の段 ※文楽鑑賞教室

2011年(平成23年)

1月 寿式三番叟 (三番叟)、染模様妹背門松 油屋の段 中

2月 菅原伝授手習鑑 道行詞甘替(苅谷姫)

2月 義経千本桜 道行初音旅(忠信)

4月 源平布引滝 糸つむぎの段、艶容女舞衣 道行露夜の千日(半七)

5月 源平布引滝 糸つむぎの段、生写朝顔話 明石浦船別れの段(深雪)

6月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段(牛若丸) ※文楽鑑賞教室

6月 仮名手本忠臣蔵 身売りの段 ※文楽鑑賞教室

6月 源平布引滝 九郎助住家の段 前 ※文楽若手会

7月 舌切雀 (婆お竹)、心中宵庚申 道行思ひの短夜(半兵衛)

9月 ひらかな盛衰記 松右衛門内より逆櫓の段 中

10月 鬼一法眼三略巻 五條橋の段(弁慶)

12月 奥州安達原 外が浜の段 奥

2012年(平成24年)

1月 義経千本桜 河連法眼館の段 中

2月 彦山権現誓助剣 毛谷村の段 中、義経千本桜 椎の木の段※代演

2月 日本振袖始 大蛇退治の段(稲田姫)

4月 加賀見山旧錦絵 又助住家の段 中、桂川連理柵 道行朧の桂川(お半)

5月 八陣守護城 主計之介早討の段、壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段(岩永)

6月 菅原伝授手習鑑 寺子屋の段 後 ※文楽鑑賞教室

6月 義経千本桜 すしやの段 中 ※文楽若手会

7月 鈴の音 、曾根崎心中 天神森の段(徳兵衛)

9月 冥途の飛脚 道行相合かご(梅川)

11月 仮名手本忠臣蔵 裏門の段 道行旅路の嫁入(戸無瀬)

12月 傾城恋飛脚 新口村の段 前

12月 靭猿 (猿曳) ※文楽鑑賞教室

2013年(平成25年)

1月 寿式三番叟 (三番叟)、団子売 (お臼)

2月 摂州合邦辻 合邦庵室の段 中、妹背山女庭訓 姫戻りの段

4月 釣女 (大名)、心中天網島 天満紙屋内より大和屋の段 口

5月 曾根崎心中 天神森の段(徳兵衛)

6月 日高川入相花王 渡し場の段(清姫) ※文楽鑑賞教室

6月 絵本太功記 尼ヶ崎の段 前 ※文楽鑑賞教室

6月 絵本太功記 尼ヶ崎の段 後 ※文楽若手会

7月 妹背山女庭訓 道行恋苧環(求馬)、妹背山女庭訓 金殿の段 ※代演:27日

9月 伊賀越道中双六 誉田家大広間の段 藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳(お袖)

11月 伊賀越道中双六 誉田家大広間の段 藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳(お袖)

12月 団子売 (杵造) ※文楽鑑賞教室

12月 大塔宮曦鎧 六波羅蜜館の段 奥

2014年(平成26年)

1月 二人禿 、壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段(岩永)

2月 近頃河原の達引 四条河原町の段(久八)、染模様妹背門松 油店の段 中

4月 菅原伝授手習鑑 東天紅の段 喧嘩の段

5月 恋女房染分手綱 坂の下の段(慶政)、鳴響安宅新関 勧進帳の段(義経)

6月 三十三間堂棟由来 鷹狩の段 ※文楽鑑賞教室

7月 かみなり太鼓 、女殺油地獄 徳庵堤の段

9月 近江源氏先陣館 和田兵衛上使の段、不破留寿之太夫

10月 楠昔話 碪拍子の段 ※文楽素浄瑠璃の会

11月 奥州安達原 朱雀堤の段 一つ家の段

12月 伽羅先代萩 竹の間の段(政岡)

12月 絵本太功記 尼ヶ崎の段 前 ※文楽鑑賞教室

2015年(平成27年)

1月 彦山権現誓助剣 毛谷村の段 中、冥途の飛脚 道行相合かご(忠兵衛)

2月 摂州合邦辻 合邦庵室の段 ※若手素浄瑠璃の会

2月 天網島時雨炬燵 紙屋内の段 中、国姓爺合戦 紅流しより獅子が城の段

4月 靭猿 (猿曳)、天網島時雨炬燵 紙屋内の段 中

5月 祇園祭礼信仰記 金閣寺の段、桂川連理柵 道行朧の桂川(長右衛門)

6月 曾根崎心中 生玉社前の段 天神森の段(お初) ※文楽鑑賞教室

7月 ふしぎな豆の木 (本若丸)、生写朝顔話 薬売りの段

9月 伊勢音頭恋寝刃 奥庭十人斬りの段

9月 妹背山女庭訓 杉酒屋の段

10月 碁太平記白石噺 浅草雷門の段 奥※代演、玉藻前曦袂 神泉苑の段 奥 化粧殺生石の段

12月 三十三間堂棟由来 鷹狩の段 ※文楽鑑賞教室

12月 奥州安達原 朱雀堤の段

2016年(平成28年)

