竹内新平
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竹内 新平(たけうち しんぺい、1894年5月7日 - 1945年4月1日)は、大正・昭和期の大蔵官僚。
静岡県相良町(現牧之原市)出身。東京帝国大学法学部独法科卒業後、大蔵省に入省し、主税局勤務を振り出しに長野税務署長、高崎税務署長、大阪北税務署長などを歴任。阿波丸事件で遭難死した。
経歴
[編集]- 1929年 大阪税務監督局経理部長。
- 1931年 東京税務監督局間税部長。
- 1934年 英仏駐在財務官(理財局勤務)としてロンドン駐在。
- 1936年 帰朝。銀行検査官兼大蔵事務官。
- 1937年 主税局経理課長兼特別調査課長。
- 1939年 興亜院華北連絡部経済第一局長。
- 1940年 大蔵省理財局長。
- 1942年 対満事務局次長、大東亜省総務局長。
- 1944年 大東亜次官。
- 1945年 南方諸国歴訪の帰途、阿波丸事件にて遭難死。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[1]
文献
[編集]- 山本吾朗『楽山随想 竹内新平先生伝』昭和61年、相良史蹟調査会。
脚注
[編集]- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
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