竹内時男

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竹内 時男(たけうち ときお、1894年明治27年)10月26日 - 1944年昭和19年)4月24日)は、日本の物理学者。

人物[編集]

1894年(明治27年)10月26日、石川県金沢市生まれ。1918年大正7年)に東京帝国大学理科大学を卒業後、三菱造船技師を経て東京高等工業学校講師となる[1]。1928年から1930年にかけて渡欧し、フランス滞在中はルイ・ド・ブロイのもとで量子力学を研究する[2][3] 。帰国後は東京工業大学にて助教授を務めた[1]1944年(昭和19年)4月24日、都内の病院にて脊髄カリエスのため死去[4]

業績[編集]

物理的宇宙論[編集]

1930年代に宇宙論の研究を行う。光速が時間とともに遅くなると仮定することにより、宇宙膨張以外のハッブル=ルメートルの法則の解釈を与えた[5]。また、ビッグバン宇宙モデルの問題である初期特異点を回避するため、永遠に振動する相対論的宇宙モデルを提唱した[6]。これらの論文は宇宙論研究者の間でもほとんど知られておらず、出版後70年以上たってデンマーク科学史ヘルゲ=クラーウによって発見された[7][8]

科学コミュニケーション[編集]

外国語で書かれた最新の文献をいち早く理解する能力に長けており、新聞記事や一般向け書籍などで非専門家向けの解説を多く書いた[9]

参考文献[編集]

  1. ^ a b 昭和人名辞典. 東京: 日本図書センター. (1987). ISBN 4820506935 
  2. ^ 竹内時男. “総力戦は科学戦 ドイツの先覚に学べ”. 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫, 大阪毎日新聞 1939.6.5-1939.6.16. 2020年3月7日閲覧。
  3. ^ 竹内時男. “パリの諸研究所”. 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫, 中外商業新報 1935.11.17-1935.11.19. 2020年3月7日閲覧。
  4. ^ “竹内時男氏死去”. 読売新聞. (1944年4月27日) 
  5. ^ Takeuchi, Tokio (1931). “Über die Abnahme der Lichtgeschwindigkeit”. Zeitschrift für Physik 69 (11-12): 857-858. Bibcode1931ZPhy...69..857T. doi:10.1007/BF01339470. 
  6. ^ Takeuchi, Tokio (1931). “On the Cyclic Universe”. Proceedings of the Physico-Mathematical Society of Japan 13 (6): 166-177. doi:10.11429/ppmsj1919.13.6_166. 
  7. ^ Kragh, Helge (2006). “Cosmologies with varying speed of light: A historical perspective”. Studies in History and Philosophy of Modern Physics 37 (4): 726-737. Bibcode2006SHPMP..37..726K. doi:10.1016/j.shpsb.2006.04.004. 
  8. ^ Kragh, Helge (2011). “Early dynamical world models: A historical review”. 260. pp. 182-188. doi:10.1017/S1743921311002262 
  9. ^ “座談会「数物学会の分離と二つの科学」”. 日本物理学会誌 51 (1). https://www.jps.or.jp/books/50thkinen/50th_01/011.html.