立川志らら
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![]() 丸に左三蓋松は、立川流の定紋である | |
本名 | |
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生年月日 | 1973年6月26日(47歳) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 立川志らく |
名跡 | 1. 立川志らら(1997年 - ) |
出囃子 | 匂艶 THE NIGHT CLUB |
活動期間 | 1997年 - |
活動内容 | 落語家 ラジオパーソナリティ |
所属 | 落語立川流 |
立川 志らら(たてかわ しらら、1973年6月26日 - )は落語立川流の落語家。本名、柴田 賢二(しばた けんじ)。神奈川県出身。桐蔭学園高校卒業[1]、専修大学中退。
在学時は落語研究会に所属(前座・二ツ目名:松竹亭御偉山、真打名:三代目松竹亭かぐや姫)。立川談修の2年後輩に当たる。
経歴[編集]
- 1997年5月、立川志らくに入門、前座名「志らら」。
- 2002年5月、立川談志の孫弟子として初の二ツ目に昇進。しかし真打昇進は兄弟子の立川こしら、弟弟子の立川志ら乃(共に2011年11月発表)に先を越される。
- 2015年10月1日付で真打昇進[2]。2015年9月23日、立川小談志・立川左平次・立川志ら玉・立川らく朝とともに合同真打昇進披露パーティーが明治記念館で催され[3]、2016年2月14日に単独の真打昇進披露パーティーが開かれ[4]、真打昇進披露興行が3月27日に国立演芸場で催された[4]。
人物[編集]
- 「オールナイトニッポンR」出演が決まった際に、立川こしらと共に急遽平成立川ボーイズを結成している。
- 前座時代より高田文夫(落語立川流Bコース所属でもある)の預かり弟子として、真打昇進後も付き人をつとめている[5]。ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」のトーク中に、高田をはじめ出演者から志ららの名前が出ることもある。
- 目がつぶらでかわいい。
- NHKの番組に少ししか出でないのに、渋谷をかっこつけて歩いていたと2010年10月5日の「はんにゃのオールナイトニッポン」で語られている。
- ラジオビバリー昼ズのアルバイトから清水ミチコのマネージャーになった女性と結婚。6年間付き合っていて、発表するまでラジオ番組のスタッフには誰にも気づかれなかった[6]。
- 野末陳平と親交が深く、2016年立川らく次と共にらくごカフェでトークライブを行ったり[7]、2019年に野末が参議院議員選挙東京選挙区に出馬した時は、その選挙運動を夫婦でサポートした[8][9]。
出演番組[編集]
テレビ[編集]
ラジオ[編集]
いずれもニッポン放送。
- 平成立川ボーイズのオールナイトニッポンR
- はんにゃのオールナイトニッポン
- 立川志ららのオールナイトニッポンGOLD(2015年10月9日)
- 看板娘ホッピー・ミーナの HOPPY HAPPY BAR
- DAYS(はぴねすくらぶラジオショッピング)
WEB配信[編集]
- Hallo中堅 志らら×こしら(立川こしら伝統組チャンネル)(2020年6月6日~)- YouTube
出典[編集]
- ^ 「立川志らら・新真打インタビュー」『東京かわら版』2015年10月号、10-11P
- ^ “落語立川流、志らら、小談志ら5人が真打昇進”. SANSPO.COM (2015年9月23日). 2015年9月23日閲覧。
- ^ 佐藤友美, ed (2015). 見る目 嗅ぐ鼻 ☆落語立川流真打昇進披露パーティー. 東京かわら版 平成27年11月号. pp. 30-31
- ^ a b yoppy編集長:長濵 (2016年2月20日). “芸は一言、華がある ~祝!立川志らら師匠誕生~”. yoppy. ニッポン放送. 2018年11月3日閲覧。
- ^ “落語家・立川志らら「どんな失敗をしても、落語家としての糧になるんです」~気配りの人間力”. 日刊大衆 (2016年5月1日). 2018年11月3日閲覧。
- ^ 増田みのり (2010年10月21日). “10月21日 今週のビバリー”. みのりの日記. ニッポン放送. 2018年11月3日閲覧。
- ^ 立川らく次 (2016年6月22日). “らくごカフェご来場御礼”. 立川らく次公式サイト. ownd. 2019年7月25日閲覧。
- ^ 鈴木琢磨 (2019年7月24日). “特集ワイド:参院選、87歳野末陳平さんのゆる~い戦い 届けたかった、昭和ヒトケタの声”. 毎日新聞東京本社版 夕刊: p. 2. 2019-7-24
- ^ ながさわたかひろ (2019年7月22日). “7月:第3週『愛の野末陳平』”. サンデーたかひろ. gooブログ. 2019年7月23日閲覧。