穂積亮次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
穂積 亮次
ほづみ りょうじ
生年月日 (1952-09-21) 1952年9月21日(66歳)
出生地 東京都
出身校 東京都立小石川高等学校中退
前職 鳳来町
所属政党 無所属
配偶者 石渡孝子(集英社役員・過去MEN'S NON-NO発行人・現在マリソル発行人)
親族 衆議院議員・穂積七郎(父)
公式サイト 新城・希望都市 - ほづみ亮次後援会ホームページ

当選回数 4回
在任期間 2005年11月 - 現職

当選回数 1回
在任期間 2004年11月 - 2005年
テンプレートを表示

穂積 亮次(ほづみ りょうじ、1952年9月21日 - )は、日本の政治家。新城市長(4期)。元鳳来町長(1期)。

父親は旧愛知5区から選出された日本社会党所属の衆議院議員穂積七郎

略歴[編集]

東京都区部に生まれる。東京で少年時代を過ごす。1968年東京都立小石川高等学校中退。1969年佐藤首相訪米阻止闘争に参加し、武器に使うはずの鉄パイプの受け取りに失敗して近くの墓地から抜き取った板塔婆機動隊に挑み、兄とともに逮捕される[1]

マルクス主義青年同盟(現「がんばろう、日本!」国民協議会)の運動に参加した。

1975年岡山大学北津寮襲撃事件では、寮生をひき殺したマイクロバスの上で「行け。突っ込め」と指揮を執っていた。穂積は傷害致死容疑で岡山県警察から指名手配を受け、幼い息子を両親に預けて地下に潜ったが、6年後にセクトが家宅捜査を受けた際に発見されて逮捕される。最高裁判所まで争ったのち、1990年に実刑判決が確定し服役。2年後に甲府刑務所を出所した[1]

出所後まもなく母が死去し、愛知県の東三河の鳳来町にもどり父の介護をする。1995年に父が死去した後、相続した山林で林業経営を行う[1]1997年有限会社穂積林業を設立、代表取締役に就任する。

2003年4月、愛知県議会議員選挙に北設楽郡及び南設楽郡選挙区から無所属で出馬するも、落選。

2004年11月、鳳来町長選挙に出馬し、当選。2005年10月1日、鳳来町は作手村新城市(旧)と合併し、新城市(新)が誕生する。それに伴って同年11月13日に行われた新城市長選挙に自由民主党に支持を得て無所属で出馬。元新城市助役や元新城市議を破り、当選を果たす。投票率は80.71%[2]

2009年11月1日の新城市長選挙に、民主党と自由民主党の推薦を得て無所属で出馬。NPO法人理事の山本拓哉、元新城市議の白井倫啓らを破り、再選。投票率は77.32%[3]

2013年11月10日の新城市長選挙に、自民党と民主党と生活の党の推薦を得て無所属で出馬。2009の市長選に続いて出馬した山本拓哉を接戦の末に退け、3選を果たした。得票数は、穂積が14,724票、山本が13,813票。投票率は71.07%[4]

2016年、新庁舎建設などに反対する市民団体が中心となって穂積の解職を求める署名運動が行われ、有権者4万203人に対して8,286筆が集められたが、住民投票の必要数に達せずにリコールは不成立となった[5][6]

2017年10月30日の新城市長選挙に、無所属で出馬し、4選。得票数は、穂積が13,461票、山本拓哉が8,248票、白井倫啓が5,648票。投票率は69.23%[7]

脚注[編集]

外部リンク[編集]