立野記代

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立野 記代
立野 記代の画像
全盛期の立野記代
プロフィール
リングネーム 立野 記代
本名 立野 記代
ニックネーム 女子プロレス界の聖子ちゃん
身長 164cm
体重 75kg
誕生日 (1965-12-01) 1965年12月1日(52歳)
出身地 栃木県足利市
所属 全日本女子プロレス
LLPW
スポーツ歴 陸上
デビュー 1981年7月12日
対坂本一恵戦
引退 2010年10月10日
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立野 記代(たての のりよ、1965年12月1日 - )は、日本の元女子プロレスラー栃木県足利市出身。

所属[編集]

経歴・戦歴[編集]

アイドルレスラーであり、「女子プロレス界の聖子ちゃん」と呼ばれていた。同期の山崎五紀とのタッグチームジャンピング・ボム・エンジェルスでWWF(現:WWE)にも参戦。WWFではメインも務めた。

  • 1981年全日本女子プロレス入団。デビュー戦は同年7月12日、地元足利市民体育館興行での対坂本一恵戦である。同年の新人王決定トーナメントでは準優勝。一年先輩のライオネス飛鳥ダンプ松本とは入団当時から全女の寮でルームメイトで特に仲が良かったと語っており、寮を出てからも暫くは3人で共同生活をするほどの仲良しだったという。ダンプからは『記さん』と呼ばれて現在でも仲が良く、彼女のブログにもよく登場する。
  • 1982年8月10日、福島市体育館で長与千種の保持する全日本ジュニア王座に挑戦。大方の予想を覆し、強引な押さえ込みでベルトを奪取した。フジテレビの担当ディレクターは「お前には無理。勝ったら10万円やる」とうそぶいてしまったため、本当に10万円を立野に贈呈したという逸話も残っている。以降順調に4度の防衛を重ねたが、1984年正月、数年前のトラウマの払拭に臨んだ長与のハーフハッチの前に陥落。王座を明け渡した。長与はその場で王座を返上している。
  • 1986年1月、長与千種の膝負傷で返上となったクラッシュギャルズWWWA世界タッグ王座を、山崎五紀とのコンビでブル中野コンドル斉藤と争い、新王者に。WWWA世界タッグ王座は、復活したクラッシュギャルズにすぐ奪い返されたが、引き続きクラッシュの有力な対抗馬として、会社側からのプッシュを受ける。
  • 3月にはチーム名を“JBエンジェルス”と正式決定し、CBSソニーよりレコードデビュー。「CHANCE×3」、「青春のエンブレム」、「星屑のダンス天国」の3枚のシングルと、アルバム「ファーストフライト」をリリース。TBSのちょっとHな学園ドラマ「夏・体験物語2」にレギュラー出演した。また個人で、週刊プレイボーイ誌のグラビアにも起用されたこともある。
  • 1991年に一旦引退し、全女のビデオ解説や、全女が経営していたカラオケボックスの店長をしていたが、1992年LLPW旗揚げに参加とともに現役復帰。
  • 2010年7月に、所属していたLLPWを『会社として機能していない』という理由で退団した。さらに病を患ったことを理由に10月に行われる自主興行で引退することが発表された。
  • 2010年10月10日、新宿FACEにてプロレスリングWAVE協力の下「立野記代30周年&現役引退興行 〜ファイナルネックブリーカー〜」開催。メインイベントでLLPW時代の同僚GAMIと組み、同じくLLPW時代の同僚ハーレー斉藤、GAMIの愛弟子で立野同様北米でも活躍している栗原あゆみとタッグマッチを行った。試合は立野が栗原のリフトクラッチ式の変形裏投げにより3カウントを取られた。
  • 引退後は現役時代より親友のハーレー斉藤と共同経営しているバーの仕事に専念していたが、ハーレーの逝去後には一人で切り盛りしている。

得意技[編集]

入場テーマ曲[編集]

  • Wild & Mild(若手時代に使用。元々は佐藤ちののテーマ曲)
  • Heart Beat

獲得タイトル歴[編集]

テレビドラマ[編集]

  • 新大江戸捜査網 第22話「恐怖! 妖女軍団」(1984年9月1日、テレビ東京) - おたき

関連項目[編集]