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竹下慎太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹下 慎太郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県大分市
生年月日 (1971-07-10) 1971年7月10日(53歳)
身長
体重
186 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト8位
初出場 2001年3月30日
最終出場 2003年8月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

竹下 慎太郎(たけした しんたろう、1971年7月10日 - )は、大分県大分市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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プロ入り前

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小学4年の時に野球を始める[1]大分工業高時代の甲子園出場はならなかったが、3年夏の大分県大会でベスト8入りを果たした。エースピッチャーだが当時の背番号は3だった[1]

高校卒業後は、社会人野球三菱自動車川崎に入社するが退団[1]。その後、郷里の大分に戻り、クラブチーム大分硬式野球倶楽部で野球を続けた[1]

右足を高く上げて始動するフォームから、140km/hを超える速球と「まともに打たれたことはない」と豪語するほどの切れを誇るスライダーを投げ下ろした。年を追って制球力も安定し、大分硬式野球倶楽部の左腕エースとして活躍した。自チームでの都市対抗野球大会出場は叶わなかったが、1999年2000年には三菱重工長崎の補強選手として出場し、それぞれ準優勝、ベスト8に貢献した[1]

また、三菱自動車川崎時代にも同大会で登板している。

2000年プロ野球ドラフト会議横浜ベイスターズから8位指名を受け、29歳・妻子連れでの入団を決めた[1]。29歳4ヶ月でのドラフト指名は市村則紀(30歳5ヶ月)に続く高齢入団として話題となった[1]。この年のドラフト1位・内川聖一は高校の後輩であり、チームメイトとなった。

プロ入り後

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8位指名ながらも即戦力として期待され、中継ぎ・ワンポイントリリーフとして多く起用された。また、プロ入りの際に左打者対策として投球フォームをスリー・クォーターにしたのも吉と出た。

1年目の2001年には53試合、翌2002年も44試合に登板した。読売ジャイアンツ松井秀喜とは相性が悪く、2年間で15打数7安打5本塁打と苦手にしていた。

しかし、2003年は監督交代に自身の怪我も重なって登板数が激減し(14試合)、同年オフに金銭トレードで阪神タイガースに移籍した。

2004年は一軍昇格ならずまたも故障し、再度の一軍登板を果たせぬまま10月6日に戦力外通告を受けた[2]

引退後

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2006年から横浜のスカウト(九州担当)を務めたが、球団の常駐スカウトを置かないという方針転換を受けて2007年オフに退団。

退団後は福岡市内で治療院を経営している[3]。また、2015年春から西南学院大学野球部の投手コーチに就任した[3]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2001 横浜 53 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 189 42.2 49 6 17 0 1 29 0 0 21 15 3.16 1.55
2002 44 0 0 0 0 2 3 0 -- .400 175 39.1 43 5 15 3 3 43 2 0 23 21 4.81 1.47
2003 14 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 50 11.2 12 2 3 0 1 12 2 0 4 3 2.31 1.29
通算:3年 111 0 0 0 0 3 3 0 -- .500 414 93.2 104 13 35 3 5 84 4 0 48 39 3.75 1.48

記録

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  • 初登板:2001年3月30日、対ヤクルトスワローズ1回戦(横浜スタジアム)、6回表に3番手で救援登板、2回無失点
  • 初奪三振:2001年4月21日、対読売ジャイアンツ5回戦(横浜スタジアム)、6回表に松井秀喜から空振り三振
  • 初勝利:2001年6月13日、対ヤクルトスワローズ11回戦(横浜スタジアム)、5回表に2番手で救援登板、1回2/3を2失点

背番号

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  • 54 (2001年 - 2003年)
  • 52 (2004年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、330ページ
  2. ^ 「阪神が4投手に戦力外通告」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)10月7日付朝刊、22面(スポーツ面)。
  3. ^ a b 西南大55年ぶりV 九州六大学野球”. 読売新聞 (2015年5月26日). 2015年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月26日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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