1月 釣女 (醜女)、国姓爺合戦 楼門の段

2月 信州川中島合戦 輝虎配膳の段 奥

4月 妹背山女庭訓 妹山背山の段(雛鳥) 杉酒屋の段※代演 道行恋苧環(求馬)

5月 絵本太功記 本能寺の段 奥

6月 夏祭浪花鑑 釣船三婦内の段 奥 長町裏の段(団七) ※文楽鑑賞教室

7月 新編西遊記GO WEST! 第一景 布金禅寺の裏庭 第二景 王城広場へ向かう道 第三景 王城広場 第四景 城中謁見の間 第五景 山 第六景 布金禅寺の裏庭

7月 薫樹累物語 埴生村の段 中

8月 楠昔話 碪拍子の段 ※文楽素浄瑠璃の会

9月 一谷嫰軍記 組討の段、寿式三番叟 (三番叟)

10月 花上野誉碑 志渡寺の段 前、鳴響安宅新関 勧進帳の段(富樫)

12月 仮名手本忠臣蔵 身売りの段 祇園一力茶屋の段(平右衛門) ※文楽鑑賞教室

1月 奥州安達原 環の宮明御殿の段 次

2017年(平成29年)

1月 染模様妹背門松 油店の段 中

2月 平家女護島 舟路の道行より敷名の浦の段(清盛)、曾根崎心中 天神森の段(徳兵衛)、冥途の飛脚 淡路町の段 口※代演

4月 楠昔話 碪拍子の段、曾根崎心中 天神森の段(徳兵衛)

5月 加賀見山旧錦絵 又助住家の段 中 廊下の段

6月 仮名手本忠臣蔵 殿中刃傷の段 ※文楽鑑賞教室

7月 源平布引滝 義賢館の段 奥、夏祭浪花鑑 長町裏の段(団七)

9月 玉藻前曦袂 神泉苑の段 奥 化粧殺生石の段

11月 八陣守護城 主計之介早討の段

12月 ひらかな盛衰記 笹引の段

2018年(平成30年)

1月 摂州合邦辻 合邦住家の段 後 ※六代目竹本織太夫襲名披露

2月 摂州合邦辻 合邦住家の段 後 ※六代目竹本織太夫襲名披露

4月 本朝廿四考 景勝下駄の段、義経千本桜 道行初音旅(忠信)

5月 本朝廿四考 景勝下駄の段、義経千本桜 道行初音旅(忠信)

6月 絵本太功記 尼ヶ崎の段 後 ※文楽鑑賞教室

7月 日本振袖始 大蛇退治の段(岩長姫)

9月 夏祭浪花鑑 道行妹背の走書(磯之丞) 長町裏の段(団七)

10月 嬢景清八嶋日記 日向嶋の段 ※文楽素浄瑠璃の会

11月 桂川連理柵 道行朧の桂川(お半)

12月 鎌倉三代記 高綱物語の段

2019年(令和元年)

1月 伽羅先代萩 竹の間の段 政岡忠義の段※代演:3~19日、壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段(重忠)

2月 桂川連理柵 道行朧の桂川(お半)、壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段(重忠)

4月 祇園祭礼信仰記 金閣寺の段

5月 妹背山女庭訓 万歳の段 妹山背山の段(雛鳥)

6月 菅原伝授手習鑑 寺子屋の段 前 ※文楽鑑賞教室

7月 かみなり太鼓、国言詢音頭 五人伐の段 中

9月 嬢景清八嶋日記 花菱屋の段

10月 双蝶々曲輪日記 引窓の段 ※文楽素浄瑠璃の会

11月 心中天網島 北新地河庄の段 中、仮名手本忠臣蔵 道行旅路の嫁入(戸無瀬)

12月 一谷嫰軍記 熊谷陣屋の段 前

2020年(令和2年)

1月 曲輪文章 吉田屋の段(夕霧)、加賀見山旧錦絵 長局の段 後

2月 新版歌祭文 野崎村の段 前、鳴響安宅新関 勧進帳の段(富樫)

9月 鑓の権三重帷子 浅香市之進留守宅の段 数寄屋の段※代演: 8日~13日

10月 菅原伝授手習鑑 寺子屋の段 ※文楽素浄瑠璃の会

テレビ出演[編集]

にほんごであそぼNHK Eテレ)2005年よりレギュラー出演[5]

豊竹咲甫太夫時代[編集]
竹本織太夫時代[編集]

その他[編集]

ラジオ出演[編集]

演奏出演[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
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